所長の独り言... 
とあるジャズベーシストの独白・・・
「音楽をやる」  吉田町アート&ジャズ・フェスティバル
良い天気☆ 11時過ぎから、3つのチームに分かれてやります。
我々のチームは 11時50分くらいから セッション メインで。
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今日は、吉田町アート&ジャズ・フェスティバルにて、老舗ジャズ喫茶「リトルジョン」3チームの中の一つとしてセッション&演奏をさせて頂きました。
お越し頂いた皆さん、共演者や他の参加バンドの皆さん、スタッフの皆さん、どうもありがとうございました。 m(_ _)m

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もの凄く久しぶりに、リトルジョンを訪れ、あの独特なコアな空気、ハマを代表するような大御所ミュージシャンが大集合してるシチェーションに、ふと昔(20年くらい前の駆け出し時代、躍起になって現場やセッションに出て弾きまくってた頃)をふと思いだしたりして。
というか、あの頃すでにベテランだった人達が、今でも大ベテランとしてバリバリ現役で、変に老成した若手よりヤンチャな悪ガキ感を放ち続けてるのを見るにつけ。 達観する(大人しくなる)のは20年、いや、30年早いな。まだまだ、やるべき事、取り組むべき事が、山程あるな、と。
また、今日一緒にやらせて貰ったミュージシャン達、メジャー方面でもプレイ&音楽制作で活躍している彼らのプレイや考え方、取り組み方、音響の使い方、等々、かなり刺激&参考になったし、いま勉強中のアレコレの思案材料になりそう、だけど。 とりあえず明後日〆切の編曲に取り組まねば。

リーダーの渡辺てつ君は、古くからの(駆け出し時代からの)仲間で、学バンの(他バンドながら)同世代だったりする。優勝バンドの花形プレイヤーだった当時から既にそうだったけど、相変わらずプレイも人柄も華(人を惹きつける器・人徳と言っても良い)がある。いつも楽しい音を、音楽を、やる。
何かと考え過ぎで(基本的に物事をありったけ悪い方向へ悪い方向へ、最悪な展開が起きる事を想定して生きてるw)、遠回りしがちで、横着でフットワークの重い、つべこべウダウダしがちな、つまらない問題にとらわれがちな僕とは180度くらい違う。 それだけに彼の直感力や言葉には、常に一目置いている。

「自身が、つまらない事をしない」
「人に、つまらない事はやらせない」
「つまらない事を言わない」
音楽(音を楽しむ)をやる三原則だ。
当たり前のようだが、これがどうして中々難しい。ついつい、楽器(ベース)とかジャズとか仕事とかに偏ってしまう。バランスを崩してしまう。時々、「音楽」をやってるつもりで(一応自分的にはいつでも音楽をやってるつもりなんだけど、客観的には)「音我苦」をやってしまう。 元々ジャズには「音我苦」的な所がある、少なくとも寛容過ぎる所があるのかも知れない。

 音楽の力。
 陽の力。
 正のエネルギー。
 開放的な気分を味わえた一日でした。




 さて。
 今日は、楽器はお休み。
 ・・・編曲作業に取り組まねば。
 一日で終わらそう。


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活字と書道(習字)
こうやって呟いてる、入力している「活字」は、読みやすさを重視して、漢字もひらがなもアルファベットも正方形のバランスに統一されている。しかも横書きである。
日本古来の書体とは、だいぶ違う。日本古来の書体は、漢字と平仮名とで、字ごとにバランスやサイズが違う。

PCやスマホで使われる活字の書体は、筆による書体に比べて、正方形のバランスやサイズに整えられている。
タテヨコの最大サイズが決まっている。そもそも、こんな小さい文字は、筆どころかシャープペンでも書けない。
タテヨコの長い方がそれに合わされ(圧縮され)、短い方がブーストされる。
タテヨコの差を圧縮して、揃える。

ミキシングする際、生音を0dbに合わせ、音量差を圧縮して(コンプをかけて)、揃える。 そういう事だろう。




ところで、今日はじめて知ったが。
小学校でやる習字(書き方)は国語に属すものだが、高等学校でやる書道は芸術に属すもの、らしい。

・・・書道?
やったっけ?
いや、あったっけ?
記憶にございません、だが。
成程。現代使われる情報の伝達手段としての文字を、その書き方を基本から習得する、それが習字な訳だ。
一方、書道は、それ自体のデザイン、書体、バランス、感情表現の様々について、取り扱う、と。

