所長の独り言... 
とあるジャズベーシストの独白・・・
「音楽をやる」  吉田町アート&ジャズ・フェスティバル
良い天気☆ 11時過ぎから、3つのチームに分かれてやります。
我々のチームは 11時50分くらいから セッション メインで。
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今日は、吉田町アート&ジャズ・フェスティバルにて、老舗ジャズ喫茶「リトルジョン」3チームの中の一つとしてセッション&演奏をさせて頂きました。
お越し頂いた皆さん、共演者や他の参加バンドの皆さん、スタッフの皆さん、どうもありがとうございました。 m(_ _)m

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もの凄く久しぶりに、リトルジョンを訪れ、あの独特なコアな空気、ハマを代表するような大御所ミュージシャンが大集合してるシチェーションに、ふと昔(20年くらい前の駆け出し時代、躍起になって現場やセッションに出て弾きまくってた頃)をふと思いだしたりして。
というか、あの頃すでにベテランだった人達が、今でも大ベテランとしてバリバリ現役で、変に老成した若手よりヤンチャな悪ガキ感を放ち続けてるのを見るにつけ。 達観する(大人しくなる)のは20年、いや、30年早いな。まだまだ、やるべき事、取り組むべき事が、山程あるな、と。
また、今日一緒にやらせて貰ったミュージシャン達、メジャー方面でもプレイ&音楽制作で活躍している彼らのプレイや考え方、取り組み方、音響の使い方、等々、かなり刺激&参考になったし、いま勉強中のアレコレの思案材料になりそう、だけど。 とりあえず明後日〆切の編曲に取り組まねば。

リーダーの渡辺てつ君は、古くからの(駆け出し時代からの)仲間で、学バンの(他バンドながら)同世代だったりする。優勝バンドの花形プレイヤーだった当時から既にそうだったけど、相変わらずプレイも人柄も華(人を惹きつける器・人徳と言っても良い)がある。いつも楽しい音を、音楽を、やる。
何かと考え過ぎで(基本的に物事をありったけ悪い方向へ悪い方向へ、最悪な展開が起きる事を想定して生きてるw)、遠回りしがちで、横着でフットワークの重い、つべこべウダウダしがちな、つまらない問題にとらわれがちな僕とは180度くらい違う。 それだけに彼の直感力や言葉には、常に一目置いている。

「自身が、つまらない事をしない」
「人に、つまらない事はやらせない」
「つまらない事を言わない」
音楽(音を楽しむ)をやる三原則だ。
当たり前のようだが、これがどうして中々難しい。ついつい、楽器(ベース)とかジャズとか仕事とかに偏ってしまう。バランスを崩してしまう。時々、「音楽」をやってるつもりで(一応自分的にはいつでも音楽をやってるつもりなんだけど、客観的には)「音我苦」をやってしまう。 元々ジャズには「音我苦」的な所がある、少なくとも寛容過ぎる所があるのかも知れない。

 音楽の力。
 陽の力。
 正のエネルギー。
 開放的な気分を味わえた一日でした。




 さて。
 今日は、楽器はお休み。
 ・・・編曲作業に取り組まねば。
 一日で終わらそう。


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活字と書道(習字)
こうやって呟いてる、入力している「活字」は、読みやすさを重視して、漢字もひらがなもアルファベットも正方形のバランスに統一されている。しかも横書きである。
日本古来の書体とは、だいぶ違う。日本古来の書体は、漢字と平仮名とで、字ごとにバランスやサイズが違う。

PCやスマホで使われる活字の書体は、筆による書体に比べて、正方形のバランスやサイズに整えられている。
タテヨコの最大サイズが決まっている。そもそも、こんな小さい文字は、筆どころかシャープペンでも書けない。
タテヨコの長い方がそれに合わされ(圧縮され)、短い方がブーストされる。
タテヨコの差を圧縮して、揃える。

ミキシングする際、生音を0dbに合わせ、音量差を圧縮して(コンプをかけて)、揃える。 そういう事だろう。




ところで、今日はじめて知ったが。
小学校でやる習字(書き方)は国語に属すものだが、高等学校でやる書道は芸術に属すもの、らしい。

・・・書道?
やったっけ?
いや、あったっけ?
記憶にございません、だが。
成程。現代使われる情報の伝達手段としての文字を、その書き方を基本から習得する、それが習字な訳だ。
一方、書道は、それ自体のデザイン、書体、バランス、感情表現の様々について、取り扱う、と。

 もし、いちいち、筆・墨・硯・紙を用意して、正座やら中座やらの姿勢で、字がグチャグチャにならないように、紙がクシャクシャにならないように、墨が飛び散ったりこぼしたりしないように、気をつけて書かなきゃならないなら、、、こんな風にダラダラと呟き続ける事はないだろうw
 キーボードやフリックで、手軽に入力できて、大体の漢字候補を出してくれて、なんなら次に来そうな言葉の候補まで予測して並べてくれたりして、変換してくれる。 おかげで、かなり漢字を忘れてしまった、どころか、ペンを持つ感覚すら忘れてしまった。
 たまにペンを持つと、震えるw

 先日、区役所でちょっと自分の住所氏名とかを書いた時、字が出てこなかったりとか、あまりの自分の字の下手くそさに衝撃を受け、ちょっとデジタル機器への依存、アナログな「書き方」スキルの低下について、どうにかした方がいいかと考えさせられたりした。
 ・・・が、すぐに、忘れたw
 デジタルの方が便利過ぎて。

 


 デジタルな音楽やその制作ツールの発展により、アナログな楽器は、その奏法技術は、またこれらを用いた作編曲技術は、どんどん書道的な立ち位置になっていくかも知れない。
現在は、実用的な手段として、まだまだ現役だ。が、徐々に習字(書き方)に移行してきている。

 僕は日本人だが、はるか昔の人が筆で書いた書物は、読めない。
 また、活版印刷が使われるようになった近代のものでも、文語体とか古いフォントとか、古い版の本だと、全く読めないという事もないが、億劫で読めない。
 最近の版やフォントが望ましい。
 往年の本、文庫本などを僕よりもずっと読み込んできた世代の人とかだと、古い方が一行あたり、一頁あたりの文字数、全体のボリュームがコンパクトで密度が高くて俯瞰的に読みやすい、という。 一方、老眼その他で、最近の方が良い、という派の意見もある。
 文庫本、活字印刷本は、言わばレコードだ。 書体は、音源の音作りだ。 使い勝手(作り易さや聴き易さ)を優先するか、デザイン性、美的センスを優先するか。
 はたして、音楽の世界は、これからどうなってくか。



 
 ちなみに。活字を、その書体のまま、縦書きの紙に清書すると、だいぶ平坦てま不恰好になるらしい。
 活字とは活版印刷のための書体。
 明朝体、ゴシック体、その他諸々。
 良くも悪くも平坦で均一で没個性的。機械的。誰が書いても(入力しても)同じになる。クセがない。
 まさにピアノ(鍵盤楽器)やMIDI打ち込み音楽の如し。 鍵盤奏者は、逆にどうにか個性を、表現をつけようとする。
 エレキ楽器もそう。
 一方。多くのアナログな楽器、アコースティックな楽器は、習字(書き方)から、均整のとれた、バランスのとれた、クセのない字が、書けるようにする所から入り、ほぼ生涯取り組む。(ついでに仮名や漢字を覚えていく)
 その過程で様々な個性、筆跡や書体というものが形成される。
 
 本・PC・スマホで活字が普及し、デフォルト化すると、まず筆を、それどころかペンや鉛筆などの筆記具を手にする機会が激減していき、多くの人が書かなくなり、また、様々な書体や筆跡を目にする機会が減っていく。読めなくなっていく。
 古い世代は書けなくなってくにせよ、まだ、読めるかも知れない。しかし、新しい世代は、もはや活字や活字並みに整ったペン字でないと、読めないように、だんだんなっていくかも知れない。
 いま、教育現場で、タブレットやPCの活用が進んでいる、という。 そのうち、ノートや鉛筆は、なくなるかも知れない。印鑑みたいなポジションになってくかも知れない。そういう世代は、もはや、活字でないものは受け付けない。読めない。綺麗だか何だか、もう分からない。

 コンプをかけて、マキシマイズされた、CDに慣れた耳では、生音・生演奏・生楽器のバランスや音色は、受け付けなくなっていくかも知れない。 せめてペン字程度に、調整していかねば。
 ピッチ補正。タイミング補正。音量補正。ダイナミクス補正。低位の補正。空間(残響)補正。
 アナログ的な考え方では、機械頼り、ドーピング反則、みたいについつい思ってしまう。
 が、そうではない。
 それは、書き手作り手の、習字やペン字をやってる側の理屈・こだわりに過ぎない。

 多くの利用者は、(それ用に用意・調整された)活字を、書いたり読めたりする事を求めているのた。つまりCDのような音だ。
 手書きでも、それに準じたペン字が求められる。つまり、PA、マイク、エフェクタ、アンプだ。
 習字や書道は、その数は、需要は、これからますます減っていくだろう。




 ペン(や鉛筆)は、すっかりご無沙汰になってしまったが。
 楽器には、これからも触れていきたい。使っていきたい。
 活字にはない魅力、情報伝達力がある。特に、感情をこめるなら、やっぱり、こちらの方が良い。
 ちょっと大きく、力強く書くだけで、強調したり。サラリとさりげなく流せたりする。

 ワープロと手書き、どちらが良いとか、どちらで行く、ではなく。
 それぞれの良さを認識し、使い分けていく。
 それが、肝要だろう。
 とりあえず、音楽のワープロ、DAWを、もっと使いこなせるように、なろう。
自分(の耳)をアテにするべからず
自分が何Hzまで聞き取れるのか、試してみた。

耳年齢テスト

。。。ご、五十代。。。orz
視力と一緒で、使い過ぎだと、低下してくるのかも。
そういや二十代くらいまでは時計の針の音とか気になって寝れなくなったりしてたっけ。

下は30Hz迄。20Hz台になると聞こえない。
 https://www.youtube.com/watch?v=cE9ofRImjBM

 もしかしたら、キックの音とか、僕には聞こえない(ようになってきている)けど若い人には大きく聞こえてる、かも知れない。
 ・・・こればっかりは鍛えてどうにかなるもんでもない。
 幸い、ベースの音はしっかり聞き取れる(ホw)
 しかし、ピアノの最低音域とかは、基音は聞こえず、倍音しか聞こえない。ピッチがとれない。(それは知ってた)

 自分の可聴音域を把握し、自覚しておこう。
 そして、人によっては(特に若い人は)、自分には聞き取れない音が聴こえてる事を意識しよう。




 まぁ、世の中には、可聴音域どころか、耳が全く聞こえなくなっても交響曲を9個も書いた人物もいるわけだし。
 足りない部分は、知識とか想像力でカバー、補完していくとして。
 しかし、人それぞれ、可聴音域によって、イコライジングも違ってくるだろうし、当然、音も違って聞こえるのだろうな。

 20年くらい前、けっこう「重低音」サウンドを愛聴していた気がするのだが。 最近、そこら辺の音源を聴いても昔ほどの昂揚感が感じられない、ピンと来ない、薄っぺらく、時々耳ざわりに聞こえたりする、、、というのは。 きっと加齢とともに「重低音」が、30Hz以下の音が、聞こえなくなっているからだろう。
 
 感性が鈍った、保守的になった、というより。
 単純に、聞こえ方が違って来てるんだな。
 不眠症になった10年前に比べて、眠りについてしまえばぐっすり寝れるようになった、というのも、コレが関係してるかも知れない。
なんかナットクしたような、ショックなような。




 イコライザ(&スペクトラム・アナライザー)で、色々いじっても、「大して変わらない」ように思っても、単に僕自身にそう聞こえてるだけであって、可聴音域の広い人、若者とかには、そうではないかも知れない。 だから、イコライザとか、リバーブとか、慎重に(控えめに)設定しておくよう心がけよう。
 また、重低音よりかは高い低音域で、たとえ聞こえる音でも、聞こえ方(音量)については分からない。
 僕には、適切な音量で鳴っているように聞こえても、他の人にはかなり大きく鳴っている、かも知れない。
 いくつか、目安となるリファレンスCDを用意して、それにバランスを近づけていく、というやり方でアプローチしてくしかない。

 ベースの最低音(E)までは、普通に聞ける。 しかし、ふた昔前くらいに流行ったドラムンベースとかになると、それよりもっと下の音が盛んに使われたりしていた。 また、重低音ビートを強調するような打ち込みものが大流行した。
 あの頃のリスナーだった世代がオッサンになってきた。さすがにベースの音、生音キックの音などは聴き取れるだろう。 しかし、ローパスフィルターで低音以上(胴鳴りや打音)をバッサリとカットした、原音のみを取り出したような音に加工したCDの場合、キックの音が聞こえにくかったり、全く聞こえなかったり、する、、、かも知れない。
 ドンシャリの、ドンドンが消えて、シャリシャリになる。 相対的に、ディストーションとかギンギンのギターばかり耳についてしまいがち。 重低音系サウンドが流行らない、リスナーが激減している、アコースティック系サウンドが流行っているのは、単純に少子高齢化による所が大きい。

