所長の独り言... 
とあるジャズベーシストの独白・・・
編曲でやらかす
たかが10分。されど10分。
今秋予定の野外イベントのための大編成アレンジ中。 今回は移植とか伴奏とか原曲尊重とかでなく、ほぼ作曲に近い(いやRemixかな)アレンジ。しかも久々の「(ケンカ腰で)思う存分やっちまえ☆」指示。僕自身もベースで参加。 さぁ、どうしてくれよう。

こう見えて、仕事の際は理性を総動員して、出来る範囲でコンプライアンスを遵守して、状況に応じ、お客さんや共演者の顔色を伺いながら、その中でベストを尽くすべく取り組んでいる。 モラルを持とう、と心がけている。
何故ならば、基本的にはモラルなど持ちあわせちゃいないからだ。 「テメエが面白けりゃ、なんだって構わない」という所がある。かなりマニアックな、というか殆ど共感されないような変態的な所に音楽的な愉悦・快楽のツボがあるので、あまり自分のリーダー活動以外では追求しないよう心がけている。
なので、今回みたいに「やっちゃえ☆」「ムチャクチャにしちゃえ」「暴れろ」と言われる事は、滅多に無い。

・・・やっちゃって、良いんですね?
御意。

では、様式とか、モラルとか、コンプライアンスとか、サウンドマナーとか、沽券とか、全く無視・軽視・おちょくる方向で。
僕的には、ちょっぴり些細な諧謔精神、悪ふざけのつもりなのだけど。
時々、悪意に満ちたブラックジョーク扱いされて、一部から、かなり真剣にクレームを頂戴する、のが面倒くさいので、あまりやらなくなってしまったが。
「やっちゃ駄目!」って事をワザワザやるのって、悪ガキの遊びの基本。

遊べる、好き勝手にやらかす、そういう曲を書く。 そのためにベース抜きでも崩れないような構造の楽曲を設計し、組み上げなくちゃならない。 ベーシストが無責任になれる、役割や責務から解放されるような曲を、作らなくちゃならない。
軽音楽で「ベースが無責任になれる(いてもいなくても良いシロモンになれる)曲」、なんてのは、それだけで、かなりデタラメなのだ。
「コーヒー、水抜きで」
「暴れん坊将軍、チャンバラ抜きで」
「スターウォーズ、宇宙シーン抜きで」
「タイムボカン・シリーズ、三人組抜きで」

はじめからベースがいない編成による演奏・アレンジというのは、よくある。 その場合、他の楽器が、代わりにベース(パート)を担う。 そうではなくて。ベースが一応いるのに、ちゃんと役を果たさない、無責任なやり方。 一方でシワ寄せで他の負担が増えるやり方。
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「保守」はいつの間にかに
マンガ家とか、書いてるうちに絵柄や作風が変わる、という場合がある。というか、むしろ、全く変化しないという人の方が少ない。 しかし、思いっきり変わっていくタイプだと、「荒削りだけど初期の方が良かった」説とか、「いや、最近の方が洗練されてて良い」説とか、賛否が分かれる。
言うまでもなく書き手側は、常に良いもの(作品)を作る事に邁進している。試行錯誤を重ねて向上させるべく、未熟な問題点を克服させるべく、邁進しているのだ。
主観的には、常にベストを尽くしているのだ。出来る限りをやっているのだ。
変わった部分は、何らかの必然で切り捨てて来た部分だ。
しかし、読者にとってはそうではない。特に、過去のある時代に評価・支持した事のある人にとっては、そこが頂点、全盛期、黄金時代という事になる。価値観、評価基準が固定化される。保守化というヤツだ。