 もし、いちいち、筆・墨・硯・紙を用意して、正座やら中座やらの姿勢で、字がグチャグチャにならないように、紙がクシャクシャにならないように、墨が飛び散ったりこぼしたりしないように、気をつけて書かなきゃならないなら、、、こんな風にダラダラと呟き続ける事はないだろうw
 キーボードやフリックで、手軽に入力できて、大体の漢字候補を出してくれて、なんなら次に来そうな言葉の候補まで予測して並べてくれたりして、変換してくれる。 おかげで、かなり漢字を忘れてしまった、どころか、ペンを持つ感覚すら忘れてしまった。
 たまにペンを持つと、震えるw

 先日、区役所でちょっと自分の住所氏名とかを書いた時、字が出てこなかったりとか、あまりの自分の字の下手くそさに衝撃を受け、ちょっとデジタル機器への依存、アナログな「書き方」スキルの低下について、どうにかした方がいいかと考えさせられたりした。
 ・・・が、すぐに、忘れたw
 デジタルの方が便利過ぎて。

 


 デジタルな音楽やその制作ツールの発展により、アナログな楽器は、その奏法技術は、またこれらを用いた作編曲技術は、どんどん書道的な立ち位置になっていくかも知れない。
現在は、実用的な手段として、まだまだ現役だ。が、徐々に習字(書き方)に移行してきている。

 僕は日本人だが、はるか昔の人が筆で書いた書物は、読めない。
 また、活版印刷が使われるようになった近代のものでも、文語体とか古いフォントとか、古い版の本だと、全く読めないという事もないが、億劫で読めない。
 最近の版やフォントが望ましい。
 往年の本、文庫本などを僕よりもずっと読み込んできた世代の人とかだと、古い方が一行あたり、一頁あたりの文字数、全体のボリュームがコンパクトで密度が高くて俯瞰的に読みやすい、という。 一方、老眼その他で、最近の方が良い、という派の意見もある。
 文庫本、活字印刷本は、言わばレコードだ。 書体は、音源の音作りだ。 使い勝手(作り易さや聴き易さ)を優先するか、デザイン性、美的センスを優先するか。
 はたして、音楽の世界は、これからどうなってくか。



 
 ちなみに。活字を、その書体のまま、縦書きの紙に清書すると、だいぶ平坦てま不恰好になるらしい。
 活字とは活版印刷のための書体。
 明朝体、ゴシック体、その他諸々。
 良くも悪くも平坦で均一で没個性的。機械的。誰が書いても(入力しても)同じになる。クセがない。
 まさにピアノ(鍵盤楽器)やMIDI打ち込み音楽の如し。 鍵盤奏者は、逆にどうにか個性を、表現をつけようとする。
 エレキ楽器もそう。
 一方。多くのアナログな楽器、アコースティックな楽器は、習字(書き方)から、均整のとれた、バランスのとれた、クセのない字が、書けるようにする所から入り、ほぼ生涯取り組む。(ついでに仮名や漢字を覚えていく)
 その過程で様々な個性、筆跡や書体というものが形成される。
 
 本・PC・スマホで活字が普及し、デフォルト化すると、まず筆を、それどころかペンや鉛筆などの筆記具を手にする機会が激減していき、多くの人が書かなくなり、また、様々な書体や筆跡を目にする機会が減っていく。読めなくなっていく。
 古い世代は書けなくなってくにせよ、まだ、読めるかも知れない。しかし、新しい世代は、もはや活字や活字並みに整ったペン字でないと、読めないように、だんだんなっていくかも知れない。
 いま、教育現場で、タブレットやPCの活用が進んでいる、という。 そのうち、ノートや鉛筆は、なくなるかも知れない。印鑑みたいなポジションになってくかも知れない。そういう世代は、もはや、活字でないものは受け付けない。読めない。綺麗だか何だか、もう分からない。

 コンプをかけて、マキシマイズされた、CDに慣れた耳では、生音・生演奏・生楽器のバランスや音色は、受け付けなくなっていくかも知れない。 せめてペン字程度に、調整していかねば。
 ピッチ補正。タイミング補正。音量補正。ダイナミクス補正。低位の補正。空間(残響)補正。
 アナログ的な考え方では、機械頼り、ドーピング反則、みたいについつい思ってしまう。
 が、そうではない。
 それは、書き手作り手の、習字やペン字をやってる側の理屈・こだわりに過ぎない。

 多くの利用者は、(それ用に用意・調整された)活字を、書いたり読めたりする事を求めているのた。つまりCDのような音だ。
 手書きでも、それに準じたペン字が求められる。つまり、PA、マイク、エフェクタ、アンプだ。
 習字や書道は、その数は、需要は、これからますます減っていくだろう。




 ペン(や鉛筆)は、すっかりご無沙汰になってしまったが。
 楽器には、これからも触れていきたい。使っていきたい。
 活字にはない魅力、情報伝達力がある。特に、感情をこめるなら、やっぱり、こちらの方が良い。
 ちょっと大きく、力強く書くだけで、強調したり。サラリとさりげなく流せたりする。