 楽器やチューニングにもよるが、キックがドンドンではなくパンパンと皮を叩く音ばかり聞こえたりする事があるのは、そういう事なのかも知れない。 あまり強く叩く(ペダルを踏む)と、そうなりがちな気がする。 
 どでかバスドラなど、マイクを通したPAで聞く方が、生よりバスドラっぽく聞こえるかも。
 ズンズン。
 ドンドン。
 パンパン。
 聞く側の可聴範囲によって、聞こえ方が違ってくるだろう。
 マイクから拾ったスピーカーから流れるPAの音やCDは、それだけで、可聴音域内の「重低音でない低音」に加工される。
 マイク穴に突っ込めば録れる音(周波数)も変わる。

 


ピアノの最高音は4186Hzだ。
人によってはその1オクターブ上(8372Hz)くらいまでしか聞こえないが、人によっては2オクターブ上(16744Hz)まで聞こえるのだろう。
含まれる(聞こえる)倍音も、音色も違ってくる。
ピアノの両端は、際どい音域だと言える。
「楽音とはピアノが演奏出来る音である」と言いきっても過言ではない。
 88鍵。7オクターブ1/4。 これが最大だ。
 この枠を超える音は(低音についてはこの枠内ですら)、聞き辛い、聴き取れない、騒音になってしまう場合がある。

 ローパスフィルター(ハイカットフィルター)
 ハイパスフィルター(ベースカットフィルター)
 これらフィルター(濾過装置)は、こうした事を念頭においた上で、使用するべきだろう。
 自分の耳を信じて、自分の聞こえ方を基準に、ギリギリに設定するのは禁物。
 自分よりずっと聞こえる人、自分よりずっと聞こえない人、がいる。 良い意味で、もっと適当(アバウト)に、ザックリと、やった方が良い。

 他に。
 ハイでもローでもない、可聴域内の特定の周波数帯の音を通し他を減衰させるバンドパス・フィルター。
 逆に可聴域内の特定の周波数帯の音を減衰させて他の周波数帯は通すBEFことバンドエリミネーションフィルター。もしくはバンドリジェクトフィルター。 さらに帯域が狭いノッチ・フィルター。
 棚のように、ある周波数より上をパスしたりカットしたりするハイシェルフフィルター、またある周波数より下をパスしたりカットしたりするローシェルフフィルター。
 これら、フィルターによる音作りは、あまり神経質に緻密に拘ってやった所で、仕方がない。 一人でやる場合は。
 複数名エンジニアがいる状態で色々あれが良いこれが良いと議論して、チーフ(プロデューサー)が決定する、みたいなやり方ならばともかく。 一人でやる場合、己の耳がアテにならない。アテに出来ない。 これは、もう、しょうがない。 あまり、悩んだり考えこんだりしても、どうにもならない。

 あまり深く考え過ぎると、十年くらい前に、「もしかして、自分と他人とでは、同じ音楽聴いてても、全く違うんじゃないだろうか。世界観が違うんじゃなかろうか。。」みたいな、どうでも良い事で悶々と苛まれ、無限ループに陥る羽目になる。
 今なら、「・・・そんなの当たり前じゃん。視力、色彩感覚、人それぞれでしょ」と、アッサリ言える。
 それどころか、どんどん、可聴域や音量は老化して衰えていく事だろう。
 それは、そう言うもんなので、別に気に病む事はない。
 楽音さえ聞こえれば、日常生活に支障がなきゃ問題ない。

 


 僕が視力が悪くなった少年時代、目が悪かった奴、眼鏡をかけてた奴は、クラスで僕一人だった。
 当時はそれなりに悩んだけど、進級進学するにつれて、勉強読書ゲームなどで周りもみんな目が悪くなっていったので気にならなくなったし。
 現代でな小学生でメガネやコンタクト、珍しくもない。
 今時、メガネをオッサン的象徴、ガリ勉的象徴、ゲーム中毒的象徴、みたいに言う方が珍しい。 視力が良い方が特異だ。 また、メガネやコンタクトが普及し、ジンズやらゾフやら、かなり手軽に入手する事が出来るようにもなってきている事もある。

 補聴器も、もっと進化しないものか。
 日常生活において、余計な雑音騒音(幻聴?)が聞こえて、うるさかった、過敏過ぎた若い頃、子供時代に戻りたいとは思わない。 ただ、演奏時やミキシング作業時には、ちょっとくらい補助して貰えると、助かる。
 近年、科学技術の発達で、人間の動作をアシストする技術が発展してきている。また、電流を流してリアルな重さや感触を再現するVR技術も発展してきている。 例えば、耳に耳栓のように装着して、電流か何かを流して聴覚神経やら頭脳を刺激して、足りない分の聴覚・聴感をアシストする、的な。 

 「目が悪くなるから、本を読む(勉強する、テレビを見る、ゲームをやる、PCやスマホを見る)のを、控えなさい!」
  ・・・おいおい、どこの昭和の親御さんですか? てなもんで。
 「耳が悪くなるから、耳を使う事を控えよう。大事にしよう」的な発想は、僕の中にはあまり無い。
 別に、わざわざ爆音で聴きまくる、難聴になる、みたいな馬鹿げた事をするつもりはない。
 ただ、あまり、神経質になる気もない。
 どうせ、遅かれ早かれ、10年20年経てば、どんどん耳は遠くなっていく。
 たぶん、この少子高齢化の進む、世の中全体的に。

 それを踏まえて、どう音を作っていく、奏でていくか。
 問題は、それだけだ。



 
 本当に耳を大事にしたいなら、人工音、音楽リスニング装着やら楽器やら何もない、大自然の山奥で、川のせせらぎやら木々のざわめき、雨の音、風の音、虫の音、に耳を傾けて、暮らすのがベストだろう。
 僕は真っ平だ。たまに人工音、市街の喧騒、仕事に疲れた時の気分転換ならともかく。
 
 知人に、ライブ中でも人の声だけが聞こえる、という特殊な耳栓を開発した人がいる。いわば、人の声の周波数に設定したバンドパスフィルターだ。
可聴域を拡大・ブーストするようなものを作る(商品化する)事は、技術的に可能なのだろうか。
今度会ったら、聞いてみよう。

 
画一的な純物質と、豊かな混合物
我々の身の回りにある物の殆どは「混合物」である。 例えば空気は約8割が窒素で約2割が酸素、他にアルゴンや二酸化炭素などの気体(物質)が含まれている。海水も、水以外に、塩化ナトリウムや塩化マグネシウムなどを含んでいる。 そこから一つの物質のみを分離する事で「純物質」が作られる。
混合物から純物質を分離させる方法には、次のようなものがある。
(1)濾過 濾材の穴よりも大きな固体の粒子を液体または気体から分離する方法
(2)蒸留・分留 沸点の違いを利用して分ける方法
(3)再結晶 温度による溶解度の違いを利用して不純物を取り除く方法
(4)抽出 ある液体に、目的とする物質を溶かし出して分離する方法
(5)昇華 昇華しやすい性質があるものを、混合物からその性質を利用して分離させる方法。
(6)クロマトグラフィー 吸着と溶解の差を利用して分離する方法。  
など。




ところで。
 音響、数学、信号処理、電気工学およびその他の分野において、正弦曲線(せいげんきょくせん、sine curve)もしくはシヌソイド (Sinusoid) と呼ばれる、正弦関数として観測可能な周期的変化を示す波動のことを「正弦波」という。
正弦波は単一の周波数成分のみを持つ波動であり、厳密な意味では自然界には存在しない。 しかし、一般の物理学や電磁気学、音響学などでは、観測されるべき波動(すなわち上記の基本形・一般形で表される波動)の振幅が、付随される雑音に比べて十分に大きい場合、これを正弦波と見なすことが多い。
人の耳は単一の正弦波を認識することが出来る。なぜなら、そのような波形を持つ音は人には純粋な音高の音としてはっきりと聞こえるからである。純粋な正弦波に近い音には、口笛や音叉の音がある。このように正弦波として聞こえる音は純音と呼ばれる。
音波が2つ以上の正弦波によって構成される場合、その中で最も周波数が低い正弦波を基準として、その他の正弦波の周波数が基準となる正弦波の周波数の整数倍で構成されるときは、その音波の波形は周期的な交流波形となる。この音は、人の耳には楽音または単音として認識される。それ以外の2つ以上の正弦波によって構成される音はノイズか和音、ないしはうなりとして聞こえる。

純粋な正弦波の(それに近い)音、純音は、自然界には存在しない。  だから、人為的に、いくつもの正弦波を混合した音を作る。  その中で、ノイズでも、うなりでも、和音でもない、ある特定の人間の耳に認識出来るような音を作りだす装置と行為が、楽器であり演奏である。
我々、プレイヤーの目線では、普通に演奏したら単音が出て、それをいくつか「ある一定のルールに沿って」鳴らしたり重ねたりしたら和音が出来て、ピッチが悪けりゃうなりが生じて、そもそもルールを感じさせないような重ね方したら不協和音やクラスターが生じる、そういう順番になる。
正弦波(せいげんは)は、時間経過にしたがって振幅が三角関数の正弦関数に対応した変化を示すもの。英語では、sine wave と言う。 あの、僕の苦手な、よく分からなかった(いまだによく分からない)、サイン・コサイン・タンジェントの、あのサイン(正弦)だ。
・・・そもそも、三角関数が、というか関数というものが、現状、よく分かっていない。。。orz 
 昔、どこから分からなくなっているのか、どこでバグが生じてついていけなくなったのか、それが分からない。
 4月から新年度スタートしたETVの番組をみながら、順番に勉強していくしかない。

 この正弦波ではない波形として、三角波、短形波(方形波)、ノコギリ波、パルス波、といったものがある。いわゆる機械的な音(シンセサイザーっぽい音)、だ。これらは機械によって人工的に作り出された、正弦波でない波形を持った音だ。これが装置やらスピーカーから出力され、空気を通して、「正弦波を認識する」人間の耳に届いた時、ある音高として聞こえる。その過程で、人間の耳に聞こえるような正弦波の音になる、訳だ。  楽器による楽音との違いは、混合の程度(純度)の違い、だ。
 厳密な意味で、純度100%の純音を耳にする事、純度100%の非正弦波の音を耳にする事は、まずない。  無響室と呼ばれる「ほぼ」残響がない特殊な環境とか、そういう所でさえ、ほぼ、であって。 我々、一般人が生活したりリスニングしたりする環境では、もう少し純度は下がり、混合する。
 



 ところで、純粋な正弦波(に近い音)には、倍音と呼ばれるものは無い。  倍音は自然共鳴音であり、基音の周波数の整数倍の周波数の音が基音と同時に(時には一部基音より大きく鳴って)聞こえる、というものだが。  この倍音をほとんど含まない音、つまり、正弦波に近い音を出すのが音叉だ。
 楽音の中で最も基本になるのがノコギリ波だ。波形が鋸の歯のようになっているので、この名がある。 ヴァイオリンや金管楽器の波形はこれに近い。鋸歯状波には基音とすべての倍音を含み、高い倍音ほど振幅が漸減し、第n倍音の振幅は基音の振幅の1/nである。
 波形が「己」の字を横にしたような形をしているのが矩形波である。クラリネットの波形はこれに近い。基音と奇数倍音だけが含まれ、第n倍音の音波の振幅は1/nである。
 波形がV字型をしているのが三角波である。基音と奇数倍音だけが含まれ、第n倍音の音波の振幅は1/n²である。これは矩形波の時間積分した波形が三角波になるためである。
 
 基音+倍音。
 これが、一般的な演奏家の考え方だ。特に倍音を中心とした造りになっている金管楽器、バルブ楽器は、そのように考えがちだ。
が、聞こえる音(楽音)には様々な波形が、成分が、混ざり合っている。吸い込む空気の中に、酸素以外に、窒素や二酸化炭素やアルゴンが混じっているように。
 音楽においては、ここちよい美しい音とそうでない音を区別する言葉として、楽音(がくおん、英: musical tone)と噪音(そうおん、英: unpitched sound)がある。  
 望ましくない音、楽音であっても聞き手が不快あるいは邪魔だと感じる音は騒音と呼ばれる。
 意図的に発声されたものでない音、空気音、呼吸音、その他は、雑音と呼ばれる。
 ・・・まぁ、ミュージシャンとしては、あまり雑音(鼻息だとか、楽器にボタンやベルトが当たる音だとか)や、騒音と思われてしまうような音は出したくない、気をつけたい所だがw

