所長の独り言... 
とあるジャズベーシストの独白・・・
流されず、前進してこう
 寝ぼけ眼の午前はアクビしながら動画やテレビを見ながらのベースや鍵盤の指練。
しっかり覚醒する午後は教則本や曲集など、オタマジャクシやコードを見ながら(頭を使いながら)ベースや鍵盤を弾く練習。
夕方以降は譜面を書いたり音源作ったりするPC作業。
今日は中々良いペースで過ごせた。

 一日10時間。
 これが「無理なく毎日仕事が出来る上限のペース」だな。
 出かける日の場合は、入りから撤収までの拘束時間+移動所要時間。
 ウッベの場合は隙間なくみっちり弾きこむ自主トレ計算で3時間が限度。
 それ以上、頑張ってしまうと心身にダメージが残り、翌日に響く。 
 あんまりストイックなタイプじゃないもんで。
 動画やテレビを見ながら、等の「ながら」ではない、ちゃんと集中して取り組む作業は、5〜6時間が限界。
 昔みたいに何時間でも没頭してしまえる精神力も(体力も)ない。
 たまに脳内物質の影響でそれ以上、没入してしまえる事があるが、後々響く。

 限度のない無尽蔵のヤル気とエネルギーに満ち溢れてた若い頃に比べると回復力が低下してきている。
 というか無茶が効かなくなってくる。
 無理すれば指なり肩なり腰なり故障してしまう。
 メンタルもそう。
 気持ちが折れると、鬱状態に陥り、中々ヤル気(とやれる自信)を取り戻すのに時間がかかる。
 
 例えば幼児。転んでもケガしない。いくらでも転んだり尻もちついたりして、歩けるようになる。
 小学生。 転んでもスリ傷作ってもツバつけときゃ治る。
 20代くらい迄なら、ちゃんと処置しとけば跡形なく直る。
 しかし、30代になると、血が止まりケガは塞がっても、跡が残る。
 40代にもなると。もう、打撲とか捻挫とか脱臼とかギックリ腰とか骨折とか、中々治らなくなるし、その分苦痛が続き、仕事に支障を来したり、収入に影響が出る恐れがある。それか恐ろしくて、絶対に転べない。絶対に転ばないように、慎重に、注意深く、無理なく、動く。
 恐らく、この先、50代.60代.70代となるに従い、注意力が低下して、うっかりカラダを壊したり心を壊したりする可能性は増大していく事だろう。
 むしろ。それが当たり前なのだ、と考えている。
 若い頃、子供の頃は、心身をうまく使えるようになるまでの準備期間とか猶予期間。のようなもの。

 


 自分の限界を把握しよう。
 コンスタントに出来る限界。
 全力疾走、一点集中が出来る限界。 ダラダラ、集中しないで惰性で出来る限界。
 これから先、どんどんシビアになってくる。
 連日徹夜で頑張る、とか、もはや血圧的に無理。 脳卒中とか心筋梗塞とかで、ホントに死んでしまう。

 物理的な技術、能力を、向上させる事が出来る(鍛えたら鍛えた分だけ力をつける事が出来る)のは、あと何年くらいだろうか。
 10年? 20年? わからないが、一つだけ言えるのは、流れるプールの流れの向きに逆らって泳いで前進するが如き基礎トレの、流れがだんだん厳しくなってきている事。
 10年前、20年前と、同程度の事をやっていたら、前進する(力がつく)どころか停滞、酷い場合はむしろ後退(劣化)してしまう、という事。 泳いだ、疲れた、という主観的な感覚(及び昔の経験)で捉えたら、気づけばチットモ変わらなかったり、だいぶ後ろに流されたりしてしまう。

 「楽にやる」と、「楽をする」とでは、雲泥の差がある。
 若い頃からずっとやってきているから、その分、蓄積とか経験則とか予測とか出来るので、若い頃に比べてずっと上手くやれてる、ように、錯覚してしまう。
 若い頃はジタバタしながらも、泳いで、前進しようとしていたし、出来た。
 今あの頃のペースで泳ぐ事など容易い。もっと無駄なく、効率的に、楽に出来る。
 しかし。流れるプールの流れは、あの頃とは比べ物にならないくらいキツい。気を抜いたら、すぐにずっと後ろに流されてしまう。




