所長の独り言... 
とあるジャズベーシストの独白・・・
感動は歩いてこない
充実感とか楽しさといったものは、極めて主観的なものだ。
他人や外部から他律的に与えられるものではないし、それを求めるべきものでもない。
自分を感動させてくれるのは、他の誰でもない、常に自分自身だ。感動しようと能動的に動く時、心もまた動く。
つまらない時は、客観視しか出来ない時。自分自身が動こうとしてない上に、それを他者や周囲のせいにしようとしてる、実にクソつまらない人間になっている時だ。

なんたって、気分の問題。心次第だ。
求めよ。さらば、与えられん。
外から客観視してる限り、感動からは遠い。

だから、僕は、生きるためにいつでも楽しい事をやって、音を楽しんで、喜びや充実感を味わって、日々を過ごしているのだ。
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ハイリスク・ノーリターン
 ふう。。。 疲れる。。。 (-。-;

世の中、リハや打ち合わせ、どころか譜面すら無しに、3〜4時間、数十曲、一曲あたり10分以上も即興で演奏したりする事もあるような音楽もあれば。

たった2分11秒の一曲のために、しかも名前も無き意味不明正体不明な匿名裏方バンドとして演奏するという企画の性質上、たった一度しか演奏されない曲のために。
隅々まで検討を重ねて、細かくアーティキュレーションやダイナミクスどころか、発音の母音・子音まで揃えて、休符のとり方まで、徹底的に拘り、何度も何度も同じ小節を繰り返したり、確認し、作り上げ煮詰めて、それでも効果が無かったら躊躇なく崩してやり直していく、そんな音楽もある。


ハイリスク・ノーリターン。
強いて言うならば、どれだけ過程を楽しめるか、どれだけの熱量を注ぎ込めるか、どれだけの技術や知識を投入するか、持てる力を尽くすか、それによって自分の成長の糧に出来るか、、、戦利品といえば、それだけだ。

今でこそ、リハいらず打ち合わせいらずの、「せえの」でやる音楽、つまりジャズを主戦場にしているが。
元々はコチラの出である。
やってやれなくはないが、そこまでやるためには、それなりの相当な覚悟とか必然が、いる。

このご時世、DTMやらサンプリング音源やらAIやらテクノロジーやツールが発達した効率的かつ経済的に音楽・楽曲が制作出来るようになった現代、今日。
生身の人間がやる音楽、それをやる生身のプレイヤーを(忙しいメンツを)揃える事が、リハが出来るという事が、どれだけ贅沢な話か。
ましてや、昔みたいな人海戦術とか、大艦巨砲主義な巨大戦艦とか、ただの使い捨て、浪費にしかなりかねない馬鹿げた事を実行するって事は、そう簡単な事じゃない。

数十人もの人間が、各自、時間を縫って(時にはこの寒い中、夜中に野外とかで)個人練習したり、主催者やダンサーと打ち合わせしたり、車両の手配したり、ダンスや歌唱の振り付けをしたり、ラップのリックを考えたり、それぞれ動いている。
僕に出来る事、僕のやるべき事は、一刻も早くネタ(譜面)を仕上げる事だ。
1人あたり一時間数千円、×人数分、×リハ時間。
というつもりで、毎度のリハに臨んでいるし、そのために譜面を書いている。
まぁ、アップダウンを繰り返す、磨り減るようなストレスフルな毎日だが、やった分だけ得られるものも大きい。
書き終わった後、本番終わった後の、解放感とか放心状態を、打ち上げの酒の美味さを、もとめている。

残りの時間、残りのリハ回数は、限られている。
ここからが正念場だ。

やろう。
もう一息
アレンジ、もう一息。。。(疲)
企画&構想から半年。
様々なアイデアが出され、それを考慮にいれてらプロトタイプの叩き台を用意し。ミーティングやリハを重ねてくうちに、「朝までそれ正解」なノリで色々と決まったり、変更が決まったり。 メンバーや編成が変わったり。。
書き直しに次ぐ書き直しで、ついにver.17まで重ねてきた。
もう嫌いになってしまう寸前というレベルまで、この曲、というか、このジャンルの音楽(参考音源込みで)、何百回も再生し続けて、聞き飽きてしまった。
明日には、、、せめて ver.20までには、仕上げたい。 解放されたい。 (´Д` )

ねよう。
「何で音楽してんの?」
 毎日のように大小さまざまな挫折してると、挫折することに対する免疫とか鈍感さが身につく。ダメな方にすごく自信満々になれる。
 私、失敗しかしてないので。
 フリーランスの最大の強みは、いくらでも失敗出来る、失敗を重ねられる点にこそ、ある。
 結果オーライに出来りゃ無問題。