僕のマンガ観というのも、(今となっては)相当保守的だ。


80年代〜90年代、いわゆるジャンプ黄金時代を、モロにリアルタイムで体験した世代だ。
嗜みとして、手塚治虫や水木しげる、石ノ森章太郎、永井豪、ちばてつや、等の大作家の名作などはザッと目を通して来たが、あくまで「過去の名作」枠。自分の読んでる漫画に影響を与えたルーツとしての扱いだ。
しかし、「今の」若い世代の読者にとっては、いわゆるジャンプ黄金時代とかレトロだろうし。それを基準に云々と言う時点で「保守的なオヤジ」扱いは免れまいw 自分自身のマンガ読者歴やそれに基づく見識は、若い世代にとって無用、ウザったい、煙たいものでしかないだろう。

マンガというのは、ポップ・カルチャーだ。 目の超えた、教養やら見識やらを持った誰かが解説しなきゃ、もしくは勉強しなきゃ、その良さが分からないような骨董品のような世界、芸術的な分野とは違う。 堪能するのに他者の解説が必要なような芸術作品になり下がっちゃ台無し、な所がある。
ハイ・カルチャー、分かるものだけ分かれば良い、的な芸術分野とは、全く逆。 言い方は悪いが、「馬鹿でも、ガキでも、分かる、楽しめる」ように書かなくちゃならない。 「頭良くなくちゃ、大人じゃなくちゃ、分かりません、楽しめません」じゃ、そもそもマンガを読む意味すらなくなる。
僕は、ジャズは、基本的にはポップ・カルチャーだと思っている。
勿論、作り手側は色々と修業・勉強しなくちゃならないが、聞く側には全く不要。
「分からない、楽しめない」のは、たまたまその作品や作風が好みに合わないだけで、読み手の勉強不足とかセンスの無さとか、そういう事では全く無い。

現代の若者は「さしすせそ」を見事に使いこなす。 「さすが〜」「知りませんでした」「凄い」「センス良い!」「そーなんだ」 ひと昔、ふた昔前の、より前の世代、保守的な頭の固いオヤジ世代に、いちいち反抗したり挑発したり噛みついたり、不毛な事にムキになる昔の若者とは違う。
少子高齢化社会。
圧倒的な多勢に圧倒的な劣勢でカミカゼ特攻をしかけるほど、ムチャじゃない。迂闊に本音など出したりしない。もう少し慎重だし、利口だ。
そんな、表面の、さしすせそ的な処世術的な部分、長い物にゃ巻かせとけ的な部分ではない、琴線を打つようなもの。それは何か。
 
 ジャンプ黄金時代の大ヒット作品や、手塚治虫マンガが、今はマンガ・アプリで読める。そのコメント欄に、様々な反応が読める。 我々からしたら、ジャンプ黄金時代の作品や手塚治虫作品を未読・初読という事に驚きを禁じ得ないのだが。そんな彼らの反応・感想を見ていて、ちょっとしたカルチャーショックを受けた。
 「保守的なマンガ読者」な僕は、マンガ雑誌など、一誌につき数作しか読んでいない。読む気になる作品が少ないので、ほぼスルーしてしまう。 しかし、それを「自分達のリアルタイムなマンガ」として愛読している層もいるのだろう、だから廃刊もしないで続いているのだろう。
 自分が(いつの間にか相当)保守的になっている、という事に気づかされた。 深刻なのは、保守的になっている事に気づかないで、保守的な感性で「保守的(だと感じる)何か」に対して批判的になっている事、だ。 学生運動世代とかを笑えない。
 どこかで高尚なもの、ゲージツ的なるものを上にみる、有り難がる感覚が欠けているのが、既成概念が打破消滅してしまった後の我々世代やそれ以降、ポップカルチャー世代である。マンガ・ゲーム・ポップス。 それが、ゲージツ性云々を語り始めたらかなりヤバい。


何を作るべきか。何が出来るのか。
 さて。ベースは夏休み入りしたけど。 完全オフという訳ではないし、その分、作編曲方面に取り組まねばならない。 譜面ソフトで手がけている大編成アレンジの方は、これはもう粛々と進めていくのみ。 もう一方の、DAWソフトによる楽曲制作。さて、いったい何を作るべきか、で悩み中。