 いや、最近は単なる流れるプールというだけではなくて角度ついた滝になってきてる気がする。
 もしかしたら流れるプールではなく、川だったのかも知れない。
 入り口の河口付近の下流ならば、流れはキツくない。 潮の次第では、追い風ならぬ追い波というか、どんどん遡れたりもする。
 それが中流、上流となっていくに従って、急流になったり、滝になったりする。 どこまで遡上出来るのか。

 まだまだ、前に進める。 滝を登ったり、ジャンプしたりする事が出来る。 昔より無駄にジタバタして、傷を負ったり、その分、後ろに流されてしまう事はむしろ減った。 前に進めるうちに、進めるだけ、進むぞ。 後方を振り返ったり、余韻に浸って懐かしがって過ごすには、まだまだ早過ぎる。
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只管打音
情緒不安定な時。
やるべき事は沢山あるのに、それに向き合う気力が湧かない時。
もう全く頭が働かなくて、どうしたら良いか分からない時。
何もしなきゃしないで、むしろシンドイ時。
そんな際。
現実逃避的に、心を整え、鎮め、無心にするため、ひたすら機械的練習に耽る。




NHKで「眩 〜葛飾北斎の娘〜 」というドラマをやっていた。
映像美といい芝居といい素晴らしい見事な作品だった。
長塚京三さん演じる北斎、これがまた格好良い生き様だった。
死ぬまで前のめり。
「(もっと)上手くなりてえなぁ」
創作家とは、かくありたいものだ。
ついカっとなる
 不合格者が何を言っても合格できないのと同じく、合格者が何を言っても不合格にはなれない。
 出来ない者が何を言っても出来た事にならないのと同じく、出来る者が何を言っても出来ない者にはなれない。
 初心者が何を言っても経験者とはならないのと同じく、経験者が何を言っても初心者にはなれない。

 
 低気圧のせいではないと思うが。
 今日は、レッスンでかなりイラついてしまい、ついつい「地」を晒してしまった。
 多分、罵詈雑言とかモラハラとか、そういう事はしていないと思うが、それよりキツい容赦の無い(逃げ道を与えない)注意の仕方をしてしまった。 

 
 出来ない人の出来ないのは仕方ないし。出来ないのに出来たふりをしようとするなら、まだ可愛げがある。
 しかし、たまに、もはや初心者ではない、ある程度の年数取り組んで来た人が、こなす事が出来るだけのスキルや知識がある癖に出来ないフリをしようとする、弱者ぶろうとする、アレは何なんだろう?
 とりあえず、他の見ず知らずの人を相手にするならともかく。
 何年もつきあいのある、しかも自分に教えている相手に、そんな事が隠し通せるほど、こっちの目を節穴と思ってるのだろうか?
 ・・・まぁ、確かに他の事において、かなり節穴な事は認めるが。
 さすがに仕事に関しては、しっかりやる。 
 出来る癖に出来ないフリをしてるのを、弾ける弾けないよりも大きい問題をみすみす見逃すほど、ボンヤリしちゃいない。
 実際、今日も、一言だけ指摘しただけで、無言で黙って見てたら、終わり間際になって、出来てたし。
 ほら。 別に、何も教える迄もないじゃん。自分で解決出来るんじゃん。
 出来る事、知ってる事、分かる事を、わざわざ人に言われようとする、、、という心理が僕にはサッパリ分からない。
 まるで、店に入って、自分で調べようともせずに店員に品物の場所を聞こうとする、或いは持って来させようとする人みたいだ。




 ちなみに。
 僕は、指導における体罰とか、罵倒とか、全く認めていない。
 そんなものが溢れてる、飛び交う、体育会系なノリをさんざん味わって来た上で、そう思う。
 しごかれた?
 出来なくてぶん殴られた?
 出来なくて叱られまくった?
 何百回もやらされた?
 自慢になるか、そんなもん。
 一回(言われただけ)で直す方がずっと偉いし、言われるまでもなくやってるヤツの方がさらに偉い。
 しかし。何故だか、体育会系なノリでは、出来の悪いヤツが、出来ないから叱られただけの事を、「そんなキツい中で耐えて来た自分、カッケー」的に自慢げに武勇伝的に語ってしまう。古くさい悪習だ。ナンセンスだ。
 僕は、そういう面倒くさい、非効率的な方法は、好かない。
 また、無闇にピリピリしたムードを出すのも好きじゃない。
 非常に疲れる。
 スマートに、気軽に、最小限でサクサクッと、進めたい。
 のに。
 わざわざ僕を怒らせようとしているように、つまり僕のレッスンの流儀を、目指している事を、全否定されたような気分になる。
 