 ワープロと手書き、どちらが良いとか、どちらで行く、ではなく。
 それぞれの良さを認識し、使い分けていく。
 それが、肝要だろう。
 とりあえず、音楽のワープロ、DAWを、もっと使いこなせるように、なろう。
自分(の耳)をアテにするべからず
自分が何Hzまで聞き取れるのか、試してみた。

耳年齢テスト

。。。ご、五十代。。。orz
視力と一緒で、使い過ぎだと、低下してくるのかも。
そういや二十代くらいまでは時計の針の音とか気になって寝れなくなったりしてたっけ。

下は30Hz迄。20Hz台になると聞こえない。
 https://www.youtube.com/watch?v=cE9ofRImjBM

 もしかしたら、キックの音とか、僕には聞こえない(ようになってきている)けど若い人には大きく聞こえてる、かも知れない。
 ・・・こればっかりは鍛えてどうにかなるもんでもない。
 幸い、ベースの音はしっかり聞き取れる(ホw)
 しかし、ピアノの最低音域とかは、基音は聞こえず、倍音しか聞こえない。ピッチがとれない。(それは知ってた)

 自分の可聴音域を把握し、自覚しておこう。
 そして、人によっては(特に若い人は)、自分には聞き取れない音が聴こえてる事を意識しよう。




 まぁ、世の中には、可聴音域どころか、耳が全く聞こえなくなっても交響曲を9個も書いた人物もいるわけだし。
 足りない部分は、知識とか想像力でカバー、補完していくとして。
 しかし、人それぞれ、可聴音域によって、イコライジングも違ってくるだろうし、当然、音も違って聞こえるのだろうな。

 20年くらい前、けっこう「重低音」サウンドを愛聴していた気がするのだが。 最近、そこら辺の音源を聴いても昔ほどの昂揚感が感じられない、ピンと来ない、薄っぺらく、時々耳ざわりに聞こえたりする、、、というのは。 きっと加齢とともに「重低音」が、30Hz以下の音が、聞こえなくなっているからだろう。
 
 感性が鈍った、保守的になった、というより。
 単純に、聞こえ方が違って来てるんだな。
 不眠症になった10年前に比べて、眠りについてしまえばぐっすり寝れるようになった、というのも、コレが関係してるかも知れない。
なんかナットクしたような、ショックなような。




 イコライザ(&スペクトラム・アナライザー)で、色々いじっても、「大して変わらない」ように思っても、単に僕自身にそう聞こえてるだけであって、可聴音域の広い人、若者とかには、そうではないかも知れない。 だから、イコライザとか、リバーブとか、慎重に(控えめに)設定しておくよう心がけよう。
 また、重低音よりかは高い低音域で、たとえ聞こえる音でも、聞こえ方(音量)については分からない。
 僕には、適切な音量で鳴っているように聞こえても、他の人にはかなり大きく鳴っている、かも知れない。
 いくつか、目安となるリファレンスCDを用意して、それにバランスを近づけていく、というやり方でアプローチしてくしかない。

 ベースの最低音(E)までは、普通に聞ける。 しかし、ふた昔前くらいに流行ったドラムンベースとかになると、それよりもっと下の音が盛んに使われたりしていた。 また、重低音ビートを強調するような打ち込みものが大流行した。
 あの頃のリスナーだった世代がオッサンになってきた。さすがにベースの音、生音キックの音などは聴き取れるだろう。 しかし、ローパスフィルターで低音以上(胴鳴りや打音)をバッサリとカットした、原音のみを取り出したような音に加工したCDの場合、キックの音が聞こえにくかったり、全く聞こえなかったり、する、、、かも知れない。
 ドンシャリの、ドンドンが消えて、シャリシャリになる。 相対的に、ディストーションとかギンギンのギターばかり耳についてしまいがち。 重低音系サウンドが流行らない、リスナーが激減している、アコースティック系サウンドが流行っているのは、単純に少子高齢化による所が大きい。

 楽器やチューニングにもよるが、キックがドンドンではなくパンパンと皮を叩く音ばかり聞こえたりする事があるのは、そういう事なのかも知れない。 あまり強く叩く(ペダルを踏む)と、そうなりがちな気がする。 
 どでかバスドラなど、マイクを通したPAで聞く方が、生よりバスドラっぽく聞こえるかも。
 ズンズン。
 ドンドン。
 パンパン。
 聞く側の可聴範囲によって、聞こえ方が違ってくるだろう。
 マイクから拾ったスピーカーから流れるPAの音やCDは、それだけで、可聴音域内の「重低音でない低音」に加工される。
 マイク穴に突っ込めば録れる音(周波数)も変わる。