 RPGで魔法使い系ジョブから戦士系ジョブにチェンジした場合。
元のジョブで習得した技能(呪文)や能力(Mp)を活用しないと、初級の敵にも苦戦する、単なるレベル1の戦士にしかならない。
これまでやってきたアナログや生音のアレコレを、どうにかデジタルや人工音に、落とし込まないと。
 演奏とか譜面ならば、それなりに経験値はあるが。
打ち込みやミキシングについては、まだまだ右も左も分からないペーペー新米だ。技能(スキル)も能力(ステータス)も、加えて言えば装備も、無い。
そこは謙虚に自覚しといて、その上で、では、どうするか。

 生音系の楽器は、良い音源(=高価な音源)を手に入れないと、使い物にならない。 勿論、上級者なDAW音楽クリエイターならばニッチな音源でも上手い使い道を思いつき、実践するのかも知れないが。
そんなスキルが無い以上、そっち方面は行き止まりだ。選択出来ない。
 ベースについては、さすがによく知っているので。 打ち込みなのにそこそこ生ベースっぽい感じにやったり、そもそもラインで直接オーディオ・トラックに入力してしまう事も出来る。出来るのだが、逆に生々しすぎるので、自分の個性というかニオイを消し、打ち込みっぽく加工する必要が出てくる。
「え? こんなベースの音色、どこで見つけたの? なんて音源?」という具合に受けとって頂けるよう、僕らしさを消す、没個性的に平均化するような加工を施せるように心がけたい。
 安物楽器の個性(スッピンな生音)など、あんまり目立たせたい(目立ちたい)とか思わない。ウン百万もするような高価な楽器を入手し、使うようになったら、少しは考え方が変わる、前に出たがるようになるのだろうか。。。 基本的には、ワキ役かバックバンド、という一歩引いた所にいるのが落ち着くし、そこにいたがる。

 ベースをパーティの先頭におかず、後列に配置する、後衛をやらせる、となると。 それを踏まえて、「じゃあ、どういう布陣を組むか。何を前(先頭や前列、中盤)におくか」という問題が出てくる。 譜面なら何のパートでも書けるが、ダイレクトに制作するとなると音色(音源)が要る。
 アナログ、アコースティックで発達した、普通アコースティックのイメージしか持たれていないようなクラシックな楽器は、よっぽど上手い使い所を考えるか、イコライジングその他で加工しないと、使い物(実用レベル)にならない、という事になる。

「モノ作り」と新時代
十徳ナイフじゃないが。
iPhoneやiPadは、今や、電話のみならず、カメラ、ウォークマン、レコーダー、電卓、チューナー、メトロノーム、曲集、その他諸々、ありとあらゆる便利な機能を併せ持つ手放せないツールになった。出先では荷物が格段に減り、重宝する。
しかし、それはそれで、膨大な機能・アプリを用意し、その中から操作して探して選択したり、使い方を学んだりする、という別の手間を生み出した。多目的になればなるほど、詰め込めば詰め込むほど、直感的でなくなる。

結局、一つの目的のための、シンプルなツール、というのが早いし便利、という事になる。
自宅で作業してると電卓は電卓アプリより電卓の方が、チューナーはチューナーアプリよりチューナーの方が、メトロノームはメトロノームアプリよりメトロノームの方が、早い。
手元に置きスイッチを入れるまで1秒だ。ほぼ無意識的に出来る。
iPhoneやiPadではもう少しかかる。面倒くさい。