 ホントは、宝くじでも当てて、旅行とか釣りとか読書とか、ブラブラと遊び呆けて暮らしたい所だ。
 それが出来ないので、せめて自分にやれる事を精一杯やって生きざるを得ない。
 という時点で失敗人生だ。
 四六時中音楽(シゴト)に取り憑かれてる状態を幸せとか成功と言うならば、そう言えなくもない。

 僕は、「生きてくために出来る事(好きな事=音楽)を、そればかりやってたら、結果的にミュージシャンをやる形になった」、というタイプだ。
 「ミュージシャンをやるために音楽をやって生きてる」タイプの人とか、「音楽をやるためにミュージシャンをやって生きてる人」とは、目的と手段の関係で、少し見解の相違がある。 出発点と方向性がかなり違う。 接点を持つことは可能だが、同じ方を目指すことは出来ない。
 物心ついたら生まれてたし、音楽をやっていた。色々やってきたが、それだけが残った。言うなれば惰性だ。
なにかに憧れる、追い求める、ミュージシャンとか音楽とか、そのためならば何でも代償に支払えるとか、死んでもいいとか、目標とか、そういう理想的な何かは持ち合わせていない。
 若い頃は、そういう殊勝な人間になれるんじゃないか、変われるんじゃないか、と錯覚したり、していたけど。
 さすがに自覚せざるを得ない。
 三つ子の魂、百までも。
 これまで全く変わる事なかったし、今後も変わる事などないだろう。そもそも変わりたいとか、そのために努力したいとか、思えない。
 やりたい事しかやれない。
 やりたくない事はやらない。
 やってるうちは、まだ、やりたいと思っている。 愚痴とかボヤキとか弱音とか出るうちは、意欲は失われていない。
 やりたくなくなると、どーでも良くなり、眼中にすらいれなくなり、すっかり記憶から消去してしまう。
 
 昔、アスペルガーと言われた時には、ショックを受けるどころか、むしろホッとしたものだ。
マトモな社会生活とか一般的な生き方にはマッチしないが、そういうもんだと割りきって自分を正しく取り扱う限り(普通とは全く別の生き方を目指して実践してる限り)、実にスムーズだ。
 苦しくなるのは、無理をする時。 周りに合わせようとか、足並みを揃えようとか、窮屈な思いをしようとか、自分の性に合わない事をする時だ。
 マイペースに自分のやりたい事をやる。 やりたくない時はやらない。他の事をやる。 それが正解だ。 どうせ、やりたくない事は続かない。
 自分や相手が壊れたり壊したりしてまで、やるようなものなど(少なくとも僕には)無い。 他人事的に「へえ、凄いね」「わ〜、大変だ」とか言う事はあっても、それだけだ。
 少し前から話題になったブラック問題は、その裏に「マジメに頑張るのはエライ、というか普通。不況時に当たり前」という風潮の蔓延があった。
 本来、そういう、世の中の流れや価値観とは一線を画しているはずの、浮世離れしてナンボの、音楽業界・ジャズ業界ですら、影響を受けていた。
なんだかんだ言って、僕も知らぬ間に影響を受けていた。レッスンやセッションで、チャンネルを合わせなきゃどうしようもない、という事情もあったにせよ。 まぁ、どだい無理な話。 限界がある。
 少し前から、初期状態の活動スタンスに回帰している。 つまり、同業者なり店なり、シゴトの依頼があった時に(だけ)動く。
 まぁ、そうせざるを得ない諸般の事情があったからその方向にシフトしたにせよ、いざ回帰してみたら、思ったより快適になった。
 一生懸命やってますアピールとか、好感度アップとか、格好つけるとか、気どるとか、キャラ作るとか、そういうものに、縁がない。 それでも、まぁ、一応、人前に出る時は、僕なりに気は使う。一定の配慮とか自重とかはする。多少は必要だ。
 が。別に、それを目的に生きてる訳ではない。
 
 
 世の中、色んなタイプの人がいる。
 中には、常に人と関わっていたい、輪の中にいたい、囲まれていたい、つながっていたい、理解し理解されたい、寂しいのは嫌だ、耐えられない! 、、、というような、僕には想像のつかない考え方や感覚の人達もいる。
 音楽をやる事そのものより、ミュージシャンとして振舞う事や生き様や美学に、見られ方に、こだわる人もいる。
 別に否定はしない。皮肉とか嫌味でなく、自分に無いものを持っていて、素晴らしいと思っている。
 お互い様に理解も共感も出来ないが、その違いを踏まえた上で、互いに協力する事は可能。
 別に、何がどうだろうが、構いはしない。どうせ、他人事だし。 僕の側から、なんか、とやかく言う事はしない。 他人の事を気にしてる暇などない。いつだって自分の事、自分のやる音楽の事を、それだけを考えている。