 


ピアノの最高音は4186Hzだ。
人によってはその1オクターブ上(8372Hz)くらいまでしか聞こえないが、人によっては2オクターブ上(16744Hz)まで聞こえるのだろう。
含まれる(聞こえる)倍音も、音色も違ってくる。
ピアノの両端は、際どい音域だと言える。
「楽音とはピアノが演奏出来る音である」と言いきっても過言ではない。
 88鍵。7オクターブ1/4。 これが最大だ。
 この枠を超える音は(低音についてはこの枠内ですら)、聞き辛い、聴き取れない、騒音になってしまう場合がある。

 ローパスフィルター(ハイカットフィルター)
 ハイパスフィルター(ベースカットフィルター)
 これらフィルター(濾過装置)は、こうした事を念頭においた上で、使用するべきだろう。
 自分の耳を信じて、自分の聞こえ方を基準に、ギリギリに設定するのは禁物。
 自分よりずっと聞こえる人、自分よりずっと聞こえない人、がいる。 良い意味で、もっと適当(アバウト)に、ザックリと、やった方が良い。

 他に。
 ハイでもローでもない、可聴域内の特定の周波数帯の音を通し他を減衰させるバンドパス・フィルター。
 逆に可聴域内の特定の周波数帯の音を減衰させて他の周波数帯は通すBEFことバンドエリミネーションフィルター。もしくはバンドリジェクトフィルター。 さらに帯域が狭いノッチ・フィルター。
 棚のように、ある周波数より上をパスしたりカットしたりするハイシェルフフィルター、またある周波数より下をパスしたりカットしたりするローシェルフフィルター。
 これら、フィルターによる音作りは、あまり神経質に緻密に拘ってやった所で、仕方がない。 一人でやる場合は。
 複数名エンジニアがいる状態で色々あれが良いこれが良いと議論して、チーフ(プロデューサー)が決定する、みたいなやり方ならばともかく。 一人でやる場合、己の耳がアテにならない。アテに出来ない。 これは、もう、しょうがない。 あまり、悩んだり考えこんだりしても、どうにもならない。

 あまり深く考え過ぎると、十年くらい前に、「もしかして、自分と他人とでは、同じ音楽聴いてても、全く違うんじゃないだろうか。世界観が違うんじゃなかろうか。。」みたいな、どうでも良い事で悶々と苛まれ、無限ループに陥る羽目になる。
 今なら、「・・・そんなの当たり前じゃん。視力、色彩感覚、人それぞれでしょ」と、アッサリ言える。
 それどころか、どんどん、可聴域や音量は老化して衰えていく事だろう。
 それは、そう言うもんなので、別に気に病む事はない。
 楽音さえ聞こえれば、日常生活に支障がなきゃ問題ない。

 


 僕が視力が悪くなった少年時代、目が悪かった奴、眼鏡をかけてた奴は、クラスで僕一人だった。
 当時はそれなりに悩んだけど、進級進学するにつれて、勉強読書ゲームなどで周りもみんな目が悪くなっていったので気にならなくなったし。
 現代でな小学生でメガネやコンタクト、珍しくもない。
 今時、メガネをオッサン的象徴、ガリ勉的象徴、ゲーム中毒的象徴、みたいに言う方が珍しい。 視力が良い方が特異だ。 また、メガネやコンタクトが普及し、ジンズやらゾフやら、かなり手軽に入手する事が出来るようにもなってきている事もある。

 補聴器も、もっと進化しないものか。
 日常生活において、余計な雑音騒音(幻聴?)が聞こえて、うるさかった、過敏過ぎた若い頃、子供時代に戻りたいとは思わない。 ただ、演奏時やミキシング作業時には、ちょっとくらい補助して貰えると、助かる。
 近年、科学技術の発達で、人間の動作をアシストする技術が発展してきている。また、電流を流してリアルな重さや感触を再現するVR技術も発展してきている。 例えば、耳に耳栓のように装着して、電流か何かを流して聴覚神経やら頭脳を刺激して、足りない分の聴覚・聴感をアシストする、的な。 

 「目が悪くなるから、本を読む(勉強する、テレビを見る、ゲームをやる、PCやスマホを見る)のを、控えなさい!」
  ・・・おいおい、どこの昭和の親御さんですか? てなもんで。
 「耳が悪くなるから、耳を使う事を控えよう。大事にしよう」的な発想は、僕の中にはあまり無い。
 別に、わざわざ爆音で聴きまくる、難聴になる、みたいな馬鹿げた事をするつもりはない。
 ただ、あまり、神経質になる気もない。
 どうせ、遅かれ早かれ、10年20年経てば、どんどん耳は遠くなっていく。
 たぶん、この少子高齢化の進む、世の中全体的に。