色々試したが、譜面を書く時は、MIDIキーボードと、その手前に左側にテンキー、真ん中にコンパクトなキーボード、右側にマウス、という配置でステップ入力するのが一番便利で速い。
そもそもマウスや高速ステップの使えないiPadでは、どうしても能率が下がる。
リアルタイム入力するなら、DAWソフトの方が良い。打ち込む前のクォンタイズ設定のみならず、打ち込んだ後のクォンタイズによるタイミングや音価の修正が譜面ソフトよりやりやすい。こうした二度手間を嫌がらないならDAWソフト、二度手間が面倒くさいなら譜面ソフトの高速ステップ入力だ。
結局、譜面ソフトの入ったノートパソコン、テンキー・キーボード・MIDIキーボード・マウスを持ち歩くか、自宅で作業するか、という事になる。
出先で長時間待機する時(作業出来る時間がある)とか、気分転換でノマド気取ってヨソでやりたい時なら持ち出すが、そうでもなきゃ、面倒くさいので、持ち出さない。

で。出先で「アイデアを思いついた時に、忘れないうちに、サッとメモ書きしたい」という時に、周りに人がいて歌えない(レコーダーで保存出来ない)時に役に立つのが、結局、紙の五線紙だったりする。
PCの譜面ソフト、デバイス、アプリ、、、色々やってきた挙句、一周回って、そこに戻ってきたw

メモ以上の、本格的に制作の作業にとりかかりたい時には、やはり譜面ソフト、同時にPCが欲しい。
また、DAWにしても、かさばるか否かを抜きにしたら、やっぱりPCの方がiPhoneやiPadより断然良い。

作業道具一式、つまり、ノートPC・Bluetoothキーボード・Bluetoothヘッドフォン、ワイヤレスマウス・テンキー、nanokey(小型MIDI入力デバイス)、これを全部詰めてもバッグ一つで済む。 軽量とは言い難い重さになるが、まぁ、せいぜい車までの距離だ。
電車や徒歩で忙しく身軽に動き回る人ならともかく、僕は出不精だし車移動しかしない。

後は。この呟きを書いてる今みたいに。
たまたま一式持たずに出かけた、ちょっとした車内待機時に、どうするか、という話だけど。
わざわざ、こんな所で、作業(譜面書いたり曲作ったり)する必要があるか、と。
もし、なんか思いついたら(降りてきたら)レコーダーアプリにメモる位で良い。

Notionは、いまいち使い辛い。
手書き入力は紙の五線紙に及ばず。
リアルタイム入力はDAWソフトに及ばず。
ステップ入力は譜面ソフトに及ばず。
(音符休符の音価指定とか面倒)
せっかく音色とか機能とか追加購入したけど、もはや全然使ってない。。。

「せっかく買ったのに使ってない」と言えば、Band in a Boxだろう。
先日、セッションで、参加者の方で譜面ソフト(を持っていないので)その代わりに使ってる、とか。i Real pro(を持ってないので)その代わりに使ってる、とか。
そういう方の場合は重宝するだろうけど。
せめてフロントの人なら、ちょっと伴奏作るのにi Real proより多彩・ゴージャスに出来る、という点で有用かも知れないけど。伴奏専門楽器からすると、「ボーカリストにとってのボーカロイド」並に、使い道が無い。。。
あれは失敗だった。結果論だけど。

餅は餅屋。譜面を書くなら譜面ソフト。リアルタイム入力するならDAWソフト。生の音を使うなら生の演奏家。

出先とか専用ツールが無いとかの理由で、他に手段・方法が無い場合ならともかく。そうでないならば、
それしか出来ない、それしかやらない、それだけをやる、それだけしかやらない。
多機能より単機能。
多目的より特定。
汎用機より専用機。
マルチ(多重)やデュアル(二重)より、モノ(単一)。
一通り、色々な便利なツールが作られ、行き渡ってきたところで。
そういったものが求められるターン、「モノ作り」の新時代に入り始めた、、、気がする。
踊る阿呆に見る阿呆、離れた阿呆
今日は、某音大生で、学バンやってる(山◯コンテストに出場する)という子がいて、セット間、そっち方向の話で盛り上がった。
せっかく足を運んでくれたという事でもあるし、久々にサービス精神を発揮して、気休めとか綺麗事とかでない、身も蓋もない考え方やノウハウをアレコレと。

