所長の独り言... 
とあるジャズベーシストの独白・・・
追記 犠牲からは何も生まれない
 前回の記事に関するレス・追記などを加筆。

 それにつけても、牟多口中将らを筆頭に上層部は日本に生還出来て、しかも非難に不満を述べたり、かつての敵軍の「苦しめられた」の言葉に喜んだり、それをもって必死に自己弁護してるのを見ると、何とも言えない怒りと虚しさが湧いてくる。 このような問題ある人物を登用するような陸軍組織の構造的な問題について考えさせられる。
 軍隊というのは、そもそも敵軍兵士と戦う組織だ。いわば人殺しをするための組織だ。 そのため、どうしても人命尊重、人道主義は限定的となる。
 しかし、であるからこそ、同胞たる自軍の兵士については人命を尊重し、可能な限り無駄死にさせないようにしなくてはなるまい。 人材を大事にする事、しっかりマネジメントやケアする事は、組織として当然の、基本中の基本だ。
 これが、組織のためという大義名分のもと、天下りやブラック労働などの、生産性を著しく低下させる無駄の多い、時に末端の下請けや社員を破滅に追い込む。適性・能力の欠けた、「相応しくない人物」を、義理人情とか知己とか恩顧とかで、安易に重要な役職につけたり任せたりする日本ならではのアマチュアな人事。 結局、誰も責任を負わない、曖昧にしてしまう、いわば責任のシェア。 
 インパール作戦を始めとする数々の大失敗。戦争の責任が、果たして、誰に(どこに)あるのか。
 この問題について、色々考えさせられた。



安易な人事

 日本では、陸軍刑法や海軍刑法には、敗北や拙い戦術指揮そのものを犯罪とする規定は置かれなかった。敗北につながるような指揮官の行為を処罰する規定としては、敵を有利にする目的の利敵行為を罰する規定や、部隊を率いての降伏や守備位置離脱を罰する辱職罪などの限定的な規定があった。らしい。
 戦前日本は軍人ばかりか国民にまで影響を及ぼしていたのが 、かの有名な「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」という戦陣訓だ。 
 これは日本軍に限らないが、軍隊では憲兵隊が後ろから見張ってる(命令に従わない者を処罰する)為、兵士は命令に従うしかない。 戦陣訓の影響下にある日本の場合、白旗(部隊を率いての降伏、捕虜となる事)も逃亡(守備位置離脱)も許されない、罪になるわけだから、現場の兵士達は死を覚悟で突撃しなくてはいけない。・・・ここから、まず、おかしい話なのだ。いかにもブラックだ。
  英米の何が恐ろしいか、というと、戦争が完全にビジネス(経済活動の一環)である、軍人(士官)はその道のプロフェッショナル、仕事人である、という点。 
 そこら辺極めてシビアだし、能力の無い者が軍の上層部に昇進抜擢される事は(あまり)無い、、、と思う。 (大統領とかが戦争利用して政権維持したりして、泥沼化する場合はよくあるが)
 あまりに無茶苦茶な、希望的観測だらけで確たる成功の根拠のない、採算度外視な作戦・計画は立案できない。 どこかしらでストップがかかる。
 牟田口中将がインパール作戦を立案した時、周りの状況を良く知る者たちが反対する中、思わしくない戦局を打開したい軍の上層部は制止するどころか、牟田口中将のやる気に賭けて、一発逆転を期待して博打的に「やってみろ」的な態度をとる。
 この小石のような出来事が、後で巨大な土砂崩れのように地獄絵図な状況になだれ込んでいく。 それで、のちに、「大本営としては、どの時点においても作戦を計画していない」などと言う。
 巨大な組織の、責任ある立場にある者は、やる気とか熱意とかでなく適性や能力に基づいて採用されなくてはならない。

 