 楽音と噪音の違い。
 楽音は、歌うときの人の声や、楽器の音の多くのように、倍音(基音の整数倍)以外の上音がほとんど無く音高(音の高さ)が強く感じられる音をいう。
 倍音以外の上音を多く持ち音高を感じさせない音を噪音(そうおん)という。打楽器の音のほとんどは噪音かそれに近い音である。シンバルのような剥き出しの金属で出来ている楽器は、内部で響く(音を整える)構造を持つ多くの楽器と違って、様々な音が放射される。だから、通常の人間の耳にはピッチが聞き取れない。  
 ・・・が、たまに例外がいて。昔、耳の良い(絶対音感を持つ)仲間がシンバルの音を言い当てていた。子供の頃からの訓練で、聞こえる全ての音を十二音の型にはめてしまう。  きっと、沢山の音の中から、最も良く鳴っている音を聴きとり、それを十二音のどれかに当てはめるのだろう。羨ましい、というよりも、むしろ、難儀な事だなぁ、それはそれでシンドイだろうな、と思ったものだが。
 こういう耳の持ち主(可聴音の全てを十二音で認識してしまう耳)の場合、ピッチの分からない音、つまり、噪音が無い、という事になる。  楽音(意図的に発声される音楽的な音)か、騒音か、という身も蓋もない分割となる。うなりを生じるような音、つまり悪いピッチの音も騒音である。
  比較的、雑音や騒音、噪音に寛容な人。アレルギーを持たずに済むような人が、ジャズという音楽に対する毛嫌いのない人、ジャズへの適性のある人だ、という気がする。 アンコントロールな、うっかり出てしまった音について、キッと睨んだりせず、ニヤっとしてしまう、出来るようなタイプ。
 客席の騒音については神経質な癖に、自分自身は堂々と騒音(よがり声)を出しまくったりしてる某世界的ジャズ・ピアニストとか、いないでもないが・・・w
 あれを、許せるようになる、気にならなくなる、むしろ無かったら物足りなく感じる、ようになると、美しい楽音を堪能出来るw
 現代においては、サンプリングなどで、川の音だの風の音だの電車の音だの、様々な音が、意図的に用いられている。広義の楽音、或いは噪音、という事になるか。
 まぁ、完全協和音程・不完全協和音程・不協和音程とかと同じで、ちょっと歴史的な区別の仕方ではあるかも知れない。





 指練しながら、Cubaseのノウハウを紹介する動画を色々とみているのだが。  
 例えば、音にフィルター(濾過)をかけて加工するとか。  生ドラムセットの叩きだすグルーヴを「抽出」して打ち込みドラムに適用する、とか。  サンプリングで、騒音を加工して噪音化・楽音化する、とか。とにかく色々な事が出来る。
 というか、サンプリングで、缶を開ける音を採取して、それにピッチを与えて、変わった音色の楽器にするとか、こんな事あんな事、いろんな事が出来るらしい。  いや、漠然と、機械で色々な事が出来るという事は知っていたけど、具体的に知っていくと、やっぱり驚く。

 MIDIというのは整式で言う所の(定数項でない)項でしかない。  変数に特定の値を与えて、初めて音になる。  その特定の値が、音源に入っている様々な楽器の音色だ。  最初から与える値を決めている(指定している)ものが、インストゥルメント・トラックだ。
 基音・倍音・上音という音の地層・大気圏。  
 波形という音の組成。混合と純度。  
 人間の聴覚や脳による聴感。   
 それらを物理的に作り出す電気的な装置。  
 演算。  

 ・・・・やっぱり、並行して、理数系の勉強はしていかなきゃならないな。その考え方の応用・転用が、音を探すのに必要。
 





 

 化学。物理。生物。地学。数学。
 ・・・まさか、あの、僕にとって謎の呪文、サイン・コサイン・タンジェント が、ここに来て、僕の仕事に必要不可欠になってくるとは思わなかった。
 必要を感じられたので、どうにかしていかなきゃ、と思う。

 ・・・あ、今の所、英語の必要はあまり、いや、ゼンゼン感じてないw  
 アメリカという国の固有の伝統的文化としてのジャズ(純物質)は、それなり興味や関心はあるけども絶対だとは思っていない。そこから日本をはじめ世界中の音楽と混合していった、混合物としてのジャズが好きなわけで。
 何のノイズも噪音も、倍音すらも含まない、音叉の音色のような、純度の高いジャズには、電気をつける時にエジソンに抱く程度の敬意や感謝の念は持つけども、それ以上は、特に感じない。  
 なので、今のところ、英語は、まだ「・・・それ、要る?」なものでしかない。 今のところは。 

 


 英語は分からないが。
さすがにキビキビしてるイギリス英語と、だらしない感じのアメリカ英語とで、発音が違う事くらいは知っている。きっと世界各地からの移民が、各地の言葉が、混じった結果だろうが。
今は、どうなんだろう。
 20世紀後半、メキシコを始め、中南米から流入しているヒスパニック系が黒人よりも多い。世代交代や混血も進んでいるだろうし。 だいぶ、そちらよりに訛ったり、言い回しや言葉が出てきたりしている、少しずつ変わって来ているんじゃなかろうか、と。 

 英語(やその発音)は、果たして、どの程度「要る」ものなんだろうか。 たまに、セッションその他でガイジンさんがやって来るが。 一応は、出来る範囲でコミュニケーションはとろうと思うのだが。 「私、日本人ね。英語全然わからなちあるねw」て事になってしまう。
 ジャズやってる人間が、誰でも英語使える、英語を勉強しようとしてる、と思ったら、大間違いw

 それとも、アレか。 国策で、「訪日客増やそう、国民総おもてなし接客業化」ってんで、どこでも英語でおもてなししてくれる、とか、そんな流れか? そうなってくると面倒だ。
 
 2020年に向けて、いや、少子高齢化の進む国の将来に向けて。
義務教育での英語授業を進めたりしているらしい。
仕事をしてく上で、生きてく上で、いよいよヤバい、と感じたら、多分英語を勉強し始めると思うが。
当分、国外どころか、自宅を出る事すら、少なくなる。

 


 
 ブレグジットやら、トランプやら、保護主義台頭やらで、グローバル化の時代が終わった感がある。 経済系のニュースを見ていても、世界展開どうのこうのではなく、いかにして技術の移転流出を防ぐか、二国間交渉を不利益にならないようにするか、みたいな話ばかりしている。
 流れ的には多文化コミュニケーション、ボーダーレス、それによる混合、化学反応(ケミストリ)よりも、分離による純化、固有の特色の精製、そんな方向に進んできている気もする。 トランプというのは顕在化に過ぎず、潜在的には、保護主義・自国第一主義というのは様々な形で出てきてたかも知れない。

 アメリカの(保守的な)ジャズ自体は嫌いじゃない。 ただ、アメリカ至上主義、アメリカ第一主義、他の(日本をはじめとする外国の)ジャズを眼中に入れてない、保守本流派の姿勢は、気にいらない。 「アメリカのジャズでないもの、ジャズに非ず」と言わんばかりの驕りを感じる。
 何かと話題に出る、○サリスだが。彼のやってる保守ジャズや演奏は、音楽として嫌いじゃない。
が、ひたすらエスタブリッシュメントを目指す彼ののたまう屈折したジャズ史観、Blues と Swing という、白人が作ったものを、「実はルーツは黒人だった」みたいな歴史修正主義。
 共和党支持者で、今回のトランプ大統領の選出にも貢献したであろう、彼のアメリカ至上主義、自国第一主義・保護主義については、あまり肯定的ではない。
初の黒人大統領オバマ政権下ではあまり目立たなかったが、こうなってくると、「あ〜、成程。」と、腑に落ちてくる。言葉に出来る。
 音楽家としての彼の音楽性については、色々あるが、僕は否定的ではない。むしろ、真摯な取り組み方や技術には、普通に脱帽するのみ。 しかし、彼の進める、ジャズ画一化とか、黒人由来説には、全く賛同しない。

 音叉の音色には、感動しない。 シンセっぽい音には、テクノ世代、ファミコン世代として懐かしさは感じるが、やっぱり特に感動しない。 純度の高すぎる音は、あまり好きでない。 やはり、適度の噪音や騒音、雑音があった方が、豊かになる。
 聖と俗。
 秩序と雑然。
 理性と感情。
 混合あってこその豊かさ、だ。
 色々違って面白い。
 別に「反体制こそ正義だ!」みたいな古くさい全共闘世代みたいな事を言うつもりはないし、少し前の綺麗事だらけの理想主義みたいのも良いとは思わない。同じ花を見て同じ意見を持つ必要は無い。
 
 勝手にすれば良い。 誰かに指図される事も、指図する事もなく。合わせたかったら合わせりゃいいし、合わせなくとも良い。
 KYが問題になったり、忖度が問題になったり。 どうせ、また、すぐに変わる。
お一人様ブートキャンプ
今日は、ちょい久しぶりにウッベ基礎練をやったり、頼まれていた(のを忘れてた)アレンジを進めたり、した。
(この辺りの枠は最近はDAW作業枠になってる)
くたびれたけど、何とも言えない充実感がある。」
毎年の事ながら、ジャズ研やら音大やらでジャズをやり始めた連中に勝手に張り合ってるw

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始めたての時の、独特の、集中力とやる気。
・・・分かる。
でも、頑張る事において、負けたくはないのだよw

半ば強制的にやる気が減退させられる、梅雨〜夏場に入るまでは、むちゃくちゃ頑張る。
で、湿度と温度の高い、著しく意欲が損なわれる季節は、この時期の「貯金」で乗りきる!w

時間割を決めて取り組む。
55分で収まるように、練習メニューを組み、各パターンを消化するのに費やした分数をメモって目安にしている。
なんか能率の悪い、身が入ってない時は、グズグズして、予定通りにこなせない。という事が一目で分かる。
残りの5分で内容メモ、一服・トイレ・水分補給など

曲の練習、ピッチやフォームの強化を兼ねているウッベの時等は除き。指練の時など機械的なトレーニングをやる際は、DAW関係のノウハウ解説動画や教育系テレビ番組などを見ながらやってる。
食事・休憩中に録り貯めた未聴の音源やラジオ番組を聴き流しつつ、マンガでも読んだりする。

いわば、ひとりブートキャンプ。
他人(コーチやら教官やら)から、「頑張れ」「まだまだ、やれる! もっとだ」みたいな言われると、(言われるまでもなく、ギリギリまで頑張ってやってるっての!)とか苛立たせられるし、むしろやる気が萎える、ヘソマガリな難儀な性格。
でも、一人で、勝手に、マイペースでやる分には、結構頑張れるw

とにかく、練習は楽しく快適に。
なるべくストレスを感じないように、ゲーム感覚で取り組むが吉。
無駄に思いつめてシリアスにやった所で、「なんか、やったような気分☆」とか自己陶酔感は味わえるかも知れないが、実は淡々とこなすのと大して変わらない。

 


そして、朝。
こうして、BGMにお気に入りCDをかけつつ、寝る前に寝落ちするまで呟き散らした事をブログにまとめる(たまに、なんで
あーいう事を呟きちらすかな、、、と自省したりする)所から一日が始まるw
さぁ、今日も一日頑張ろう☆
理数系的な論理 ニガテを克服
 もうすっかり錆びついてしまっているが。 昔、子供の頃、少しだけソロバン(と暗算)をやった。
 あれは計算だ。 どんな数が来ても、どんな順番で並んでも、上から下まで順番に計算していく。その精度と速さを磨く。そういう技術だ。 「どんな曲が来ても演奏する」演奏者のメンタリティに似てる。
 四則演算とか、算術演算ともいう。
 定数の、二項演算に特化している。分かっている因子、数字に対して機能する。

 変数を用いる論理演算。方程式とか関数とか、そういうのが、とにかく弱い。非理数系的であると同時に、非論理的だ。
 変数に、ひとまずの仮の数値を入れて、計算して、ひとまず答えを出してしまう、とか。
いちいち全部広げて、俯瞰して、並べて、数える、とか。
そういう原始的なやり方を(それで可能な範囲で)してきた。
・・・この独り言のように。
そういうやり方が出来る範囲に留まってきた。

 少しは、論理演算が出来るようにならないと。 せめて高校レベルまでは。 大学院生レベルまで必要ないが。基礎的なレベルまでは、身につけておかないと、根本的な部分で、どうにもならない。

 演奏する上で、奏法とか理論とか組み立てとか云々する前に、まずは体力。ピッチ。みたいな話。
 どんな格好の良いフレージングやラインでも、タッチやピッチやリズムがヨレヨレのグダグタだと、どうにもならない。格好がつかない。格好つけられない。何とかかんとか(身の丈にあってない、不似合いな)演奏するのでやっと、になる。
 逆に、基礎がみっちり出来てれば、何をしても形になる。

 基礎がないと、「誰それさんのカッコいい台詞や口癖を真似してみました。どうです、似合ってますか?」になってしまう。
 基礎があれば、「別にカッコいいかどうか知らんし、そんな事はどうだって良いのだが。 とりあえず、俺は、こう考えて、こう言っとるのだ」という事を自己主張する事が出来る。