まず、コンテストは参加する事に意義・・・など、微塵もない。 「一生懸命やれば結果はついてくる」、なんて事は、まずありえない。 出場メンバー入り、本戦出場、シード入り、10位以内入賞、上位入賞、最優秀賞、、、どのバンドも出場者も、ひたすら上を目指して、必死にシノギを削ってる。
もし、自分達の音楽・表現をやりたいならば、リサイタルや単独ライブをやれば良い。
もし、他のバンドが集まる中でステージに立ちたいならば、非コンテストのフェスとか、ジョイントライブとか、やれば良い。
コンテストに出場する意義は、正義は、勝負し勝ち上がる事。それだけである。

だとすれば、道は二つだ。 賞を狙える上位入賞バンドに(レギュラー争いで勝ち残り、外された者の骸や悔し涙を踏み台にして、その思いを背負って)参加して勝ちを狙うか。
或いは、自分を含めた自分の参加するバンドを勝てるバンドにするために(それなりの代償を支払い)勝ちを狙うか。
最終的に、勝負する相手は、バンド内の他のメンバーでも、ライバルとなる他バンドでも、無い。
会場(の観客)ですら無い。
審査員との勝負だ。
会場をいくら盛り上げようと、観客や他の参加者にウケようと、賞をとれなきゃ負けだし。会場をいくらドン引きさせようと、審査員を唸らせたり驚かせて得点を獲得したら勝ちだ。 自分の音楽性、趣味嗜好、エゴ、承認欲求など、横に置いて。躊躇なく、必要な事を、選択し、実行しなくてはならない。

常連バンド、上位入賞バンドには、そのノウハウの蓄積、いわゆる伝統というものがある。
オッサンども・・・もとい、バンドの先輩であるOB・ミュージシャンらの、面倒くさい・・・もとい、ありがたいダメ出しや酔っ払いトークは、玉石混交であるが、とりあえず一応は聞いて脳の片隅にストックしておき。 レッスンやらクリニックやら、指導してくれる「先生」の話も参考として聞いておき。
けして鵜呑みにせず。盲信せず。
必ず自分達の脳内フィルターを通して、現代風に言えば情報リテラシーを働かせて。
自分達の判断、責任において、取捨選択し、決定していく事。
他の誰のものでもない。自分達自身の勝負なのだ。
誰かのせいでも、誰かのおかげでもない。

「せい」と「おかげ」は、表裏一体だ。 参考意見や情報を提供してくれた事、協力してくれた事に対して、「おかげ様で」と言って感謝を表明するのも、また感謝されたがり屋な人にリップサービス的にそういうのは有用だろう。そういう事は、した方が良いし、しとくべきだろう。
しかし、それも度が過ぎると、本当にそう思い込んでしまうと、危うい。 「誰かのおかげ」が一瞬にして「誰かのせい」になる。「おかげ」だろうが「せい」だろうが、それを言ってる限り、自分の音楽に対する主体性や責任や矜持は、自信は、持てない。
そんな自信の無い音楽を評価する程、勝負する相手、つまり審査員はフシアナじゃない。 海千山千の、人一倍どころじゃない位、腐る程、音楽に関わっている、ちょっとやそっとの事では動じない擦れきった音楽感性の持ち主達に、上っ面だけ取り繕ったような物が通用するハズがない。

あくまで、音楽のコンテスト、審査員達がその音楽性でもって採点する大会なのであって。 人間性をアピールする大会でも、芸出しを披露する大会でも、無い。
「そんなの嫌だ。好きじゃない」というのなら、そもそも出るべき大会じゃない。(最近は予選があるから、そもそも出れない)
耳障りの良い綺麗事を並べても、何も始まらない。
一生懸命ガンバるとか、そんな事は出場者ならば誰でもやってる事、当然の事で、特に重要でも、わざわざ口に出して言う事じゃない。
何を削除し、何を追加するか。大事なのは、そこだ。