 それを踏まえて、どう音を作っていく、奏でていくか。
 問題は、それだけだ。



 
 本当に耳を大事にしたいなら、人工音、音楽リスニング装着やら楽器やら何もない、大自然の山奥で、川のせせらぎやら木々のざわめき、雨の音、風の音、虫の音、に耳を傾けて、暮らすのがベストだろう。
 僕は真っ平だ。たまに人工音、市街の喧騒、仕事に疲れた時の気分転換ならともかく。
 
 知人に、ライブ中でも人の声だけが聞こえる、という特殊な耳栓を開発した人がいる。いわば、人の声の周波数に設定したバンドパスフィルターだ。
可聴域を拡大・ブーストするようなものを作る(商品化する)事は、技術的に可能なのだろうか。
今度会ったら、聞いてみよう。

 
画一的な純物質と、豊かな混合物
我々の身の回りにある物の殆どは「混合物」である。 例えば空気は約8割が窒素で約2割が酸素、他にアルゴンや二酸化炭素などの気体(物質)が含まれている。海水も、水以外に、塩化ナトリウムや塩化マグネシウムなどを含んでいる。 そこから一つの物質のみを分離する事で「純物質」が作られる。
混合物から純物質を分離させる方法には、次のようなものがある。
(1)濾過 濾材の穴よりも大きな固体の粒子を液体または気体から分離する方法
(2)蒸留・分留 沸点の違いを利用して分ける方法
(3)再結晶 温度による溶解度の違いを利用して不純物を取り除く方法
(4)抽出 ある液体に、目的とする物質を溶かし出して分離する方法
(5)昇華 昇華しやすい性質があるものを、混合物からその性質を利用して分離させる方法。
(6)クロマトグラフィー 吸着と溶解の差を利用して分離する方法。  
など。




ところで。
 音響、数学、信号処理、電気工学およびその他の分野において、正弦曲線(せいげんきょくせん、sine curve)もしくはシヌソイド (Sinusoid) と呼ばれる、正弦関数として観測可能な周期的変化を示す波動のことを「正弦波」という。
正弦波は単一の周波数成分のみを持つ波動であり、厳密な意味では自然界には存在しない。 しかし、一般の物理学や電磁気学、音響学などでは、観測されるべき波動(すなわち上記の基本形・一般形で表される波動)の振幅が、付随される雑音に比べて十分に大きい場合、これを正弦波と見なすことが多い。
人の耳は単一の正弦波を認識することが出来る。なぜなら、そのような波形を持つ音は人には純粋な音高の音としてはっきりと聞こえるからである。純粋な正弦波に近い音には、口笛や音叉の音がある。このように正弦波として聞こえる音は純音と呼ばれる。
音波が2つ以上の正弦波によって構成される場合、その中で最も周波数が低い正弦波を基準として、その他の正弦波の周波数が基準となる正弦波の周波数の整数倍で構成されるときは、その音波の波形は周期的な交流波形となる。この音は、人の耳には楽音または単音として認識される。それ以外の2つ以上の正弦波によって構成される音はノイズか和音、ないしはうなりとして聞こえる。

純粋な正弦波の(それに近い)音、純音は、自然界には存在しない。  だから、人為的に、いくつもの正弦波を混合した音を作る。  その中で、ノイズでも、うなりでも、和音でもない、ある特定の人間の耳に認識出来るような音を作りだす装置と行為が、楽器であり演奏である。
我々、プレイヤーの目線では、普通に演奏したら単音が出て、それをいくつか「ある一定のルールに沿って」鳴らしたり重ねたりしたら和音が出来て、ピッチが悪けりゃうなりが生じて、そもそもルールを感じさせないような重ね方したら不協和音やクラスターが生じる、そういう順番になる。
正弦波(せいげんは)は、時間経過にしたがって振幅が三角関数の正弦関数に対応した変化を示すもの。英語では、sine wave と言う。 あの、僕の苦手な、よく分からなかった(いまだによく分からない)、サイン・コサイン・タンジェントの、あのサイン(正弦)だ。
・・・そもそも、三角関数が、というか関数というものが、現状、よく分かっていない。。。orz 
 昔、どこから分からなくなっているのか、どこでバグが生じてついていけなくなったのか、それが分からない。
 4月から新年度スタートしたETVの番組をみながら、順番に勉強していくしかない。