 

 現時点では、経験論に基づく主観と置換でしか、物を言えない。
 100パーセント、独断と偏見だ。 
 論理や根拠がない。いや、それなりのソースはあるのだが、組み立てて披露できるようなもの、「整式」にまとめる力が無い。
 有無を言わさず現物で、論より証拠で、能書きより実践で、やってきている。
  
 「大勢の敵でも、狭い路地に誘い込んでしまえば、一対一にしかならない。各個に順に撃破していけば良い」という理屈で。
複雑な難問でも、細かく砕いて分解してしまえば、瑣末事になる。大した事でなくなる。プレイヤーはそれで良い。
問題は、大した問題でなくした後、組み立て直して、製品に戻せなくなる事。

 「どって事ないべ」と言う、言える所まで、問題を小さく圧縮してしまう。
  「何のこれしき」 「誰でも出来る」 「もっと、もっとだ」 と、取り組んでくうちに、本当に何でもないような事になってしまう。
 誰か、どこかが、辻褄を合わせて、価値を維持してくれる、担保してくれる前提なら良いが。
 それがなければ、毎日数時間、数ヶ月かけて、身につけたものが、湯水のように消費されていくのが現状。というか、どんどん暴落していく。

自戒を込めて言うならば、職人気質の(あまり商売っ気の無い)ミュージシャンは、気をつけないと、容易にブラック労働にさらされてしまう。
 自分が、その日に、何時から何時まで、どのような事にどのくらい取り組んだか、日誌をつけとくと良い。
 練習、譜面書き、勉強、何でも良い。
 とにかく、取り組みを可視化してみる事。
 そして、それに対し、時給をかけてみよう。
 そして「事業主の自分」は、雇用者である「ミュージシャンの自分」にそれをペイしなきゃならない、と考えてみよう。

 どんだけ、「事業主の自分」は、「ミュージシャンの自分」にサービス無償労働させている事か。
 ミュージシャンとしての自分、ベーシストの自分、作編曲家の自分は、とにかく無邪気に好きなだけ存分に弾いたり作ったり出来りゃ文句ない、それだけなのだが。
せめて、「事業主としての自分」がそれを守ってやらなければ、反映させてやらなければ、どうにもならない。

 「ミュージシャンの自分」が、音楽のことで頑張る、努力するのは、当たり前だ。
 というか、放っておいても、それしかしようとしない。何をやっても、全てを音楽に結びつけようとする。勝手に次から次へと、取り組むものを見つけて、取り組んでいく。
 だから、別に放っておけばよい。それで問題ない。

  しかし「事業主としての自分」は、もう少し、いや、かなり反省した方が良い。
 「ミュージシャンとしての自分」に支払ってやるべきだった、彼が練習や勉強に費やしている時間や経費に対する正当な報酬を。
また、それを確保するために必要なルーティング、マネジメントをサボり。
 考えなしに、捨て値で適当にさばくような無責任な真似をしていた。
 




 無闇な安売りはすべきでないが。特に、多売の出来ない薄利な叩き売りは、してはいけない。
 諸般の都合で、あまり無闇に動き回る事が出来なくなった。 つまり多売戦略はとれなくなってきた。
 そうなってくると、これまでのような、考えなしのガムシャラなやり方では、どうにもならない。
 
 「いや、まぁ、音楽やれんなら、別に何だって良いっすよw」 とか言ってるミュージシャンの僕の好きにさせとく訳にいかない。
 コイツの好きにさせてしまうと、どうにもならない。
 ・・・かといって、コイツは好きにやらせないと、無理やり抑えようとすると暴発する。

 「いや、頑張りゃ、良いんすよ。ゴチャゴチャ考えてねーで、正面突破で、ガツっと...」
 だから、駄目だって。そういうの。

 音楽そのものの話、現場に立ってる時ならともかく。
 それ以外の時は、コイツの能天気な話や判断に耳を貸しちゃならない。
 アテにならない。論理的根拠がない。

 何のスキルもない、高校生アルバイトを移転作業に雇うのだって、日給6000円くらい、時給1000円くらい、かかる。
 人に何かさせる、人を動かすというのは、そういう事だ。
  果たして、「事業主の自分」は「ミュージシャンの自分」にどれだけ払えるのか。
 言い換えれば。「事業主の自分」は、「ミュージシャンの自分」の音楽に対し、彼の活動ややっている取り組みに対して、それを把握して、いくらくらいの値をつけているのか。どのくらい支払うべきだと思っているのか。
 それが可能なように、条件を提示して交渉するなり、それは出来ないと断るなり、するのが、事業主の自分の仕事だ。

 これまで自分が費やしてきたものや積み重ねてきたものに対して、高校生の小遣い稼ぎと同じ程度、それ以下で良い、「その程度のもんだ」と思えるのか。
 音楽を、引っ越しバイトよりは価値の低いもの、と思えるのか。
 僕はノーである。そこまで、卑屈にゃなれない。

 「そんくらい、時間外で自腹きってやっとくの、当たり前だしょ。皆そうなんだ。甘ったれてんじゃないよ」というブラック事業主でありたいのか。
 それとも、 「お疲れ様。かけた時間や経費についてはしっかり払うから。頑張ってくれたから、色つけとくよ☆ 」という良い事業主になりたいのか。
 もし後者でありたいならば、当日の拘束時間や内容に、維持や開発に費やしているコストも含めた金額で、考えないとならない。 どうあっても回収出来ない、その見込みのつかないようなものは、仕分けをしていかねばならない。
 つまり、プロフェッショナルとしてシビアな選択をしなくてはならない。




 周りはみんなこうしてるんだから、という横並び話法。
 昔からそういうもんだった、という、しきたり話法。
 それらは、供給する側(サプライヤー)と利用者(ユーザー)の、提供し対価を支払う、という事になんの関係もない。
 全く別の話であり、論理的に成立していない。
 変に空気を読む、今はやりの忖度など、してはならない。グダグダになる。
 

 もし仮に、本当にどこでも皆同じ、業界の相場となっているならば。
 それを納得したり受け入れたりする必要は無い。
 むしろ、そのようなブラックな業界に留まり続けるのが必要な事かどうか、自分やその取り組みに対して誠実かつ適正な事かどうか、再考すべきだろう。
 ハコ的、業界的な、流れとか慣習に、その言い分・論理に、ただただ流されたり浸かりきる事に、意味も利点もない。
 
 音楽を楽しくやる(やれる)のは当たり前。 楽しくなければ音楽じゃない。
 何が提供出来るか、それに対してどのくらい対価を支払えるか、それがプロフェッショナルだ。
 プロフェッショナル的にやれないなら、「気持ち」とか「奉仕」になる。

 ミュージシャンは(ミュージシャンをやるような人間は)、大半が、放っておいても音楽をやってしまう、ある種の病気を持っている人種だ。
少なくとも「嫌いで嫌いで仕方ないけど、苦痛なんだけど、仕方なく音楽をやってます」みたいな人間は、これまで出くわした事がない。
 だから、特に理由が無い限り、勝手にいつでも楽しく音楽をやっている。
 音楽をやる事自体は、いつでもどこでも、楽しくやれる。

 昔は、とてもギャラの高い店とかで、ミュージシャンに店側の都合で、ミュージシャンかやりたいのとは別の音楽を無理してやって貰ったり、というのがあった。 
 どんなにギャラは良くとも、そういうとこで、自分がやりたいのとは違う(柄にもない)プレイばかりを要求されたりガマンしてやったりしていたら、欲求不満が溜まる。
そういう時に、「ウチは大したギャラは出せないけど、、、好きなようににやってよ」と言われたら、ストレス発散になる。
 ひと昔、ふた昔前ならインディーズ系というか、アーティスト支援してます系のお店というのは、そういう相対的な意義とか価値観があった。
 しかし、今では、ミュージシャンの演奏内容に細かい要望をつける店とか、殆どない。 大体どこでも、ミュージシャン側の好きなように出来る。 そうなってくると、「大したギャラは出ないけど、好きに演奏出来る」なんて事は特にメリットでもなんでもなくなってしまう。存在価値がなくなってしまう。単なる金にならないショバというだけだ。 

 それだけならまだ良いが。何を勘違いしてるんだか、ミュージシャンに集客努力だとか、活発な活動(による宣伝)とかを期待・・・を通り越して、要求してくるような所まで出てきた。 あと、払うべきもんも払わないで、あーしろこーしろ、あーした方が良いこうした方が良い、とか注文やらアドバイスやら、してくる所まで出てきた。  
 何きどりだか知らないが、せめて、払うべきものを払ってから、言え。  
 一番、ミュージシャンを、その音楽性や努力を軽視し愚弄しているのが、こういう輩だ。

 音大生だとか若手とか、粋の良いのが文句の一つも言わずに二つ返事でやってくれる?
 右も左も分からない、必死な、チャンスを求めてがっついている若者達を、だまくらかしてタダ同然でこき使ってる事を恥ずかしげもなく引合 に出してきて、いったい何を言ってるんだか。
 「大ベテランの〇〇さんだって、こんくらいでやってくれてる」・・・そんな斯界の大御所の寛大さにつけこんで、しかるべき報酬も出さない事について、申し訳なく思うどころかアタリマエのように言う時点で、どの程度ミュージシャンを大事に思ってるか、どのくらいの価値だと思ってるか、計り知れる。
 
 たぶん、こういうミュージシャンを大事にしない所は長続きしないし、ミュージシャンへの報酬を(提供する音楽へのコストを)ケチるような所では、「不愉快なマイナス要因がなければ、いつだって楽しくやれるハズ」の音楽が、人的要因で、楽しくやれなくなってしまうおそれがある。
 そういう裏の話でムカムカして、クソみたいな楽しくない音楽をやるような事になれば、やればやっただけ自分がダメージを受けるだけ。 何一つ得るものがない。
 そういう事がないように、ミュージシャンの自分が常に気持ちよくベストを尽くせるように、事業主の自分はマネジメントしなくちゃいけない。

 


 その、肝心の、事業主の自分が、あまりに仕事をしてなさすぎる。仕事が出来なさすぎる。
 理性的な、クレバーな対応が出来なさすぎる。
 こうして、ちょっと間をおけば、「そういうトコには近づかない方が良い。距離をとった方が良い。」と当然の答えが出せるのに。
 いざ、って時についつい感情的な、適切でない対応をとってしまう。  あまりに口下手過ぎる。  


  「まぁ。そんなに、自分を責めない方が良いよw 簡単な話、もっともっと精進してさ、突き抜けるような所まで高めればいいだけの事だろ? 頑張るよ、俺w」
 ・・・いや、そういう事じゃなくて。
 
 なんやかやで、より感情的・衝動的・本能的な、ミュージシャンの自分に引っ張りまわされてしまう。制御しきれてない。  
 この能天気で考えなしなバカを、ちゃんと手綱をとっておく、説得・納得させられるだけの力が、コチラの自分には、無い。
 それどころか、ついつい一緒になって暴れてしまう。
 
 「ミュージシャンの自分」の方が、実動的で、行動して結果を出してきたという自負もあって、優位だ。  
 一方、マネジメントしてる方の「事業主としての自分」は、どうも弱い。 「どうせ俺は、落ちこぼれだしな。。。」的な引け目というかコンプレックス、いじけ癖がある。これはどうにかしていかなくちゃならない。




 この国で、生きてく上で、必要な普遍的な技術・知識・考え方を教えるのが義務教育だが。  
 仕事をしていく上で、必要な普遍的な技術・知識・考え方を教えるのが高等学校だ。  
 専門分野に進む上で、必要な普遍的な技術・知識・考え方を教えるのが大学だ。 

 高校で理数系単位を落としてる癖に、得意分野だけで独学でどうにかして、大学受験をクリアした。 まぁ、だから、結果オーライ、問題ない、と思ってここまでやってきたけど。
 まさか、ここで、音楽の仕事で、自分の人生に不要だと思っていた理数系科目のアレコレが必要になってくるとは。
 
 演奏や作編曲については、独学で、延々とやり続けてきた。  おそらく理数系な人、理論的なアプローチでやっている人とは、全く違う(殆ど反対の)独自の角度・視点から攻略してきた。(あくまで自分用のやり方なので人に教える時は普通の話をする)  しかし、DTMは、そういう訳にいかない。
 立体(3次元)を、取り扱う。 いや、もしかしたら、時空(4次元)かも知れない。 我々、演奏者は、演奏の場において、場面を平面的に切り取り、判断したり行動したりしている。せいぜい、写真や動画のように遠近法で立体感をシミュレーションしながらやる程度。下手すりゃ1次元だ。