何を代償に支払い、何を得るか。
メンバー選考からして厳しい上位バンドは、親しい音楽仲間であろうがなんだろうが、目的のためなら外したり、外部からトラを入れたりしてまで、シビアに賞を目指す。
中には単位落としてまで、人生設計狂わせてまで、迷いなく練習にあけくれるヤツもいる。
或いは、ふんだんに金をかけて(バイトするなり予算を獲得するなりして)、練習環境や個人レッスンやコーチを用意して、音大や強豪バンドのそれに匹敵するような、いや、それ以上の体制を整える所もある。
何も代償を支払わずに、ラッキーで貰えるほど、甘っちょろいシロモノではない。

 その手の賞レースは、参加者としては十代まで、コーチ的な立場としては二十代まで、しか関与してない。 十年以上、遠ざかっている。ので、最近の動向、傾向とかトレンド、とか全く関知していない。
 しかし、やっていた頃は、徹底的にリサーチし、傾向と対策を練り上げた。
 なぜ、あんなにムキになっていたか、分からない。 ただ、自分が関与していたバンド全体が、、、という訳にはいかなかったが。
リズムが賞を獲得した所で、なんというかある程度やりきってしまった。
一応、その後もバンド全体でランクアップする所まで関与しよう、としたが。他のミュージシャンOBとの見解の相違(コンテストに参加する意義の部分から根本的に違っていた)で、現役とは別の所で大ケンカになってしまい。 そんな外野のイザコザに巻き込み混乱させるのも迷惑だろうし、僕の中では「やれる事はやりきった」状態で、なんというか完全に萎えてしまったし、足を洗った。
 その後、数年は、気軽な第三者見物気分で文字通り高みの見物(2階席)で、物好きな音楽仲間とあーだのこーだの議論しながら観戦しに行ってた。アレンジの参考とかの意味もある。
 でも、近年は行かなくなった。
 理由は簡単。 夏場のクソ暑い時期に、朝早くから、湘南から埼玉まで出張るのがキツい。。。

 思いっきり屈折してんのか、思いっきりストレートなのか、自分でもよく分からない、学バンや吹奏楽のコンテストに対する正直な所、想い(出)である。
 ちなみに個人的には、いち音楽家としては、別にそれが音楽の全てだと1ミリも思っていない。というか、多分これまで書いてきた事と逆の所に本心な音楽性がある。
 賞を目指して躊躇なく人間関係を破壊して単位を落としてまで、若干心身を壊してまで、当時やってた人間として言わせて貰えば。 「そこまでする価値、あるの?」と問いたいw

 実際、教えてた間、何人かは明らかにミュージシャンになりそうな(他に道がなさそうな)ヤツラがいて、そいつらには、「多分思いっきりコンテストのセンスというか評価傾向と違うので賞を狙うなら矯正した方が良いのだろうけど、彼らの今後の音楽人生やジャズに限定されない可能性を考えたら学生コンテストやジャズの型にはめるべきではないだろうから、何も言わんでおこう」という意識が働いた。
 実際、その連中の大半が、ジャズ以外のフィールドで活躍している。 こういう連中が、「賞をとるだけがコンテストの目的ではない」というのは、アリた。 自身がミュージシャン活動をしてく上での人脈づくり、機会づくりとして、フルに活用した訳で。 それはそれで正解だ。
 コンテストで箸にも棒にもかからない、むしろ「変だ」とか「ジャズではない」的な事を講評で言われたり採点シートに書かれた連中、言わば国内ジャズの最高権威から「門外漢」扱いをされてしまった連中が、ドラフト(青田刈り)対象にもならず、勝手に雑草のように他の畑やスタイルで活動し、修練し、こう言っちゃなんだが、ジャズなんぞりよりよっぽどメジャーな音楽の道で活躍したり、かつて自分を眼中に入れなかった人達や、ドラフト(青田刈り)入りした人達と、肩を並べてやってる姿を見ると、裏ハンター試験ならぬ裏コンテストに受賞(合格)したんだな、おめでとう! という気分になる。
 コンテストとは、審査員との勝負である。審査員に評価されれば勝ちである。 賞をとるのと、審査員のやってるバンドにメンバーとして加入するのと、果たしてどちらが勝ちなのだろうか。上位バンド、最優秀賞バンドだろうと、誰もが参加出来る訳ではないバンドに加入。ある意味、勝ちでしょw