希望的観測

 希望的観測が過ぎるのは日本人の悪い癖だ。
 ちょっと作戦が成功したり、他の国より優位・優勢に立った時、そこで油断してしまう。
 自己を過大評価し、相手を過小評価する。
 明治維新以降の日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦での勝利。 真珠湾の奇襲、成功。 大東亜戦争初期の快進撃。
 イケイケなムードとなった。
 よく軍部の暴走という話題が出るが、暴走は軍部に限らない。一般の国民、いや、大日本帝国とその臣民全体が勝利に酔いしれ、「我らは皇軍・神軍。無敵なり「我らは世界の一等国の皇民なり」と驕りたかぶった。 勘違いした。 これに迎合し、その勘違いを正すどころか助長するような報道が行われた。 ささいな出来事、ちょっとした勘違いも、「塵も積もれば山となる」だ。
 日本人は、他者とか周囲の主張に左右されず、鵜呑みにしたり盲信したりせず、自分でしっかり見極め判断していく、というメンドクサイ事を避けて通る癖がある。というか、空気を読む事、他者や周囲に配慮し忖度する事が要求されがち、そうでないとKYとか気の利かないとか無神経とか言われてしまう、そういう風潮がある。 集団のルールに従えない、足並みを揃えない、右向け右が出来ない者は、煙たがられ、村八分にされてしまう。それが嫌だから、自分で決める事を放棄してしまう。思考停止してしまう。思考停止してしまう。それでも、事なかれであってほしい、良い方向に行ってほしい、という希望的観測をしたくなる。
 国家規模での希望的観測。 それが弊害をもたらすような不適切な人事を許し、無能かつ無責任な責任者の指揮のもと、やがて重大な過失につながってしまう。
 この悪循環を醸成するのが、「為せば成る」「死ぬ気で頑張ればどうにかなる」的な根性論。
 「姿勢(やる気)は認める」はアリだが、そんな人情とかで客観的な採点・評価を覆すのは、良くない。
 厳密なルールに基づいて採点・評価しなくてはならない。
 その上で、「いくら頑張ろうがやる気を見せようが、ダメなもんはダメ。やるべき事はやらなきゃならないんだよ」という事を、日本人の体質・社会・気質には合わない(自然には醸成されない)感覚を、教育で根付かせていかなくてはならない。

  安い物にはワケがある。バブルがはじけて、リストラの嵐が吹き荒れる中、会社という組織を維持するために(破産させないために)人を大事にしなかった企業は次々と凋落していった。 そうこうしてるうちに、日本の技術は人材とともに、どんどん海外に流出してしまう。一番多く流れた先が、韓国・中国だ。
 僕は「安物の」メイド・イン・チャイナな服を着る事が多い。メイド・イン・ジャパンはやや高級で安心安全、メイド・イン・チャイナは安くて低品質。というのが、多くの日本人のイメージだろう。これもまた希望的観測というヤツだ。
 しかし、「メイド・イン・ジャパン」のブランドの元に、日本の格安アパレル産業で販売される衣服の大半は、実は下請けの下請けの工場などで、中国人などの職業実習生や不法滞在者などによって、彼らの奴隷同然な(サービス残業ありまくりの非人道的な)ブラック労働の上に成り立っている、というの実態についての番組を、先日テレビでみた。 ちなみにイタリアなどの某有名ブランドのバッグなども、安い賃金で働く中国人出稼ぎ労働者によって作られたりしているらしいが。
 そもそも、日本に暮らす日本人である、というだけで、しかるべき対価を支払わずに、安価で高級なもの・安心安全なものが手に入れられる、自分達にはその資格・権利がある、という感覚こそ、幻想・驕りと言わざるを得ない。 そんなつもりはないにせよ、一種の選民思想だ。 
 「日本製品だから、中国製品より劣る訳がない」。 いやいや。 不況時代に多くの日本人技術者が流れたり、多くの日本企業が安い労働力を求めて中国に工場を立てたり、日本の下請けなどに出稼ぎ労働したりしている。 コストを求めて、人件費をケチって社員や下請けに分配しようとしない、大事にしない体質のせいで、現在進行形で技術の移転流出が進んでいる。 数年前に国内総生産で中国に抜かれてしまった。今後、この差はますます広がっていくだろう。 日中経済競争の戦況は苦しくなっていくだろう。 そんな中で、 「日本」というブランドに、過去の高度成長時代の遺産に、胡座をかいて、油断して、優越感に浸っている場合ではない。 
 ウサギとカメの逸話の、ウサギの側になってしまう。 というか、既になりつつある。
 