 同時に複数の異なる音を演奏する楽器、ピアノやドラムセットの演奏者は常に3次元の中で3次元を意識したり表現したり、しているかも知れない。 だが、他は、アニメーション的な、平面の連続だ。DAWは、明らかに、ドラムやピアノの音楽の捉え方が基準となっている。
 これを、理屈で攻めるには、ユークリッドだとか、ニュートンだとか、トポロジーだとか、、、そっち方向の基礎的なスキル、つまり幾何学とか数学とかを、やりこまねばならない。
 いちいち歴史とか発見者とか背景とかやり始めたら「それ、何十年かかんの?」という話になってしまう。

一方、感覚的に、実践の中で体験していく中で掴んでいこうとするならば、ピアノ或いはドラムの基礎的なスキルが要る。
幸か不幸か、僕はピアノをやらずに譜面ソフトを使って勉強したり作編曲をしたりするようになった世代であり、ピアノはせいぜい和音を押さえるくらいしか出来ない。
 昨年、大体ピアノと同じ鍵盤サイズのMIDIキーボードを入手して以来、作編曲の入力デバイスやちょっとコードを確認する以外に、基礎的な指練やピアノ譜面を読む練習をコツコツとやっている。 譜面ソフトではなく、DAWによる音楽制作を習得してく上で不可欠だと感じたからだ。


 

 
 理数系、数学的、論理的な考え方。
 立体的、空間的、或いはそれ以上の、多次元的な感覚。
 こういう、苦手なもの、手つかずだったものに手をつけるべき時が来た。
整式とミキシング
 数や文字の積として表される式、単項式。
 単項式を+やーでつなげたのが、多項式。
 +やーでつなげるということは、単項式に正の数、負の数がかけられている、とも言える。
 5a - 3b + 4c を、5a と - 3b と + 4c に分けたとき、それぞれを項と言う。
 多項式の各項(単項式)を構成する因子において、変数(不定元)を除いた、定数等の因子の事を「係数」という。
 簡単に言えば、各項の中の(正負の)数字の事だ。
 中でも数字だけの項。それ自体で項全体となっている項(あるいは、形式的には 1に掛かっている係数)を、特に定数項と呼ぶ。
 未知あるいは不定の数・対象を表す文字記号のことを、「変数」という。
 同じ文字(変数)による積は、「次数」によって表される。
 多項式は、その中に含まれる最大の次数により、◯次式と呼ばれる。
 同じ次数の同じ文字を持った項を、「同類項」と呼ぶ。同類項同士は加減が出来る。
 
 同類項は出来るだけ計算してまとめていく。
 また、アルファベット文字による変数はアルファベット順にまとめていく。
 また、次数が高いものから順にまとめていく。
 そうしていく事で、多くの項が雑然と散らばった長い式は、コンパクトにまとめられて(整理されて)いく。
 これを整式という。
 PCで言うデフラグみたいなもの。
  整式にする、という処理をしておく事で、変数の数値が与えられた時、速やかに計算を行う事が出来る。




 ミキシングというのは、整式にする作業だ。
 その後、変数(どんな音楽嗜好を持つ人が、どんな場所や環境で、どんな時に、どういう風に、何のために、聞き、どう受け取るか)によって色々と効果は変わるにせよ。
それ以外の定数的な部分、送り手側・発信する側の意図については、しっかりまとめ、確定しておかねばならない。

 非理数系で40年くらい通ってきた僕だが。加減乗除や一次方程式など、いま目の前にある事の計算(算数)までしか出来ない、それに全力を尽くす生き方をしてきた。数学とか理科とか、自分が生きてく上であんまり関係ない事だと思ってきた。どちらかといえば歴史とか地理とか社会方面に偏ってきた。
 物事にあたるとき、由来、成り立ちや経緯、現状、経験則などを把握する事で、俯瞰してみたりする事で、取り組んできたが。どうしても、現場叩き上げ的になってしまう。昔から今までやってきた事、積み重ねてきた事の延長線上にしか先が見出せない。一方向的だ。 また選択肢や可能性に、自分の趣味や主観によるバイアスがかかる。

 昨年の後半から、DTMというものに少しずつ手を出して。 そもそも、変数とか関数とか正弦波とか、理数系の用語や概念がサッパリ分からないw
 ので、DTMのレクチャー動画と並行して、理数系の番組とかも、(ベースや鍵盤の指練しながら)見てきた。
 本(教科書や取扱説明書)は、理解出来なければ、先に進めない。進まない。 分からなくなったら、そこで止まる。 しかし、実践(現場体験)や動画は、こちらの理解度やペースに関係なく、どんどん進行する。 その効果を利用するのが授業というものだろう。
 しかし、アスペルとかADHDとかだと、大人しくお行儀よく何もしないでじっとしている(させられる)というのが苦痛で仕方がない。 例えば落書き、例えばマンガ、例えば工作、例えばゲーム、等。他の事をしながら、適度に自分勝手な事をやって気を紛らわせながらでないと、出来ない。
 授業中に、机の上に両足を乗せて、椅子をガタゴトやって、たまに落下して「お〜、痛え!w」とか一人で面白げに騒いだりしてるのも、一応本人の中では少しでも「他の事を何もせずにじっとさせられる」という堪え難い理不尽な苦痛を紛らわせながら、それでも何とか出席したろうじゃないか、という歩み寄りなのだが。
 まぁ、大概は、理解される事も無く。 鉄拳制裁くらったり、呼び出し指導くらったり、行儀が悪い、柄が悪い、態度が悪い、意欲が感じられない、などの全く的外れなレッテルを貼られたり、する。
  「上等だ、バカヤロウ。 こっちから出てくわ! けったくそ悪い!」 という事になる。
 そこら辺の恨み辛みも重なって、「大の理数系嫌い」を公言してきたが。
 さすがに四十路にもなると、多少は大人になる。あの時どういう事が自分や周りに起こっていたか、当時の状況こみで、冷静に判断する事もできるし、そんな昔の事にこだわり続けるのも、それで選択肢を狭めるのも馬鹿馬鹿しい。




 理数系は、特に数学やそれを応用する系の科目は、どこかで分からなくなったら、そこから先に進めない。躓きっぱなしになる。 歴史や地理なら、どこかで苦手な項目、分からない項目があっても、先に(他に)進めるのだが。
 だから、数学やそれに近い科目は、とにかく地道に、着実に、基礎からしっかり身につけていくしかない。

  ・・・まぁ、音楽や楽器もそうだが。
 僕の場合、前半生で、体験学習的に好きなだけ好きな事を好きなようにやってきた、遊びでやってきたので。
 「クリアした後のやりこみプレイ」的な感覚で、何度も(何周も)やってくうちに、効率的な方法を模索してくうちに「基礎や地道な積み重ねが大事」「無い袖は振れない(取り組んだ事以上のものは出て来ない)」「不思議なものなどない」という、面白くもない単なるアタリマエな事実に行き着いただけ。   

 数学とか、公式とか、何がつまらなかったか、というと。
 歴史的に、他の人達がプレイして試行錯誤してきた末に編み出され積み重ねられてきた「結果」、定跡とか理論とかみたいなものを、現代の視点で平面的に整理されて並べられてしまうからだ。
 「へえ、そうですか」「それはそれは」てなる。
 なんというか「ジャズというものを知りたいかい? なら、最初に聴くべき重要なアルバムを、詳しい僕が教えてあげるよ」とか語ってくるドヤ顔のジャズオヤジの垂れる御高説を聞くくらい、ウンザリな気分にさせられる。
余計なお世話だ。
 自分が何を聴くべきか、何が大事かなど、後で自分で決める。
 ・・・という性格は、人から学ぶ(人に教えを乞う)のに、全く適していないw
 だから、何でも独学で、自力で、ある程度まではやらなくちゃいけない。
 自分なりにやれる所まで行って、何が分からないのか、何を知りたいのか、分かってきて、固まってきて、それでようやく、人のやり方を聞ける。
 自分とは全く違うものを、一つの参考として聞けるようになるためには、そもそも、その必要・必然を感じるためには、ある程度まで自分でやらなきゃならない。僕の場合。
 四十路に至って。ようやく。 理数系のアレコレに対する興味関心が湧き、その必要性を感じ始めた。
  


 
 ミキシングとか音響に取り組んでいく上で、理数系の用語や概念、思考の仕方は、不可欠だ。
 ならば、基礎から学んでいくしかない。
 また、学べば、アプローチの仕方が変わってくるだろうし、これまで培ってきたものを違う形で活用出来るはず。

 同類項をまとめる、足したり引いたりする事は出来るが、違う項をまとめる事は出来ない。
 音量、定位、イコライズ、エフェクト。
 何を足し、何を引き、何を掛け、何を割るか。
 それらは、一つ一つは項。計算でしかない。より重要なのは式を作る事。つまり整式だ。
 イベント、パート、トラック、グループ。
 オーディオ・トラックは定数、MIDIトラックは変数だ。変数の値が音源(パッチ)だ。グループやフォルダトラックは括弧だ。ブーストするか、カットするか。足すか引くか、掛けるか割るか。
 いずれにせよ、=0(db)と決まっている式。



 
 
イコライズ 音のブレンド
Cubase本体より、ハリオン(ソフトウェアMIDI音源)の方がエフェクトの数・種類が多い。それに、音作りの設定を自作プリセットとして保存出来る。
基本的にはこちらで作って、インサートやセンドのプラグイン・エフェクトは、ミキシング時の微調整用と考えた方が良いのかも知れない。
20170418a.jpg

ベースの常識的な演奏音の周波数は
41.2Hz〜262Hz くらいだ。(人工ハーモニクスとかは度外視)
そして、ピアノのミドルC、ト音の下第一線、へ音の上第一線にあたる音の周波数も262Hzだ。
よく知られている通り、ベースの譜面は実際の音よりオクターブ高く表記されている。
実際にはテューバ等と近い音域(低音域)を演奏するのだが、表記的にはトロンボーンやユーフォニアム、チェロなどと同じ中低音で書かれる。
これは、歴史的に、コントラバスという楽器やパートがチェロの譜面をオクターブ低く演奏するチェロ・パートのオプションであった時の名残り、慣習だ。
ソロ等を除けば、ベースラインなど、伴奏ではあまり親指のポジションは使わない。
G弦第5フレットの音、通常のへ音譜面では第二間にあたる音が、131Hz。
それ以下の音を中心に動く限り、管楽器と鉢合わせる事はあまり無い。
つまり、41.2Hz以上、131Hz以下くらいが伴奏ベースの主な棲息地となる。
まぁ、使っても、せいぜい200Hz以下あたり、だ。
この辺りの交通整理を気をつけなくてはならない。




大譜表(ト音&へ音)。ピアノ譜などがこれにあたる。当然ミドルCを中心に演奏される事になる。右手のメロディ・フレーズも、左手の和音・コンピングも。 たまに五線を突き抜けて、加線を使うようなきらびやかな高音域を使う事もあるが。
ト音の真ん中が524Hz.
上第二線が1048Hz。
まぁ、常識的な演奏音というと、1.2kHz以下、という事になるだろう。ピッコロや一部のトランペッターなどの出す音域、いわゆるハイノートだ。
まずは、こうした実音の周波数帯の整理。

オクターブの音は、倍の周波数を持つ。
高音域になると、
1048Hz
2096Hz ← ここまでピアノ演奏可能音
4192Hz
8384Hz
16768Hz ← モスキート音レベル
 ・・・ となる。
4192Hzと8384Hz は、ピアノでは演奏出来ないが可聴域内。




 長年使ってきた(というか、今でも録音音源のトラック分割に便利なので使ってる)サウンド・エンジンについてるイコライザ(グライコ)の場合、
 62Hz  125Hz  250Hz  500Hz  1kHz  2kHz  4kHz  8kHz  16kHz
 で調整できるようになっている。
20170418b

 最初から自由に帯域を設定変更出来てしまうパラメトリック・イコライザ(パライコ)だと、こういう大まかな目安を把握してないと、グチャグチャになってしまう。
逆に、目安が分かっていると、グライコより音を変える自由度は高い。




 ちなみに。
 iTunesやiPhoneのミュージックでも、 「ツールバーの表示からイコライザ表示」や「設定>ミュージック>イコライザ」で設定出来る。PCのiTunesなら手動(自分で)設定出来る。
 が、それはあくまでユーザー側の設定で。作り手としてはフラットで考える。
 
 ・・・・・・あ、いけね。
 iTunesやiPhoneミュージックのイコライザ、プリセットのジャズに設定してたw (^_^;)
 フラットにしよう。




 こってり、トロトロこてこてな、豊潤でマイルドで濃密な味。。。
あっさり、スッキリさっぱりな、透明感のある喉ごし爽やかなクリアな味。。
ミキシングというものは酒造りみたいなものなのかも知れない。。。
 
 全体的に音圧を上げる事で、音量差をなくす事で、まろやかになるしボリューム感は得られる。が、もともとの演奏表現の味が平均化されてしまう。 一方、個々の楽器・演奏を、それらの持つ素材の味を鮮明に浮きたたせるならば音圧アップは最小限にしてフェーダー中心に進めるべきだ。が、音圧を上げたものに比べてボリューム感に欠けてしまいがちになる。
 あくまで相対的な話だが、限界まで音圧をアップするような、音量を均等化させるような音楽に比べると、質素に(痩せて)聞こえる。
 