 音大にジャズが設置されるまでは事実上ジャズ・ポピュラー音楽やスタジオ系のミュージシャンの登竜門として機能してきたコンテストとその歴史を形成&牽引してきた、上位・強豪バンドの 持つ「伝統」を、コンテストの採点基準・評価範囲その他諸々を把握するという事はカンタンではない。
 入賞バンドの演奏が収録されたハイライトCDは勿論、それ以外のバンドの演奏、審査員の講評や採点表も可能な限り収集・精査し。 AとBならば、どちらが正解か(点を貰えるか)というハウツーを確立し、それを代々引き継いで精度・信憑性を高めていく。そういう長期的な計画を立ていく必要がある。
 協力的なオッサン達、、、もといOB達がウジャウジャいるような所なら、(こちらが頼むjまでもなく勝手に買って出て)時間や労力や時々経費を費やしてまで、その手のリサーチ活動・諜報活動に発奮して勤しんでくれるだろうが。 そうではない所は、バンド内で、そういう事を手分けしていかねばならない。レギュラー外とか、有効に利用せんと。
 勿論。 個々のプレイヤーが、ずば抜けて素晴らしい演奏力やセンスを持っているのが揃っていて、細かい事をゴチャゴチャ考えずとも普通にやってそこそこ通用する、みたいな場合も無いとは言えない。
だが、多くの音大が、音大なのに、たかが一般大学のクラブ活動(ジャズ研・学バン)に負けるのが現実だ。

 端からみて「なんでこんな馬鹿馬鹿しい事に、こんなムキになれんの?」という事にムキになれる馬鹿野郎達が戦う、個人的には、鳥人間コンテストと双璧をなす、「くだらねぇ、でもアツい」大会だと思う。
 どこまで馬鹿になれるか大会だ。
 少しでも馬鹿になれたやつ、こんな何の得にならない事にムキになれたやつが勝ち、笑う。
 アツく虚しい大会だ。 懐かしいw


2017年7月の予定
2017年7月のライブハウス(セッション・ライブ等)の予定です。

◇7/7(金)ボーカル・ライブ@関内スピークロウ
 吉本ひとみ(vo) 橋本宏之(p) 府川晃一郎(b)
 20時~ 4set / \3000
 http://speaklow.jp/
 横浜市中区住吉町6-74 2F
 ☎045-641-4468

◇7/11(火)ジャム・セッション@関内ABスマイル
 矢藤健一郎(d) 杉山美樹(p) 府川晃一郎(b)
 19:30~ ¥2000
 http://absmile.jimdo.com/
 横浜市中区太田町1-11-3 グリーンビル4F
 ☎045-664-6162
 毎月第2火曜定例のジャムセッションです!
 楽器もヴォーカルも見物も、全部お待ちしております!
 気軽にご参加下さい☆


今月もどうぞ宜しくお願いします。m(__)m



◇レッスン
随時レッスン生徒大募集中です。
ジャズ・ベースを始めてみたい方、独学でやってきたけど習ってみたい方など、気軽にご連絡下さい。

 http://www.geocities.jp/bassere2/uketuke/lesson2.html

◇その他、演奏・作編曲・譜面書きなど、何か依頼したい方はコチラ→メール・フォーム

m(__)m

     

 



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