グレーゾーン

 戦後の、つまり、大日本帝国憲法に基づく大日本帝国の戦争責任や戦争犯罪について、戦勝国・連合国による極東軍事裁判が開かれて裁かれる事となった。 しかし、戦争犯罪以外の、作戦失敗だとか作戦立案上のミスとかまでは裁かれていない。(もし全ての軍事行動、それに関わったものを裁くというならば、全ての日本兵を処罰しなくてはならなくなる)
 多くの兵士を無駄に殺したインパール作戦の失敗に関して、これは要するに牟田口中将や大本営が無能だったというだけで終わってしまった。
 そして、GHQの占領下で制定された日本国憲法とそれによって生まれた日本国には、大日本帝国のアレコレについて物申す権限・法的根拠がなかった。 日本人同士できっちり成算する(裁く)機会が与えられなかった。 
 牟田口中将は、戦時中に内地に無事生還し、軍内部で降格処分を食らった程度で、極東軍事裁判で裁かれる事も戦犯扱いされる事もなく、日本国によって裁かれる事もなく、無事に余生を全うしている。 戦後しばらくは反省するような言動を見せていたらしいが、晩年には、開き直って自分はけして間違っていなかった的な主張をしていた。
 ・・・まったく酷い話だ。 
 無事に生き延び、戦後に生きた彼らは、自分達の失敗について、どのように感じていたのだろうか? 反省とかしていたのだろうか。 

 僕は、彼らの擁護をするつもりは全く無い。しかし、思うに、彼らはきっと、反省するどころか憤怒し、憎悪していただろう。
 誰にたいして? それは勿論、法的な根拠も無く彼らを罪人扱いして、善人ヅラして自分達に批判の言葉を浴びせかけてきた、戦後の日本人に対して、だ。
 反省があるとすれば、 「なぜ自分は失敗したんだろう」「もし作戦さえ成功してたならば、戦局が変わり、自分は英雄になれた筈なのに」というくらいだろう。
 戦前の日本は、日清・日露戦争、第一次世界大戦での連戦連勝に、勝利するたびに立場や存在感が増していく感覚に、国全体で陶酔していた。 国民はこぞって軍を、戦争を、支持していた。 牟田口中将は、無能なりに、一生懸命やったのだろう。正義のために頑張ったのだろう。
  「勝てば官軍、負ければ賊軍」とはいうが。勝ってるうちは「我らが大日本帝国軍」と囃し立て、負けた途端に被害者ヅラして、連合国側に立って、批判してくる。悪者にする。 自分達の保身のために、犠牲(スケープゴート)にしようとしてくる。
 
 多くが民間人(召集兵)からなる自軍の部下を大切にするどころか捨て駒にして、軍内の出世や保身など我欲に奔走して失敗を認める事すら出来ない無能な士官も、そんなボンクラを指揮官のポストに登用した組織も、最悪だ。
 「御国や陛下かや預かった大事な軍隊・兵士の指揮管理を任されている者」という自覚すらもない、単なる戦国武将きどり。
 だが、そんな武将きどろな軍人や軍の暴走を許したのもまた、政府や文民、一般大衆だ。
 文民統制の効かなくなった暴走する軍隊、そして、その暴走を許し疑問を抱かずに応援した、熱狂する国民一般大衆の恐ろしさ。
 晩年の牟多口中将の逆ギレ的自己弁護の背景には、手の平を返し不幸な被害者ヅラをして自分をスケープゴートにした世の人々への憤怒や憎悪があった事だろう。
 
 法的な根拠がなく、裁判で断罪したり、逆提訴したり、とにかく白黒つける事が出来なかった。そのためにこうなった。
 大日本帝国憲法下の大日本帝国から、日本国憲法下の日本国へと変わる過程で生まれた、いわば時代のグレーゾーンだ。
 