 この正弦波ではない波形として、三角波、短形波(方形波)、ノコギリ波、パルス波、といったものがある。いわゆる機械的な音(シンセサイザーっぽい音)、だ。これらは機械によって人工的に作り出された、正弦波でない波形を持った音だ。これが装置やらスピーカーから出力され、空気を通して、「正弦波を認識する」人間の耳に届いた時、ある音高として聞こえる。その過程で、人間の耳に聞こえるような正弦波の音になる、訳だ。  楽器による楽音との違いは、混合の程度(純度)の違い、だ。
 厳密な意味で、純度100%の純音を耳にする事、純度100%の非正弦波の音を耳にする事は、まずない。  無響室と呼ばれる「ほぼ」残響がない特殊な環境とか、そういう所でさえ、ほぼ、であって。 我々、一般人が生活したりリスニングしたりする環境では、もう少し純度は下がり、混合する。
 



 ところで、純粋な正弦波(に近い音)には、倍音と呼ばれるものは無い。  倍音は自然共鳴音であり、基音の周波数の整数倍の周波数の音が基音と同時に(時には一部基音より大きく鳴って)聞こえる、というものだが。  この倍音をほとんど含まない音、つまり、正弦波に近い音を出すのが音叉だ。
 楽音の中で最も基本になるのがノコギリ波だ。波形が鋸の歯のようになっているので、この名がある。 ヴァイオリンや金管楽器の波形はこれに近い。鋸歯状波には基音とすべての倍音を含み、高い倍音ほど振幅が漸減し、第n倍音の振幅は基音の振幅の1/nである。
 波形が「己」の字を横にしたような形をしているのが矩形波である。クラリネットの波形はこれに近い。基音と奇数倍音だけが含まれ、第n倍音の音波の振幅は1/nである。
 波形がV字型をしているのが三角波である。基音と奇数倍音だけが含まれ、第n倍音の音波の振幅は1/n²である。これは矩形波の時間積分した波形が三角波になるためである。
 
 基音+倍音。
 これが、一般的な演奏家の考え方だ。特に倍音を中心とした造りになっている金管楽器、バルブ楽器は、そのように考えがちだ。
が、聞こえる音(楽音)には様々な波形が、成分が、混ざり合っている。吸い込む空気の中に、酸素以外に、窒素や二酸化炭素やアルゴンが混じっているように。
 音楽においては、ここちよい美しい音とそうでない音を区別する言葉として、楽音(がくおん、英: musical tone)と噪音(そうおん、英: unpitched sound)がある。  
 望ましくない音、楽音であっても聞き手が不快あるいは邪魔だと感じる音は騒音と呼ばれる。
 意図的に発声されたものでない音、空気音、呼吸音、その他は、雑音と呼ばれる。
 ・・・まぁ、ミュージシャンとしては、あまり雑音(鼻息だとか、楽器にボタンやベルトが当たる音だとか)や、騒音と思われてしまうような音は出したくない、気をつけたい所だがw

 楽音と噪音の違い。
 楽音は、歌うときの人の声や、楽器の音の多くのように、倍音(基音の整数倍)以外の上音がほとんど無く音高(音の高さ)が強く感じられる音をいう。
 倍音以外の上音を多く持ち音高を感じさせない音を噪音(そうおん)という。打楽器の音のほとんどは噪音かそれに近い音である。シンバルのような剥き出しの金属で出来ている楽器は、内部で響く(音を整える)構造を持つ多くの楽器と違って、様々な音が放射される。だから、通常の人間の耳にはピッチが聞き取れない。  
 ・・・が、たまに例外がいて。昔、耳の良い(絶対音感を持つ)仲間がシンバルの音を言い当てていた。子供の頃からの訓練で、聞こえる全ての音を十二音の型にはめてしまう。  きっと、沢山の音の中から、最も良く鳴っている音を聴きとり、それを十二音のどれかに当てはめるのだろう。羨ましい、というよりも、むしろ、難儀な事だなぁ、それはそれでシンドイだろうな、と思ったものだが。
 こういう耳の持ち主(可聴音の全てを十二音で認識してしまう耳)の場合、ピッチの分からない音、つまり、噪音が無い、という事になる。  楽音(意図的に発声される音楽的な音)か、騒音か、という身も蓋もない分割となる。うなりを生じるような音、つまり悪いピッチの音も騒音である。
  比較的、雑音や騒音、噪音に寛容な人。アレルギーを持たずに済むような人が、ジャズという音楽に対する毛嫌いのない人、ジャズへの適性のある人だ、という気がする。 アンコントロールな、うっかり出てしまった音について、キッと睨んだりせず、ニヤっとしてしまう、出来るようなタイプ。
 客席の騒音については神経質な癖に、自分自身は堂々と騒音(よがり声)を出しまくったりしてる某世界的ジャズ・ピアニストとか、いないでもないが・・・w
 あれを、許せるようになる、気にならなくなる、むしろ無かったら物足りなく感じる、ようになると、美しい楽音を堪能出来るw
 現代においては、サンプリングなどで、川の音だの風の音だの電車の音だの、様々な音が、意図的に用いられている。広義の楽音、或いは噪音、という事になるか。
 まぁ、完全協和音程・不完全協和音程・不協和音程とかと同じで、ちょっと歴史的な区別の仕方ではあるかも知れない。