 ただ、何故か、向こう側からとやかく言われる事が、ある。色々と言われるし、いちいち一理あるとは思わないでもないし、参考までに一応聞いたりしているが、「ぶっちゃけ、どーでも良い」と思ってしまう。 温度差というか、重要視するポイント、ムキになるポイントが、違いすぎる。
 最初から音楽性・音楽活動上のポリシーが、一致しない。
 そんなもん、誰とも「完全に一致」した事などない。
  一致しなくとも、出発点や方向がバラバラであっても、接点を見出して、お互いに協力し、無いものを補完しあい、音を合わせる。
それがジャズの、セッションの、音楽の魅力じゃなかろうか。
 完全一致を追求するなら、譜面書いたり重ね録りしとけば良い。
 
 音を通じてコミュニケーションをする、会話する、というのはそういう事だと思う。
 別に、それが全てとか絶対とは思わないが、そういう愉しみ方もある。
 しかし、コミュニケーションを重視するあまり、社交性とか、積極性とか、ポジティブさとか、、、そんなもんを求められても、ねえ。
 残念ながらおかどちがい、宗旨違いだ。

 僕は、あまり派手な生き方をしたい訳ではない。
 キャリアや人脈をアピールする事も、必然が無い限り、しない。
 過去を引きずって生きるのは、シンドイ。
 随時リセットし、消去し、更新して、今を、これからを、どうするか、それだけを考え、生きている。
 目の前しか見ていない。伊達に目が細くない。

 僕なりに、活発に、音楽に取り組んで、日々を過ごしているつもりだが、、、なんか、サボっている、手を抜いてる、ベストを尽くしてない、ダラダラ怠けてる、ナメてる、何でだ? 的な事を言われると、あまりに意外過ぎて、ポカンとしてしまう。 ・・・そう見える、のか?
 僕としては、常に、自分に出来る限りは尽くしているつもりなのだが。
 なんか、ウサギと亀の昔話のウサギとか、アリとキリギリスの話のキリギリスとか、要するに、片手間でふざけ半分にやっている、そういう側に見えるらしい。
 主観的には、むしろ、亀とかアリとかの側のつもりで、セッセと、コツコツと、やってるつもりなんだけどなぁ。
 最初から、ずっと、全力で、休み休みながらも、歩みを進めてる。 最初から全力でやってる。これ以上はない。
  「もっと、一生懸命、マジメに、頑張んなさい。 なんで、もっと、全力でやらないの。 イライラする!」的な事を言われると、苛々するのは勝手だけどそれは俺のせいじゃないぞ、と思ってしまう。 これ以上無理すると、体か心か人間関係を損壊してしまう。
 一日10時間。 それが僕が日々コンスタントに仕事に費やしてる時間であり、上限でもある。

 先月、とある同業者と口論というほどでもないけど、ちょっと言い合いをした。
 「何で音楽してんの?」 
 別にそんな事を言われる筋合いも、いちいち答える必要もないけど。
 僕も鈍いから、そう答える事が出来ず、「う~んw さあw なんでだろw」というリアクションしてしまう。 それがまた、不真面目というかふざけてるように見えるらしく、火に油を注いでしまう。 
 ついつい考えさせられてしまった。
 
 ひとまず、ブラック労働というか、体を壊したり過労死したり人身事故を起こしたりするほどまで、やりたいとは思わない。
 使命感とか、理想に殉じるとか、美学とか、そんな大したもん、持ち合わせちゃいないよ。
 大事なのは生きる事。 生きる気力を失わないように、楽しい事・楽しめる事をやり続ける事。 楽しい事しか出来ないのだから。
 「生きるために出来る事をやる。音楽をやる。そしたら、ミュージシャンをやる事になってた」
 それだけの話だ。
 
リセット・ボタン
 壁にぶつかって行き詰まった時の僕の十八番なのだが。 諦めてしまう。 単に、休止するとか、そういう事でなく、完全に投げ出す。放り投げてしまう。忘れてしまう。他の事にシフトしてしまう。それも行き詰まったら、やめて別の事をしてしまう。 そうこうしてるうちに、たまに元に戻る。
 絶望、失望、断念、自信喪失、放棄。
 やるだけやってダメなら、終了するしかない。
 諦めたら、そこでゲームは終わり、、、に、する事が出来る。
 そして、「他のゲーム」や「次のゲーム」に移れる。
 つまり、新たにスタートしたり、リセットしたりする事が出来る。
 取りかかってるうちは、飯食ってる時も移動してる時もテレビやマンガをみてる時も、演奏仕事してる時ですら、意識の片隅にそれが残っている。裏で起動し続け、考えてしまう。
 だから。
 完全に、諦めて、ほとぼりが(感情が)冷めるまで忘却しなきゃならない。

 リセット完了。

 さぁ、アレンジ作業、再開だ。
 早く終わらせよう。荷をおろして、楽になりたい。
 「これが終わったら、何してくれよう?」とアレコレ考える事が、いまの唯一の楽しみだ。

     

 



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