 かといって音圧アゲアゲな、大音量なポップス系CDに張り合おうとすると、全体的にノッペリとした、抑揚の無い、つまらない音になってしまう。
アコースティックな音楽・楽器の醍醐味は、個々の演奏者による細かく多彩な表現、いわば「オートメーションの操作・変化」にある。それを潰すハメになる。


注文しやすい料理店
 どうせMIDIから作り直すなら。
 Cubase内蔵のソフトウェア音源(HALION SONIC SE2)のデフォルトのままの音色でなく、カスタマイズして、自作プリセットとしてセーブしておこう。 根っこの部分で音色を作っておけば、後でミキシングする時に加工しやすい。
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 ザッとマニュアルに目を通してみたけど。
 せいぜい、フィルターかけたり、イコライズかけたり、エフェクトかけたり、する程度で、根本的な音色(周波数、スペアナの曲線図)を改造するようなツールや操作法は見当たらない。 「音色の組成を組み替える事は出来ない」という事は、分かった。
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 数年前、自作曲のレコーディングをした時。 エンジニアさんや参加ピアニストに「音は後からどうにでも変えられる」と聞いて、そんなもんか、と弾いてみて。 その場でプレイバックとか色々と聞いたり、音を変えたりしたのを聞かせて貰ったけども。 「何か」が違っていた。
 その「何か」が分からず、当然、上手く説明出来ないまま、どうにか弾くだけ弾いて、「機械の分からん俺にゃ、どうにも出来ない。 全部お任せします☆」と、丸投げしてしまったのだが。
 今なら説明出来る。僕が望んでた「音を変えられる」というのは、周波数そのものを変える事、だった。

 たしか、ラインとマイクの両方でとって、ミックスして貰ったと思うのだが。
 その時、モニターのヘッドフォンから返される音に全く馴染めず、結局一人だけイヤモニ無しの暗中計器飛行をせざるを得なくなった。 当時なドがつくアナログ派で、ヘッドフォンはめて練習した事も無いし、慣れてなかった。
 要は、指板の音や骨伝導とかによる音とか、超リアルな(今で言えばVRな)音色だとか。曲の途中で、瞬間的に楽器を持ち替える効果とか。そういうものを求めていたし、そんな事も出来るんじゃないかと思っていた。
まぁ、アホだ。
 家を建てる時に「変形合体は可能ですか?」と尋ねるに等しい。




 「分からない」「知らない」というのは、本当におっかない。僕の場合とんでもないミスをしでかしかねない。だから、よく分からん事には手を出さない。最低限、何が出来ないのか、そのラインだけは知っていないと、実現可能な要望を出す事すら出来ない。 根幹的な部分が分かってしまえば怖くない。
 こういう作業や勉強に手をつけて、よく分かる。 あの時、エンジニアさんやバンドのメンバーが、どれだけ素晴らしい仕事をしてくれたか。
 僕の出した唯一の指示・意向を忠実に実現してくれた。 「どこにもない、どこでもない、口では説明出来ない、あり得ない、非現実的な作品にしたい」
 今風に言えば、VRだ。 目を閉じて聞いた時に、全く別の空間、どことはハッキリとは言えない、海原の船上だか、霧立ち込める山の中か、雲海を見下ろす山頂か、空の上か、とにかく、仮想現実的な感覚をもたらすような(少なくとも狭いスタジオとかジャズクラブとかホールとか、でない)感覚を。
 何を言ってるのか(言ってる本人にすら)よく分からないw
 ミキシングの、2トラックの基本からして、音像とか定位とか、ほんの少しでも分かっていたら、絶対にありえない類の発言だw
 しかし、何をどうしたのかサッパリ分からないが、本当にそうなっているから、凄いのだ。

 ピアノトリオなのに。 山中の音楽ホールに機材を持ち込んで。 全チャンネルを使い、20本くらいマイク立てて、空間の音まで拾って。 とりあえず、当時、可能な限りのお膳立てをして貰った中での総動員体制の中での録音だった。
 そんな半ばパニック状態の中、必死で頭の中に様々な事をメモってきた。
 ピアノの鍵盤を弾く音、椅子がギシギシ言う音、とか意外に拾ってしまうのだ、という事。
グランドピアノの場合、マイキングする位置によって、音が変わる。
反響板とか孔とかの至近距離の音と、本体下の音、少し離れた所からの音で、だいぶ違ってくる。マイクの性能や指向性の問題もある。
 
 思いきり気になったのが、低音域の音の渋滞だ。 普段、ライブでは、それなりに互いに気にするが。 録音なんだし。ドラムにがっつり遠慮なくバスドラを踏み込んでもらいたかったし、ピアノにもがっつり遠慮なく広いレンジの音域を駆使してもらいたかったし、僕も遠慮なく弾きたかった。
 それが、モニターで返されると、どうしても同じような周波数帯で渋滞してしまう。演奏出来ない。
 普段の演奏では、指板の音や、手先やカラダからの伝導、空気ではなく肉体を媒質とした聴覚も併用して使っているが、イヤモニだと、聴覚だけが増幅されてしまい、慣れていないと感覚が狂う。

 ミキサーを入手してからこの数年、むしろヘッドフォンつけて弾く事の方がずっと多いが。
 当時は皆無。というか、あまりにアナログの、生の響きに、慣れすぎていた。偏り過ぎていた。
 アレじゃ、録音は厳しい。 我ながらよくやったなぁ、と思うし。 他のメンツも(こんな僕に)よくやらせたなぁ、と思う。
 「アフリカ奥地の未開部族の戦士、都会に出て目を回す」みたいな、ドタバタ劇を展開するハメになった。
 客観的に見れば、中々面白い仕上がり、良いドキュメンタリー作品になった。
 何も知らない、分からない、シロウトだからこそ出来た挑戦、冒険だ。一発芸だ。
 だからこそ。 あれの再現は、難しい。
 昨年、数年ぶりに当時のメンバーでライブをやったが。
 どうにか、当時の奏法やらメンタリティやらを再現しようとしたが。
 やっぱり、色々とワザとらしくなってしまう。 白々しく、あざとい感じとなってしまう。

 

  
 ただ、いま思い返すと。 あの録音は、やっておいて正解だった。
 サラウンド、というより、VR的な効果を作り出すためには、何をどのようにすべきか、という実験的なものとなった。結果的に。
 
 たしか、あの録音の際、エンジニアさんとバイノーラル録音について意見を交わしたりした、と思う。
 バイノーラルの場合、その場に居合わせたかのような臨場感を再現できる。
 人間が音を聞くときには音源から左右の耳に直接届く音波だけでなく自分自身の耳たぶや体の各部によって複雑に回折・反射した音波も合わせて聞いていて、それらによって音源の位置などを知覚していると考えられる。これらの音波をすべてそのまま記録したものを左右の耳にステレオ・ヘッドフォンで聞けば、録音時と同じ音場を感じられるという理屈だ。
 それで、結局、あんな大がかりな録音になってしまったが。 ただ問題がある。 「その場にいるような臨場感」 その場、すら確定(固定)したくなかったw
 
 当時読んでいた本に、セレンディピティという言葉があったが。 人間は何かを求めた瞬間、望んだ瞬間、自分(の座標)を自ら規定してしまう。 強く求めれば求める程、望めば望む程、持っていない事・いまそうでない事をハッキリ自覚させられてしまう。そして、遠ざかってしまう。思いもよらないものに、偶然出くわす、という感覚。何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。 雲をつかむような話だが、それがまさしくコンセプトの作品だった。




 感覚と情報のリンク、同期、追従性、というか。
 あくまで主役は録音(方式)ではなくバンド、楽曲、演奏。
 プレイヤーやバンドの音に、リスナーが付いてくる(誘導される)ような形、ジェットコースターやトロッコに乗せられてるような感覚を。VRな映像やそれに合わせて動いたり振動する床のような感覚を。
 バンドや演奏者、作編曲者、ひいては僕と、リスナーとの感覚の、イマジネーションの、共有、同期。
 そういうものを実現化する(した)のがミキシング・エンジニアやプロデュースの手腕だ。
 僕は必死に脚本を書いて演じるだけだった。




 僕がミキシングしたりプロデュースしたりするなら、どうするか。
 
 「何でも出来る」のを目指して精進していくのが第一。
 そして、注文に慣れた制作企画者(ユーザー)には「好きに希望して下さい。出来る範囲で最善を尽くします」と言えるようになる事。
 さらに、不慣れな(何が注文可能か不明な)制作企画者に「こーゆー事やこーゆー事が出来ます。例えばAとかB、またCというのがあります。勿論それぞれカスタマイズ可能です。どういう方向が希望ですか?」と、大まかな選択肢(注文リストやおすすめコース)とそのサンプルを即座に用意して提示できるように、なりたい。
 そういう積極的なヒアリングが出来るようになるためには技術と知識が要る。

 なにしろイチから。基本から。しっかりと取り組まねばならない。
まずは2トラックの、普通の音作りを自在に出来るように。
20以上のマイクやチャンネルを駆使するようなハイレベルな芸当は出来ない。オーディオインターフェースの数、2チャンネル(+MIDIチャンネル)。今扱えるのこれだけだ。
 その中で、可能な範囲内で、如何に、音を作るか。  問題をクリアにしていくか。



データのセーブに要注意
あう!(泣)
ミキシング過程で、どんどん新しいファイルを作成してきて、どれがどれだか分からなくなってきたので。
最新のバージョンのデータを残して、削除したら。
オーディオデータの音がなくなってしまった。これは痛い。
幸い、MIDIデータは残っている(別の場所に保管しておいた)ので、バウンスから工程をやり直せば良いのだけど。
そういや『プロジェクトのファイルをどんどん新しくしていっても、オーディオ・データは古いもののフォルダに入っていく』と、どこかで聞いたが。 こういう事か。
あちこちの古いフォルダ内から、オーディオデータを参照していた形、だ。 今回のような事をしたい場合は、『プロジェクトのバックアップ』を行い、新規のフォルダに保存する。 そうしたら、そのプロジェクト(ファイル)で使用しているオーディオファイルが全部一つのフォルダにまとめられる。
知識として知っていた。 しかし、ピンと来ていなかった。 こうして実際に痛い目に遭って、ハッキリと意味が分かった。
今後は、散らかったデータを整理する時は(特にオーディオデータ化したりミキシングしたりした後は)、必ず『プロジェクトのバックアップ』を行おう。痛感。。。 orz
ゴミ箱にも残らず、跡形もなく消えてしまった。。。
残るは音の出ない、音声情報のない、空っぽのパートの残骸のみ。。。
もし、「念のために別に元データを保存」とかしてなかったら、と思うと。。。 恐ろしい。。。
逆に。 現在のフォルダとは全く別のフォルダに、現在のデータと繋がってない、新しいバージョンを作って、以降の作業を進めたい場合も、やはり、『プロジェクトのバックアップ』だ。
この呪文(キーワード)は、「Ctrl + S」と同じくらい大事だ。覚えておこう。

EQ、IQ、DQ
普段、我々ミュージシャンが使う音色とか、その元になっている倍音とか、周波数とか、実はあまり具体的な話でなかったりする。大雑把な原理と主観的な話しかしない。し、要らない。
しかし、スペクトル・アナライザーというツールを使えば、音色の成分が具体的に数値と波形で可視化される。

ヒトでは通常、下は20Hz程度から、上は(個人差があるが)15,000Hzから20,000Hz程度までの鼓膜振動を音として感じることができ、この周波数帯域を可聴域という。
cubase に最初から付属してるEQが、20Hzから20,000Hzで、この可聴域と一致する。
加齢によって可聴域は変わる。
老人には聴こえないが若者には聴こえる、それでコンビニ前とかにたむろする若者撃退に使われたりするモスキート音というのは17,000Hzだ。
FMラジオ及びアナログTV放送における音声信号の最高周波数は15,000Hzなのでモスキート音を体感できない。
楽器で、一番広い音域(つまり周波数域)を持つのがピアノだろう。
最低音Aで27.5Hz、
最高音Cで4186Hz
つまり、4186Hz以上の音は、演奏出来ない(弾く事が出来ない)が響き鳴る上位倍音(自然共鳴音)の音域となる。
ベースは、常識的な演奏音としては、4弦0フレット(解放)から最高音4弦17フレットまでで考えると、
41.2Hz〜262Hz
となる。
ピアノの方がずっと低音を出せるw




色々な定義があるが。
重低音というのは人間の可聴域以下、20Hz以下の音を指していた。(そうな)
それから、ベースやコントラバスには出せないけどピアノには出せる音域を含む30Hz以下を指す、というもの。
大型スピーカーの再生限界、音があることは感じられるが音程がよく分からない音。