 自ら自分の体を痛めつけようとする人に、身体的な治療をいくらやっても無意味だ。
 となると、技術的な話を離れて、メンタルなお話にならざるを得ない。
 ・・・あまり、こういう話はしたくないのだけど。。。




 出来るのにやろうとしない。 出来ないフリをする。
 頭隠して尻隠さず、というか。
 「自信がない。失敗はしたくない。勇気が持てない。だから、出来ません。察して下さい」的な無言のアピール。 勝手に辞めてしまう。
 いやいや。既に失敗してますから。
 休符は、正しく、過不足なく演奏して下さい。勝手に休符を演奏しないで下さい。
 休符以外の部分は、音符の部分はしっかり演奏して下さい。分からなければデタラメな音、いっそ開放弦で構いません。
 弾いて下さい。
 デタラメな音を弾く苦痛やそんな自分に嫌気がさせば、少しは目が覚めるでしょう。
 言っておきますが勝手に休符を演奏する、弾くのをやめたり途中で辞めたりする、というのは、それ以下です。デタラメです。 
 自分をごまかしているだけ、単なる錯覚に過ぎません。 問題を可視化しましょう。
 始まったら終わりまでノンストップ。
 それが音楽だ。 ジャズのようなリズム本位の音楽の場合、特に。
 セッションで、「あ、ミスった。ちょっとタンマ。もっかい、そこからやり直し」なんて、あり得ない。
  云々。
 
 ・・・この手の精神論めいた説教。
 体罰でも、モラハラでも、パワハラでもない、注意の仕方は、される方も堪らないだろうが、する方も堪らない。 厭〜な気分になる。
 「今日は、あんまりやる気が出ないみたいですね。 このままやっても意味はなさそうだし。世間話でもします?」てのも柄じゃない。



 
 まぁ。僕自身、もともと、駄目駄目な人間なんで。 ガキの頃から、色んな怒られ方をしてきたので、ある種の怒られ慣れをしてる部分がある。多少の怒られ方では効かない。
そんな僕が、いちばん嫌だな、堪らないな、反論の余地すらないな、と思う、冷静に淡々と急所を抉る、やり方。
 これやられると、それは嫌だから頑張ろうと思うか、全くやる気を無くすかの二択なんだよなぁ。。。
 もう少し、上手いやり方は出来ないもんか。。。
 というか。 そもそも、キレるな。
 すぐカッとなるな。
 もうちょい大人になれ。
 いや、カルシウムをとれ。 

 指導に熱心? ムキになった?
 違うね。単にアタマ来ただけだ。
 気に食わなかったからキレた。それだけだ。
 
 相手(の心)を無慈悲に殴りつけた、オノレの(心の)手が痛い。
 リアルに平手打ちするより、ずっと痛いし、極めて不快だ。
 願わくば、常に平和的かつ友好的にありたいものだ。が。
 ああいう、わざわざ出来ないフリ、弱者アピール、とかの無意味な行為やそれをする人に対して、さっぱり訳が分からない。
 ので、そんな訳の分からない異質への不安や抵抗感や排斥が、自分を攻撃的にさせる、のだろう。
 けど、もう少しは、冷静に、クレバーにならんと。 (反省)

 
長い長い一日
身につけるものは安物ばかりだけど。
意外に高価なもんを持ち歩いてたりする。。。

20170915.jpg

 長い長い一日だった。。。
  二ヶ月後にやる事(だけ)は決定している某ステージに向けて、音出しながら何をするか考える企画会議。
 を、しようにも、流石に何も無しじゃどうしようもないから、出先で急いで資料(パート譜)作成。
 音出し会議終了後の飯食いながらのミーティング、閉店まで。最近夜早いので、目がしばしば。。。
 眠気と疲労で、帰りの運転で事故らないように眠気覚ましを飲みつつ、無事に帰宅出来たのは良いが、今度はなかなか寝つけない問題が浮上。。。(^^;)
 