 アメリカとの関係。
 
 戦前の軍国主義について、大日本帝国の実態について。
 そして、アメリカ(GHQ)の占領政策の元、国内できっちり法的に成算する機会さえ持てないまま、今に至ってしまっている現実について。
 知られれば知られるほど。
 そのなかで、戦後日本はヌクヌクと高度経済成長による繁栄を謳歌している事に対して、罪悪感とか自責の念を持ったり、行き過ぎて自虐的な史観に至ったり、原罪意識を持ったりする意見も聞かされる。アメリカとの関係を見直すべきだ、という意見もある。
 
 僕はそうは思わない。
  戦後の日本の繁栄は享受してて良いのだ。 別に豊かさに罪悪感を感じる必要もない。
 ただ、それを維持するために、末端の庶民や貧困者や外国人に協力を無理強いしたり、搾取したりする、ブラックな体質とか。それに義理人情という美辞麗句をつける癖は気にしなくてはならない、意識的にならなくちゃいけない、と思っている。
 
 いかなる形であれ戦争は、それに至ってしまった時点で「国際社会(国連)の失敗」だ。
 戦争当事国のみならず、それを防ぐためのもっと良いアイデアを出せなかった加盟国全ての責任だ。
 アメリカとか西側を血に飢えた鬼畜の如き加害者に仕立てて非難したり、戦いを仕掛けたりするのは簡単だ。 
 しかし、それだと戦前(の大日本帝国の大東亜共栄圏、列強による支配からの諸国解放)と同じ事になってしまう。
 「正義と悪」は同じ物事の裏表だ。
 主観にも客観にも極端に偏らず、自分自身も当事者に他ならない、という視点を誰もが持つ事が肝要だろう。
 
 アメリカという国は世界中の富と貧困、世界トップクラスの幸福と不幸が、正義と悪が同居しているような、国際社会の矛盾や歪みを凝縮したような国だ。
 第二次世界大戦で、日本を降伏させるためにアメリカが流した夥しい血。 無差別な大空襲、原爆投下などの非人道的な大量殺戮を行ったという汚名。これらの巨大な代償を支払って、ようやく手に入れた日本という戦略的拠点を、そう簡単に手放すはずがない。
 日本がアメリカとの関係(同盟、安全保障条約)を見直す事、アメリカと袂を別つ事は、(もう一度ドンパチをやらかさない限り)不可能だ。 なので、見つめ直す必要はない。 僕は、戦争反対派だ。
 国連に加盟する国際社会の一員、平和国家として、アメリカの大事なオトモダチ(実質、子分)として、日本国が出来る事は、無視・軽視できない間柄にあり続け、内部からアメリカ及びアメリカが先頭に立つ「国際社会(国連)」を支えつつ、諌め続ける事、それだけだろう。




真に尊ぶべきものは何か

 ここまで、インパール作戦のような悲惨な戦争の実態や、それに関連して日本ならではのブラックで無責任な体質について、それが国内で法的に成算されなかった事や背景(アメリカとの関わり)についてまで、色々と語ってきた。また、コメントを頂いたりした。 それを、引用・加筆・修正して、書いてきた。
 ここで、この問題に関してのまとめとして、僕の持論を述べさせていただこう。


 お国のために。
 お家のために。
 世のため人のために。
 神様のために、
 家族のために。
 仲間のために
 我が身を顧みずに、犠牲に、粉骨砕身する。
 ・・・そんなものを美徳と感じる限り、求めたがる限り。
 同じ轍を踏む危険性がなくならない。
 人の為と書いて「偽」だ。実に尤もらしいウソだ。流されてはならない。
 百歩譲って、自分が迷惑を被った時に、犠牲になった時に。相手を許し水に流す時に使う、くらいならばともかく。
 何かの為に犠牲になる事を強要するような事、それを推奨するような事、美談にするような事は、あってはならない。
 