 指練しながら、Cubaseのノウハウを紹介する動画を色々とみているのだが。  
 例えば、音にフィルター(濾過)をかけて加工するとか。  生ドラムセットの叩きだすグルーヴを「抽出」して打ち込みドラムに適用する、とか。  サンプリングで、騒音を加工して噪音化・楽音化する、とか。とにかく色々な事が出来る。
 というか、サンプリングで、缶を開ける音を採取して、それにピッチを与えて、変わった音色の楽器にするとか、こんな事あんな事、いろんな事が出来るらしい。  いや、漠然と、機械で色々な事が出来るという事は知っていたけど、具体的に知っていくと、やっぱり驚く。

 MIDIというのは整式で言う所の(定数項でない)項でしかない。  変数に特定の値を与えて、初めて音になる。  その特定の値が、音源に入っている様々な楽器の音色だ。  最初から与える値を決めている(指定している)ものが、インストゥルメント・トラックだ。
 基音・倍音・上音という音の地層・大気圏。  
 波形という音の組成。混合と純度。  
 人間の聴覚や脳による聴感。   
 それらを物理的に作り出す電気的な装置。  
 演算。  

 ・・・・やっぱり、並行して、理数系の勉強はしていかなきゃならないな。その考え方の応用・転用が、音を探すのに必要。
 





 

 化学。物理。生物。地学。数学。
 ・・・まさか、あの、僕にとって謎の呪文、サイン・コサイン・タンジェント が、ここに来て、僕の仕事に必要不可欠になってくるとは思わなかった。
 必要を感じられたので、どうにかしていかなきゃ、と思う。

 ・・・あ、今の所、英語の必要はあまり、いや、ゼンゼン感じてないw  
 アメリカという国の固有の伝統的文化としてのジャズ(純物質)は、それなり興味や関心はあるけども絶対だとは思っていない。そこから日本をはじめ世界中の音楽と混合していった、混合物としてのジャズが好きなわけで。
 何のノイズも噪音も、倍音すらも含まない、音叉の音色のような、純度の高いジャズには、電気をつける時にエジソンに抱く程度の敬意や感謝の念は持つけども、それ以上は、特に感じない。  
 なので、今のところ、英語は、まだ「・・・それ、要る?」なものでしかない。 今のところは。 

 


 英語は分からないが。
さすがにキビキビしてるイギリス英語と、だらしない感じのアメリカ英語とで、発音が違う事くらいは知っている。きっと世界各地からの移民が、各地の言葉が、混じった結果だろうが。
今は、どうなんだろう。
 20世紀後半、メキシコを始め、中南米から流入しているヒスパニック系が黒人よりも多い。世代交代や混血も進んでいるだろうし。 だいぶ、そちらよりに訛ったり、言い回しや言葉が出てきたりしている、少しずつ変わって来ているんじゃなかろうか、と。 

 英語(やその発音)は、果たして、どの程度「要る」ものなんだろうか。 たまに、セッションその他でガイジンさんがやって来るが。 一応は、出来る範囲でコミュニケーションはとろうと思うのだが。 「私、日本人ね。英語全然わからなちあるねw」て事になってしまう。
 ジャズやってる人間が、誰でも英語使える、英語を勉強しようとしてる、と思ったら、大間違いw

 それとも、アレか。 国策で、「訪日客増やそう、国民総おもてなし接客業化」ってんで、どこでも英語でおもてなししてくれる、とか、そんな流れか? そうなってくると面倒だ。
 
 2020年に向けて、いや、少子高齢化の進む国の将来に向けて。
義務教育での英語授業を進めたりしているらしい。
仕事をしてく上で、生きてく上で、いよいよヤバい、と感じたら、多分英語を勉強し始めると思うが。
当分、国外どころか、自宅を出る事すら、少なくなる。

 


 
 ブレグジットやら、トランプやら、保護主義台頭やらで、グローバル化の時代が終わった感がある。 経済系のニュースを見ていても、世界展開どうのこうのではなく、いかにして技術の移転流出を防ぐか、二国間交渉を不利益にならないようにするか、みたいな話ばかりしている。
 流れ的には多文化コミュニケーション、ボーダーレス、それによる混合、化学反応(ケミストリ)よりも、分離による純化、固有の特色の精製、そんな方向に進んできている気もする。 トランプというのは顕在化に過ぎず、潜在的には、保護主義・自国第一主義というのは様々な形で出てきてたかも知れない。