 実は、少し前から水面下では打ち合わせしたり、ひとまず書いてみて相談したりしてはボツになったり、大幅に路線を変えたりして。 ver6で、ようやくメンバー招集。 色々と忌憚なく好き勝手にダメ出しやアイデアを言ってもらう。 出てきた案をとりまとめ、次回までにver7を作る。
勉強&仕事の人生
例えば受験勉強とかならば。 限られた時間(年数)で、志望校合格を目指して、それに必要な点数のとれるような勉強の仕方をしなくてはならない。試験範囲を把握し、出題者のお望みの答え方、そのための要点をおさえ不要な点を削除していく言わばトリアージをしてかなくてはならない。
こういう条件下ならば、「正しい勉強の仕方」が要る。質の高い正しい学習書、参考書、指導者が要る。というか、そういうものを活用した方が自分でやるより圧倒的に効率的だ。 「日本で最も古い歴史書は古事記である」とか。「現存する古代ギリシアで書かれた最も古い書物はイリアスである」とか。そう教えられて、「なるほど!覚えた!次!」 と進む。これが正しい受験勉強の仕方である。
そこで、「古事記? 読んでみない事にゃ、なんともかんとも。。日本書紀ってのもあるでしょ? どう違うの? 仕方ない、両方読んでみるか。。。」となるのは、受験勉強的には間違いだが。受験のためのお勉強ならばともかく、そうでもなければ、けして間違いじゃない。脱線でもない。 むしろ、それこそ本道、正門である。

「正しい」勉強とは、受験勉強とは、長い長い学問の道に入る前に、その準備が出来ているか、これから学ぶ事は何かという事についての事前ガイダンスや事前審査だ。
 国語とか。 世界史とか日本史とか地理とか公民とか。 大学で、いわゆる人文科学(社会科学)と呼ばれる分野と。
 数学とか。 化学とか物理とか地学とか生物とか。 大学で、いわゆる自然科学と呼ばれる分野と。
 色々と勉強する教科はあるが。 受験勉強で扱うのは、本当の勉強に入る前の準備段階。いわば、検索用タグや総索引だ。
 
 昔から、勉強というものが。いや、受験勉強や、そのためになされる小中高の勉強・試験というものが、嫌いで仕方がなかった。
 たまに面白いと思う何かを見つけた時、勝手に図書館で参考文献などを借りたりして、自分で掘り下げて調べてしまう。のめり込んでしまう。そういう事に耽り、そればかりやるとシワ寄せが出る。 他の事が手につかなくなり、間に合わなくなってしまう。
 受験勉強とか、学校の勉強とか、さらに言えば学校とか、本当に苦手だった。 あまりにもペースが過密過ぎて、とても、ついていけない。  こちらとしては読書やゲームや音楽鑑賞など自分の取り組んでいる事で忙しいのに、ツマラナイ。
 
 面白く学ぶには「マイペースで、やりたい事をやりたくなった時にやりたいだけやれる。取り組める」そういう環境や状況が不可欠。 特に、僕はツマラナイ事には、指一本、頭脳の片鱗すら、動かす事が出来ない。 「ツマラナイ事でも、嫌々ながら我慢してこなす」という能力が欠如している。
 よく学生の仕事は勉強だと言う。 「勉強しなさいよ!」は「仕事しなさいよ」と言っているに等しい。
  「そこまで言うなら、それなりの条件や待遇、環境や雰囲気づくりをしろ。 誠意を見せろ。 それが出来ないなら、いちいち(他人である)俺に構うな。ほっとけ。 俺は俺のやる事で忙しいんだ」とか、ついつい叫びたくなる。
 とはいえ、中々、そんな我を貫くのは難しい。

 面白い事しかやらない、ツマラナイ事はやれない僕だが。 面白くなくない、ツマラなくはない、という範囲なら、「入り中」以外にもスキマ時間を見つけて取り組んだりはする。 主に取り組んでる事、いわば専攻分野に、サブで取り組む諸々。
 それで、なんとか仕事にする。 生きてく。研究開発費を稼ぐ。
 僕が音楽を仕事にしているのは、そういう理由(必然)に基づいている。

 音楽は楽しくやらなきゃ嘘だ。 ポーカーフェイスに向かない僕は、いつでも音楽を楽しくやろうとする。ツマラナイ事はやれない。モロにバレるw
 たまに、自分の演奏やアンサンブルに集中し過ぎて、周囲への意識が二の次三の次になってしまう事も、なきにしもあらず。
 仕事は仕事、勉強は勉強。きっちりケジメをつけなくてはなるまい。 これは自重すべき。
 仕事場(現場)は、お勉強の場じゃない。
 お勉強したいなら、自宅やスタジオで、独り、マイペースで、すべきだろう。

     

 



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