  自分自身やそれを含めた人命や生活を軽んじ、その犠牲を前提になされる行為に、正当性など、無い。
  「自分が犠牲になれば」も「5000人ほど殺せば陥落できる」も、どちらも気違い沙汰だ。 こんなもの、全然、尊くない。
  尊いのは、生きる事。人が生きようと、懸命になる事だ。
  生きるために懸命に頑張ったにも関わらず、無念に散って行ったり。
  生きるための退路すらなく、玉砕特攻せざるを得なかったり。
  これらは、尊いと思う。 

  いまのこの国、日本国が、戦前の犠牲の上に成り立っている国家だと思う限り、犠牲を正当化・賛美する事になってしまう。
 どうしても「悲惨な死」に意識が向いてしまいがちで、肝心な事を見落としてしまう。 
 たしかに死というのはインパクトが強い。 死は太古の昔から、人類にとって、畏怖の対象となってきた。意識しない方が難しい 
 死の上に、犠牲の上に、そのおかげで成り立つ国家など、この現代には、無い。あってはならない。
 いま、この国があるのは、戦争を生き延びた人々の、生きるため・生活していく、ごくささいな日常や平和を求めていく、そういうものの上に成り立っているのだ。
 死者は生を生まない。
 我々は死者から生まれたわけじゃない。
 我々が生きているのは、死者が犠牲になったおかげではなく、生き残った人達が自分達が生きてくために、生活してくために、必死で頑張ってくれたおかげだ。 


 
 たしかに、夥しい死を生んだ無能な軍や国家の上層部に対して、怒りを禁じ得ないが。
 それも度を越すと、対岸の火事的というか、「自分はそういうヤツらと違う!」という油断になってしまう。
 それこそ軍国主義の源点、過ちの温床となるだろう。 それこそ、牟田口中将や軍部、戦後に手の平を返して彼らを非難した人々と、同じだ。
 一歩間違えば、自分もそうなってしまう(そうならざるを得なくなってしまう)という感覚を忘れちゃいけない。
 自分を正義側(絶対的に安心安全な立場)においてなされる他人事的な議論は、どうしても甘くなる。無責任となる。 いざとなると自分の保身に走る事になる。周りを犠牲にする。「自分も例外ではない」という緊張感や慎重さを忘れてはならない。
 インパール作戦の番組を見て、怒りや虚無感が沸いてくる・・・だけで終わらせず。
 「人の振り見て我が振り直せ」という自戒にしてこそ、無駄に投げ捨てられていった命への供養となるだろう。

 インパール作戦に参戦し奇跡的に生還した人のお孫さんによれば、「地獄という言葉が軽く感じる」程、悲惨の極みだったそうな。
 そして、お祖父さんはその時の事を語る事を嫌がったそうな。
 ・・・そりゃ、そうだろうなぁ。
 苦しみ、殺しあい、飢え、ケモノのように生き伸びなくてはならない。人道とは程遠い、人が人でなくなる、地獄道・修羅道・餓鬼道・畜生道。。。
 実際に見てきた人でない限り、分かったような事が言えない、まさに想像を絶する話だ。
 終戦の日8月15日は、古来「お盆(盂蘭盆会)」とされてる日だが。
 死んでいった人々の御魂に対し、「戦後の平和な日本しか知らないヌクヌク世代としては、人が人でいられなくなるような状態・時代にだけはしないよう、これからも音楽とかやりながら、ずっと平和にやっていきます」と祈念するしかない。

 なにしろ、平和が一番だ。




  う〜。。。
 久しぶりに、難しい(簡単に答えの出ない、簡単に答えを出してはいけない)問題について、考えさせられてしまった。。。

 僕は、政治や社会の問題に関して(いや、あらゆる問題についてもそうだけど)、中立・中道。
 けして無関心じゃないけども、(最近は)あまり語らない。
 日ごろ、僕は音楽屋なので、音楽の事を、音楽をやる事を、それで生きてく事を考える。
 「他人の事や世の中をアレコレ言う前に、まずは自分自身。音楽について考える」がモットー。
 ミュージシャンとして言わせてもらえば「音楽ほど大事な問題はない」のだ。

 ガラにも無いことしてもうた。
 疲れた。
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