ドラムのキック(バスドラム)は、楽器(のサイズやチューニング)にもよるが、20Hz〜6000Hz位の音を出すらしい。
一番大きいのは可聴域ギリギリの、いわゆる重低音と呼ばれる周波数の辺りで、個人差はあるが聞き取りにくい。キックのドンドンという低音感は50Hz〜80Hz辺り。
ベースの低音域(テーマやソロ回しの際のベースラインで主に使う音域)と、かぶる。
キックの胴鳴りは、200Hz〜400Hz。しかし、この辺りは、ベースの中音域以上とか、バリサクやトロンボーンなど中音域の楽器、ピアノの左手バッキングなどと、かぶる。

リズム隊のアンサンブルとは、音量バランスもさる事ながら、住み分け、領土(ナワバリ)や境界線の確保が、うまい具合に行ってるかどうか、による。 僕は、マーチングのバスドラ、テューバ、ベース、とひたすら低音域を住処としてきていて、感覚的にはこれらを兼任している、的な所がある。
スイングくらいからロックくらいまでは、ベースに求められているものの中にバスドラ的な役割があった。 かつて、初期スイングバンドで、ドンドンとバスドラが出していた4つ打ちを、ブレス不要のコントラバスが、テューバに変わってベースを担当するようになった時に4ビートが生まれた。
本来のジャズのリズムは、マーチ由来の2ビートだが。 この時代以降、ジャズと言えば4ビート、スイング、という事になった。

ほぼ必ずベース(ライン)を、バスドラ的なビートを必要とするモダンジャズ以前の音楽に対して。 それを必要としない音楽、ギター中心の音楽が出て来ると、これまで通りにキックの代理を務める在り方に加え、キックとユニゾンする在り方や、キックに力負けせずに低音ゴリゴリ増強していく在り方、というのが出て来る。
先述の通り。 僕は「バスドラ → テューバ → ベース」という遍歴によって、そういう感覚をもって弾く事が中心。
だから、基本的には、低音域でビートを打ち出す。 いつもそうだが、ドラムレスや殆ど足技を使わない(ごくたまに入れる程度)なドラムとやる際は、ベーシストというより(バス)ドラムのつもりで弾いてる、事が多い。 後は、アンプをガンガン使ってロック的に(メロコア的に)弾いたりする事もある。

ぶっちゃけ、感覚的に全く分からないのが、ラテン系音楽、というヤツだ。
ジャズでよくやるジャズ風ラテンとかなら、分かる。
しかし、ガチのラテンというのは、良く分からない。
というか、今の所、あまり興味関心が沸かない。 ほぼ手つかず、と言って良い。
理由は簡単だ。
ベース的に、面白くない。
なんというか、バンド全体を裏から操作・支配できる手応えに、欠ける。
エレベ奏者がハマるのは、なんとなく分かる。 そもそもエレベにバスドラ的な役割が期待される事は、通常無い。 アタック感が、ウッベに比べて、無い。
 ウッベは、エレベよりも、バスドラに近い。(実際アンプが使われるようになるまで、レコーディングでうまい事マイキングされてミキシングされるようになるまで、ベースなどパンパンと叩いてカッティングギターやバスドラの出すリズムに余韻を出す楽器でしかなかった)

そんな僕の知り合いのミュージシャンに、何故かラテン方面で活躍中の人達が多いのでw
 いずれ機会があれば、いまデジタル音楽制作に取り組んでるみたいに、腰を据えて、徹底的にラテン音楽に取り組んでみたい、とは思うが。 まだその時期じゃない。




 そう、周波数の話、イコライズやチューニング、音作りの話だ。
 バスドラのアタック、皮を叩く音は、2000Hz〜6000Hz辺りだという。
 そう。バスドラというと、低音というイメージだが、実はここら辺の高音域も含まれている。
 20Hzの重低音から6000Hzの高音域まで。
 それを、意図的に、一定の周波数より下をバッサリとカットしたり、一定の周波数より上をバッサリとカットしたり。ある周波数帯を増幅したり減衰したり、する事で。
 2トラック(ステレオ)で聴きやすいようにする事が出来る。音を変える事が出来る。それがイコライジングだ。
 2トラック(ステレオ)で聴きやすいように、というのは、その楽器単体だけを指すだけではなく。 他の楽器との境界線の確定、平和条約締結という意味もあるし。 上からの響き(高い周波数)と下からの響き(低い周波数)の整理、という意味も含む。

 

 アレンジャーがスコアでやってる作業と似てる。ローインターバルリミットとか、まさにそういう話。 高音域で音が不協和になろうがなんだろうが、どうとでもなるが。
中低音のボイシングで、ローインターバルリミットという掟を無視すると、なんかもう、エラいこっちゃになる。
 厳密に言えば、ベースラインと、バリサクやバストロの関係はどうなんだ、という話になるが。
 まぁ、4ビートの時は問題にならない。「(ウッド)ベースは、殆どバスドラ代理」だから。

 4ビートをエレベでやる時は、バスドラがフェザリングするとか、ギターがカッティングするとか欲しい。
 実際、PAを要するような大会場とか屋外とかの場合は、ウッベでも、そういうのが欲しい。
 生音ウッベ特有の減衰する音色とかアタックとか無いので。殆どエレベになってしまう。
 胴鳴りを拾うピックアップとか、マイクとか、生憎、自分で試した事が無いから分からないが。
 そういえば。
今度、某屋外イベントでウッベ(たぶんジャズ)を弾く事になった。 胴鳴りを拾うタイプの新ピックアップを屋外で使った時の音がどんなんだか、実地に確かめてみたい。
(もしイマイチなら、即座に昔のフィッシュマンに戻す予定w)

 生音ベースにも、バスドラ同様、よく聴こえる周波数帯と、胴鳴りの音と、弦を弾いた時の音と、あると思う。 その周波数帯やアタック/リリースの具合を上手くやれば(それをプリセット登録しておけば)、打ちこみのソフトウェア音源でも、かなり生音っぽい音を再現出来る、と思うのだが。
 この周波数帯を割り出す事で、ベースの音は勿論、それとかぶらないようならバスドラやピアノをイコライズする事が出来る、と思うのだ。
 まぁ、理屈的には。
 そのレシピを作り出すのが早いか、格安や無償でそういうプリセットの入ったVSTプラグインが開発され普及するのが早いか。




 生音を再現するのは難しい。
 しかし、レコーディングされた音、レコード(CD)に実在する音なら。
 理屈的には不可能ではない。
 それがデジタルだ。
 「今のところ、まだ」人間が演奏した方が手っ取り早いゾーン、生音マイク録りが優位なゾーンは残っているが、もう少ししたら、そこも機械が取って代わるだろう。
 人間の、著名なミュージシャンのブレイジングやアーティキュレーション、音作り(イコライジング、チューニング)の癖まで、再現される。




 キック(バスドラ)に皮を打った時の音やその周波数帯があるように。 ベースを弾いた時に弦と指が当たった時の音、ピアノを弾いた時にハンマーが弦を叩く音(打鍵音)が、(人によってはピアノの鍵盤を叩きつける音がw)、含まれる筈だ。ソフトウェア音源に微妙に欠ける生音らしさ(リアリティ)。

 やっぱり。 調べてみたら、ピッキングの音の周波数というのがあった。
 3000Hz〜6000Hz、らしい。 ベースの演奏可能音域の周波数は41.2Hz〜262Hzだが。それを遥かに超える。
 他にも倍音が良くなる周波数帯もあるだろうし。ウッベの場合、胴鳴りの周波数もある。
 改めて、チャンネルストリップ・モジュールのEQに付属のスペクトラムアナライザを見てみよう。
 ソフトウェア音源のウッベ、普通に20Hz(以下の重低音)まで出てるやんけ。こんなもん、バッサリとカットだ。
 最高音周波数が1.5kHz。。。 ピッキングとか、倍音の鳴る辺りが、ソフトウェア音源ベースの周波数に無い。
 現時点では、より良い(周波数を持った)ソフトウェア音源を探したり、自作したり、そのための勉強をしたり、している余裕は無い。 生音マイク録り感は目指す事は難しくとも、ピエゾ型のピックアップからのライン→アンプ(イコライザー、コンプ/リミッター、その他)の人工的な音を目指そう。
 
 で、ピアノだ。
シンプルな構造の太鼓やベースですら、こんだけ色々な周波数(チューニング、イコライズ)があるのだ。
ピアノは、幅広い演奏可能音、打鍵音、共鳴音、、、複雑だ。
ちょっとした匙加減で、こもった音、クリアな音、不自然な音、自然、色々と違って来てしまう。



 
 しかし。
 まぁ、「まずは、目指せ!ゴール(ゲームクリア)」の段階で、膨大なネット上のハウツー情報(EQレシピ)を参照したり従ったり、闇雲に耳で聞いて色々といじったりしてる時には、サッパリよく分からなかった。
やっぱり、根幹から自分で色々と調べて納得しないと、ダメだ。
指針というか、方向性が見えずに、手探り暗中模索するのと。コンパスと海図と星を頼りに夜間航海するのとでは、全然違う。
 前者は、遭難漂流と殆ど変わらない。
 潮に流されるか、自主的に進むか、の違いだけで。

 取り組み始めて数ヶ月は、あまりに訳が分からない上、雑多な情報に飲まれたり、アナログ的な「演奏家」「作編曲家」で培った常識や考え方がネックになって理解出来なかったりで、もう何が分からないかも分からず、こうして独り言(整理のために言葉にする事)も出来ない有り様だった。
 一つのソフトウェアに、いくつものジャンルのゲームが沢山入ってるようなもの。 色々な事が出来る。今の所、その予定はないが、テクノ系とか、ドラムンベースとか、リミックスとか、そういう方面だって、出来てしまう。 何が必要か、何が不要か、のトリアージに追われた。

 という所で。 完全に力が尽きた。

 セーブして、電源オフ。 やってる事は、昔のゲームと変わらない。
 ゲームのやりこみ、プレイの仕方にこだわるのは、まずは一回クリアした後。二周目以降だ。 初期の信長の野望とか、ウィザードリィとか、テキストと数値ばかりのゲームをやってた時の感覚を取り戻せば、どうにかなる。
 そこに、IQとかいうシュールな空間パズルゲームの感覚と。
 DQで培った感覚とw
 DRAGON QUESTならぬ、DAW QUEST、だw
人工的な自然
 実際自然である事と、自然らしい(自然っぽい)事は、違う。
 例えば、我々日本人が「豊かな自然の風景」として思い描く山林や農村の田園風景や小川みたいなものは、完全に人工的に造り出されたものである。 日本で最も劇的な自然環境破壊や人工化が始まったのは弥生時代である。
 起伏に満ちた大地は稲作に適した形に耕され平面化され、そのために大規模な治水灌漑が行われて川や水路の流れが整えられ、山という山は燃料や建材となる木に植え替えられ、その過程で多くの固有の動植物種が乱獲や生息環境の喪失により絶滅した。手つかずの自然はごく一部、古い杜や離島等に残るのみ。
 現代日本の、しかも都市部に生まれ育ったものが豊かな自然だの云々した所で、どうせそんなものは大昔に人工的に造られたものでしかない。
 本当の手つかずの自然、人間の手の触れていない自然とか、案外、殺風景なゴツゴツした荒地とか、薄暗い原生林だったり、暖かみだのハートフルだのと無縁。
 入りこむ人間に対する配慮とか親しさとかウェルカム感など、皆無。 それどころか、どこかゾッとするような無関心とか疎外感たっぷりのアウェイな気分を、容赦の無さを、堪能する事が出来る。 それがリアルな自然、というものだ。 古い杜、霊域、なんかには、そういう領域が残っている。




 純度の高い水。 というが。
 本当に混じり気のない、純粋な水、「純水」という物質は、自然界には存在しない。
 雪解け水、雨水などが、山林の土などで濾過されつつミネラル(鉱物の成分)などが混ざり、湧き水となり、川となり、湖となり、海に流れ込む。
 我々人間は、どこかでそれを取り込んで、水道水用だかペットボトル販売用だか、とにかく飲むのに適した形に加工する。 ミネラルウォーターとか、ピュアウォーターとか、天然水とか、純粋っぽさ・自然っぽさをアピールしているが、勿論バリバリ人工物である。カルキ入りでないだけだ。
 さらに近年では、自宅に浄水器とか濾過するための装置や専用容器を持っていたりする。クリーンな水、キレイな水、良い水を求めるからだ。 空気清浄機などにも言えるが、そこで作られる自然や純粋さは、人工的に作り出されたものだ。 むしろ、リアルに自然な水など飲んだら腹を壊しかねない。
 自然な聴感。純粋な音色。何をどう混ぜたら、作れるだろうか。
 そもそも、楽器も楽曲も演奏も、人工的なものだ。はるか昔、2千年以上昔の、この世の全ては数で解き明かせると考えた古代ギリシアのキチガ、、、もとい、偉大なる数学者ピタゴラスが作った12音の音律をでやってきてる訳で。