 アメリカの(保守的な)ジャズ自体は嫌いじゃない。 ただ、アメリカ至上主義、アメリカ第一主義、他の(日本をはじめとする外国の)ジャズを眼中に入れてない、保守本流派の姿勢は、気にいらない。 「アメリカのジャズでないもの、ジャズに非ず」と言わんばかりの驕りを感じる。
 何かと話題に出る、○サリスだが。彼のやってる保守ジャズや演奏は、音楽として嫌いじゃない。
が、ひたすらエスタブリッシュメントを目指す彼ののたまう屈折したジャズ史観、Blues と Swing という、白人が作ったものを、「実はルーツは黒人だった」みたいな歴史修正主義。
 共和党支持者で、今回のトランプ大統領の選出にも貢献したであろう、彼のアメリカ至上主義、自国第一主義・保護主義については、あまり肯定的ではない。
初の黒人大統領オバマ政権下ではあまり目立たなかったが、こうなってくると、「あ〜、成程。」と、腑に落ちてくる。言葉に出来る。
 音楽家としての彼の音楽性については、色々あるが、僕は否定的ではない。むしろ、真摯な取り組み方や技術には、普通に脱帽するのみ。 しかし、彼の進める、ジャズ画一化とか、黒人由来説には、全く賛同しない。

 音叉の音色には、感動しない。 シンセっぽい音には、テクノ世代、ファミコン世代として懐かしさは感じるが、やっぱり特に感動しない。 純度の高すぎる音は、あまり好きでない。 やはり、適度の噪音や騒音、雑音があった方が、豊かになる。
 聖と俗。
 秩序と雑然。
 理性と感情。
 混合あってこその豊かさ、だ。
 色々違って面白い。
 別に「反体制こそ正義だ!」みたいな古くさい全共闘世代みたいな事を言うつもりはないし、少し前の綺麗事だらけの理想主義みたいのも良いとは思わない。同じ花を見て同じ意見を持つ必要は無い。
 
 勝手にすれば良い。 誰かに指図される事も、指図する事もなく。合わせたかったら合わせりゃいいし、合わせなくとも良い。
 KYが問題になったり、忖度が問題になったり。 どうせ、また、すぐに変わる。
お一人様ブートキャンプ
今日は、ちょい久しぶりにウッベ基礎練をやったり、頼まれていた(のを忘れてた)アレンジを進めたり、した。
(この辺りの枠は最近はDAW作業枠になってる)
くたびれたけど、何とも言えない充実感がある。」
毎年の事ながら、ジャズ研やら音大やらでジャズをやり始めた連中に勝手に張り合ってるw

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始めたての時の、独特の、集中力とやる気。
・・・分かる。
でも、頑張る事において、負けたくはないのだよw

半ば強制的にやる気が減退させられる、梅雨〜夏場に入るまでは、むちゃくちゃ頑張る。
で、湿度と温度の高い、著しく意欲が損なわれる季節は、この時期の「貯金」で乗りきる!w

時間割を決めて取り組む。
55分で収まるように、練習メニューを組み、各パターンを消化するのに費やした分数をメモって目安にしている。
なんか能率の悪い、身が入ってない時は、グズグズして、予定通りにこなせない。という事が一目で分かる。
残りの5分で内容メモ、一服・トイレ・水分補給など

曲の練習、ピッチやフォームの強化を兼ねているウッベの時等は除き。指練の時など機械的なトレーニングをやる際は、DAW関係のノウハウ解説動画や教育系テレビ番組などを見ながらやってる。
食事・休憩中に録り貯めた未聴の音源やラジオ番組を聴き流しつつ、マンガでも読んだりする。

いわば、ひとりブートキャンプ。
他人(コーチやら教官やら)から、「頑張れ」「まだまだ、やれる! もっとだ」みたいな言われると、(言われるまでもなく、ギリギリまで頑張ってやってるっての!)とか苛立たせられるし、むしろやる気が萎える、ヘソマガリな難儀な性格。
でも、一人で、勝手に、マイペースでやる分には、結構頑張れるw

とにかく、練習は楽しく快適に。
なるべくストレスを感じないように、ゲーム感覚で取り組むが吉。
無駄に思いつめてシリアスにやった所で、「なんか、やったような気分☆」とか自己陶酔感は味わえるかも知れないが、実は淡々とこなすのと大して変わらない。

 


そして、朝。
こうして、BGMにお気に入りCDをかけつつ、寝る前に寝落ちするまで呟き散らした事をブログにまとめる(たまに、なんで
あーいう事を呟きちらすかな、、、と自省したりする)所から一日が始まるw
さぁ、今日も一日頑張ろう☆

     

 



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