 空や海が青いのは、実はゼンゼン澄んでいない(色んな余計なものが混じっている)から、だ。
本当に混じり気なく澄みきっていたら、無色透明なら、目に見えない。

無じゃダメなのだ。何かを混ぜないと。
何か混ぜてると感じられないように。それが気にならないように。

 難しい。(^^;
 
 
一度クリアしてから本当の戦いは始まる
「専用ツール(プラグイン)を使わずに、手動でM/S処理 をやってみよう」と思って手順を確認してるうちに、思った。
専用ツールを使わずに手動でコレをやる、という事は、「ここまでのミキシング(で出来た音)を確定する」「後戻り不可」を意味するんじゃないか、と。まさに終盤戦。ラス前。

一応、ここまでどれくらい変わったか確認してみよう、と。 ミキシング前の、MIDIデータをオーディオデータ化した時点のものを、聞いてみる。
・・・ ・・・・・あ、あれ? 元の方がスッキリしてて、なんか良くね?
むしろ、色々いじった方は、ケバいっていうか。厚化粧ていうか。
どこかの段階で、過剰に、(必要ないくらいに、必要以上に)、いじっていた、という事だ。
そして、それに耳が慣れて、違和感を感じず、普通になってしまっていた、という事だ。

ちょっと、これまでの工程について。
是非について。
元データをリファレンスCDにして点検・検証してみよう。




手動によるM/S処理にトライしてみたけど、繁雑過ぎて面倒で仕方ない。
それで調べてみたら、M/S処理の出来るフリーのプラグインがある、という事を知り。早速ダウンロードして追加。
おまけにフリーのマキシマイザーも追加。 コレで、ミキシング/マスタリングするための最低限の装備は揃った。

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ようやく完成! ・・・と思いきや。
残っていた。
例のiPhoneに入れてワイヤレスヘッドフォンで聴いた時だけちょっと混じるノイズ。
DAWのワークスペースでも、iTunesでも、いや、iPhoneでも有線なら問題ない。
・・・ワイヤレスヘッドフォンのせいか?

まずはマスターだな。
ステージ上の音をしっかり作らなきゃならない。
客席とか会場の音を作るのは、それから。

はい、やり直し☆ (もう何度目だろ...w)




あ〜、耳が痛い。
いや、痛い事言われたとかでなく。
正確に言えば耳たぶが。

だいぶ、進んだ。もう一息、という所まで来ている。
というか、出来た! と思ったんだけど。
よく聴けば、ごくごく一部、クリッピングしてる箇所がある。。。orz

奏者がダイナミクスを演奏表現するジャンルの場合、どうしても突発的にラインを超えてしまう。
なんか、こう、感覚(聴覚)だけでなく、視覚的な数値でクリッピング箇所を割り出す方法ないもんか。。。
・・・探せばありそうだなw

とにかく、ステージ上はクリア。 最終段階。




「完全デジタルな打ち込み音楽」とも「アナログをデジタルで録音する音楽」とも違う、別の方法でデジタルをアナログに落としこむ道を模索する、という計画。
当然、フツーの考え方・やり方を学びつつ、しかしながら、少し違う独自の考え方・やり方を見つけ出し、構築・確立していかねばならない。

やりこみゲーマーにとって、(通常の)クリアはゴールじゃなく第一歩に過ぎない。真の戦いはそこから始まる。
しかし、まずは一回、クリアしてみないと始まらない。スタートラインに立てないまま。

ようやく。最後までできた。
スタートラインに立った。
(ハンターハンターで言えば念を覚えた段階w)

演奏(ベース)とミキシング(アンプ)の化学反応
 DTM作業に、レベルとかイコライズというものに取り組んで、色々と見えてきた視界がある。
 例えば、ベースリーダー作品を聞くと、ベースの音量は大きめに、また、イコライズはかなりLoを強めに、設定されている。 これは音像的には、ベースが前に、下(地底)から鳴り響くような形、と言える。
 今日の移動中、いくつかベーシストのリーダー作品とサイドメンとして参加した作品を聴き比べてみた。
 成程。音の作り、ミキシングが、全く違う。サイドメンとして参加している作品は、音量は比較的小さめに(つまり前後で言えば後ろに)、イコライズ的には中低音(胴の高さ)に設定していたり、する。
 
 上下の位置関係(高さ)的に、ウッドベースの胴鳴りのテイストを出したい、とすれば。
 ドラムのキックと、周波数帯をずらさねばならない。 ハードロックやヘビメタのような、エレベの(どデカいアンプの)重低音を強調し、キックと同期・ユニゾンするようなジャンルならばLoを上げるべきだが、アコースティック感、ウッベ感、モダンジャズ感を出したいならば、Loは抑え気味に、中低音を足し気味な感じにセッティングすると、周波数帯的にキックとかぶらずに鳴らす事が出来る。
 Bass(バス)というより、テナー〜バリトン、くらいの感覚で考えると、丁度良いのかも知れない。
 一方、ポピュラー系(エレベ系)の音楽の場合、やはりそちらに近いイコライズのセッティングにした方が、なんというか「座りが良い」気がする。 それなら、前迄使っていたフィッシュマンのピックアップの方が適している、のかも知れない。

 いずれ、ラインセレクターを導入して、曲ごと・シチェーションに応じてラインを切り替えたり、ブレンド(ミックス)したり、すると、より多彩になるし、対応性も高くなるかも知れない。
 いま、駒の右側に新しい(胴鳴りを拾うタイプの)ピックアップを装着しているが、ゆくゆくは、駒の左側に、装着型マイクを取り付けたい。 そうすれば、ライブからレコーディング迄、あらゆるシチェーションに、音作りに、対応出来るようになる。
 ・・・あんまり高級な楽器じゃないから、ゴチャゴチャ装備する事に抵抗は無いし、むしろ着飾る方向に考えた方が良いだろう。
 ・・・まぁ、いつの日になるか分からんけど、高価な(数百万円クラスの)楽器でも手に入れたら、何もつけないスッピンで使いたい、と思うけど。

 時に我が楽器。元は安物クラスの癖に、弾き込んでいるせいか、生徒さんの使ってる(僕から見れば弾きこんでない)お高い楽器よりも鳴る。その辺りが、アナログ楽器、弦楽器の面白い所。
 使用の頻度や年数に応じて磨耗してオンボロになっていって鳴らなくなっていく、、、どころか。むしろ、年々、良くなっていく。 細部は傷だらけの癖に。 自分以外、セッション等で他の人が弾いてるのを見ても、そう思う。
 重低音な音域・周波数帯をブーストしてるような、そういう鳴り方。 日頃、自主トレ(基礎トレ)で、手動で(つまり弾き方で)オクターブ下の音を強く鳴らすつもりで弾く訓練を導入している。
 科学的にどうだか分からないが、主観的な聴覚では通常ピッキングよりアルコはオクターブ低く聞こえる。指弾き(ピチカート、ピッキング)においては原音たる弓弾き(アルコ)の音よりも、第2倍音、オクターブ上の音が良く聞こえているように感じる。
 その点、エレベはウッベよりオクターブ低く、E弦の低いポジション等はまさに重低音という感じで聞こえるのだが。

 生音で、アンプ使わずにウッベを弾いてる分には、そういう重低音を強調しブーストするような弾き方は、丁度良いのだが。
 それに加えて、さらに、アンプやエフェクトのイコライズで重低音を強調・ブーストしたりすると、多分にエレベ風な音色になりやすいし。なんというか音がモゴモゴしてしまう。(検証済み)

 なぜ、そういう事になったか。
 今ならば、理解できるし、簡単に説明出来る。
 ベーシストのリーダー作品の、絶妙なマイキングでマイク録りされた音源をミキシングで音量やイコライズや音圧その他諸々を加工して目立つようにメイクされた(人工的に造られた音)を、「良い音」と認識し、それを手動・人力で、どうにかしようとし、実践してきた。
 一念岩を通す。じゃないが。 数年、いや、十数年間、一時はかなり意図的&集中的に、それ以降は半ば無意識的に(癖で)、常に「良い音で楽器を弾き鳴らす」という項目を自主練のメニューに織り込んできた。その甲斐もあって手動で、弾き方(指の当て方や速度)で音を変える事が出来るようになった。手動イコライズ。手動コンプ。 不器用過ぎて、逆に、地味に器用な芸当が出来るようになった。

 少し前、新しいピックアップを入手し、またミキシングというものに取り組んでいた事から、アンプの使い方、セッティングを、変えるようになった。 「良い音」を求めるのは、辞めた。
  「良い音を弾こうとする」かわりに「適当な音で弾く」ようになった。(適当=適宜妥当)
 つまり、ますます、こだわりがなくなった。考えなくなった。特にアンプ使う時は。
 その代わり、アンプを使う時は、ベーシスト脳ではなくミキサー脳を使って。TPOに応じてイコライジングするようになった。
 
 さっそく、ミキシングで覚えた考え方・アプローチが、ウェットな音の使用法が、ベース&アンプ関係に還元(リダクション)されてきたわけだ。
 今後「生のベース」は適度に酸化していき、ドライな感じ(原音的)になっていくだろう。
 全てはつながっていく。 相対的かつ相乗的に、効果を表す。

機械まかせでない自炊
「つまり、朝はホカホカの、炊きたてな、あったかいご飯を食べたい、て事なんですが...」
「そーすりゃ、良いじゃん」
「いやぁ...それが中々難しくて...」
「なんでだよw 釜で米研いで水張ってジャーに入れてセットする...それだけの話だろw 今日び、無洗米もあるし」
「・・・いやぁ。それが、うち、ジャーが無いんですよw」
「・・・」
「しょうがないスよねw コンビニでオニギリでも」
「いやいや。待て待て。諦めるな。じゃあ、こうしよう。 鍋に米研いで水張ってだな、コンロで、、、」
「・・・いやぁ。それが、うち、コンロも無いんですよw」
「・・・」
「しょうがないスよねw コンビニでオニギリでも」
「いやいや。待て待て。諦めるな。じゃあ、こうしよう。 確か灯油ストーブあったろ? その上に...おい。なんだよ。まさか、ストーブまで」
「いや、ストーブ自体は使えるんですよ。ただ、着火する部分が壊れてて、、手動でマッチかチャッカマンみたいので点火しなきゃならない...んですが」
「ですが?」
「いま、うち、マッチもチャッカマンも、火をつけるもんが無くて、、、w」
「・・・」
「しょうがないスね。コンビニでオニギリでも、、、」
「いやいや。待て待て。諦めるな。いいか。この場合、我々が欲しいのは熱だ。燃焼という酸化現象によって発生するエネルギーだ。何も必ずしも油とかガスが要るという訳じゃない。 要は点火出来るものと燃料となるものがあれば良い。 その点火だが。マッチのような摩擦熱を使うだけじゃなく、光を集める事でも可能だ。」
「へ〜」
「黒マジックで紙を塗って、メガネをレンズにして、太陽光を集めて、点火するんだ! で、翌日朝まで紙やら何やら色々燃やして、火を絶やさないようにして、、、」
「無理です」
「無理かどうか、やってみなきゃ分からないだろ?」
「いや、物理的に可能か無理か、じゃなくて。。。」




ジャーを買って飯を炊くか。(ワンタッチ全自動。機械が上手い具合にしてくれる)
コンロを買って飯を炊くか。(手動/比較的短時間。火加減を間違えて失敗して焦がす可能性もあるが、心得と技術を持った料理人がやれば絶妙な火加減で機械より美味く炊き上がる可能性あり。)
マッチを手に入れてきてストーブで飯を炊くか。(手動/比較的長時間。もしかすれば、美味く仕上がる事も、無くはない。かも知れない。。。)
メガネで、、、これは論外w

最新の、全自動デジタル機械をゲット出来れば、何も考える事も悩む事もなくワンタッチで、やってくれるのだ。
・・・今さらながら。
なんで、Band in a Box (の最上位版)とか、買ったんだろう。。。
そんな、高額のジッポ・ライターみたいなものを。
全く無駄&無価値とは言わないが、今の僕に必要なのはそれじゃない。
コンロ(Cubase の上位版)か、炊飯ジャー(Waves)だ。
まぁ、実際に作業を進めながら勉強して何が要るか何が要らないか見えてきた今となっては、の話だけど。。。

手動によるM/S処理。ステレオトラックからミックスダウンや位相の反転を使って、センターとLRの音を抽出してそれぞれトラック化し、ミックスして再び2トラックへ。面倒だ。。。
 しかし。
 理屈(原理)とか、手動によるやり方は、この際、勉強して身につけておいた方が良いだろう。今後のために。

 ちゃんと根本的な部分を身につけとけば、今後ツールによる(インターフェースとか操作性の)違いに左右されず、実行出来るようになる。(その筈)

     

 



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