所長の独り言... 
とあるジャズベーシストの独白・・・
整式とミキシング
 数や文字の積として表される式、単項式。
 単項式を+やーでつなげたのが、多項式。
 +やーでつなげるということは、単項式に正の数、負の数がかけられている、とも言える。
 5a - 3b + 4c を、5a と - 3b と + 4c に分けたとき、それぞれを項と言う。
 多項式の各項(単項式)を構成する因子において、変数(不定元)を除いた、定数等の因子の事を「係数」という。
 簡単に言えば、各項の中の(正負の)数字の事だ。
 中でも数字だけの項。それ自体で項全体となっている項(あるいは、形式的には 1に掛かっている係数)を、特に定数項と呼ぶ。
 未知あるいは不定の数・対象を表す文字記号のことを、「変数」という。
 同じ文字(変数)による積は、「次数」によって表される。
 多項式は、その中に含まれる最大の次数により、◯次式と呼ばれる。
 同じ次数の同じ文字を持った項を、「同類項」と呼ぶ。同類項同士は加減が出来る。
 
 同類項は出来るだけ計算してまとめていく。
 また、アルファベット文字による変数はアルファベット順にまとめていく。
 また、次数が高いものから順にまとめていく。
 そうしていく事で、多くの項が雑然と散らばった長い式は、コンパクトにまとめられて(整理されて)いく。
 これを整式という。
 PCで言うデフラグみたいなもの。
  整式にする、という処理をしておく事で、変数の数値が与えられた時、速やかに計算を行う事が出来る。




 ミキシングというのは、整式にする作業だ。
 その後、変数(どんな音楽嗜好を持つ人が、どんな場所や環境で、どんな時に、どういう風に、何のために、聞き、どう受け取るか)によって色々と効果は変わるにせよ。
それ以外の定数的な部分、送り手側・発信する側の意図については、しっかりまとめ、確定しておかねばならない。

 非理数系で40年くらい通ってきた僕だが。加減乗除や一次方程式など、いま目の前にある事の計算(算数)までしか出来ない、それに全力を尽くす生き方をしてきた。数学とか理科とか、自分が生きてく上であんまり関係ない事だと思ってきた。どちらかといえば歴史とか地理とか社会方面に偏ってきた。
 物事にあたるとき、由来、成り立ちや経緯、現状、経験則などを把握する事で、俯瞰してみたりする事で、取り組んできたが。どうしても、現場叩き上げ的になってしまう。昔から今までやってきた事、積み重ねてきた事の延長線上にしか先が見出せない。一方向的だ。 また選択肢や可能性に、自分の趣味や主観によるバイアスがかかる。

 昨年の後半から、DTMというものに少しずつ手を出して。 そもそも、変数とか関数とか正弦波とか、理数系の用語や概念がサッパリ分からないw
 ので、DTMのレクチャー動画と並行して、理数系の番組とかも、(ベースや鍵盤の指練しながら)見てきた。
 本(教科書や取扱説明書)は、理解出来なければ、先に進めない。進まない。 分からなくなったら、そこで止まる。 しかし、実践(現場体験)や動画は、こちらの理解度やペースに関係なく、どんどん進行する。 その効果を利用するのが授業というものだろう。
 しかし、アスペルとかADHDとかだと、大人しくお行儀よく何もしないでじっとしている(させられる)というのが苦痛で仕方がない。 例えば落書き、例えばマンガ、例えば工作、例えばゲーム、等。他の事をしながら、適度に自分勝手な事をやって気を紛らわせながらでないと、出来ない。
 授業中に、机の上に両足を乗せて、椅子をガタゴトやって、たまに落下して「お〜、痛え!w」とか一人で面白げに騒いだりしてるのも、一応本人の中では少しでも「他の事を何もせずにじっとさせられる」という堪え難い理不尽な苦痛を紛らわせながら、それでも何とか出席したろうじゃないか、という歩み寄りなのだが。
 まぁ、大概は、理解される事も無く。 鉄拳制裁くらったり、呼び出し指導くらったり、行儀が悪い、柄が悪い、態度が悪い、意欲が感じられない、などの全く的外れなレッテルを貼られたり、する。
  「上等だ、バカヤロウ。 こっちから出てくわ! けったくそ悪い!」 という事になる。
 そこら辺の恨み辛みも重なって、「大の理数系嫌い」を公言してきたが。
 さすがに四十路にもなると、多少は大人になる。あの時どういう事が自分や周りに起こっていたか、当時の状況こみで、冷静に判断する事もできるし、そんな昔の事にこだわり続けるのも、それで選択肢を狭めるのも馬鹿馬鹿しい。




 理数系は、特に数学やそれを応用する系の科目は、どこかで分からなくなったら、そこから先に進めない。躓きっぱなしになる。 歴史や地理なら、どこかで苦手な項目、分からない項目があっても、先に(他に)進めるのだが。
 だから、数学やそれに近い科目は、とにかく地道に、着実に、基礎からしっかり身につけていくしかない。

  ・・・まぁ、音楽や楽器もそうだが。
 僕の場合、前半生で、体験学習的に好きなだけ好きな事を好きなようにやってきた、遊びでやってきたので。
 「クリアした後のやりこみプレイ」的な感覚で、何度も(何周も)やってくうちに、効率的な方法を模索してくうちに「基礎や地道な積み重ねが大事」「無い袖は振れない(取り組んだ事以上のものは出て来ない)」「不思議なものなどない」という、面白くもない単なるアタリマエな事実に行き着いただけ。   

 数学とか、公式とか、何がつまらなかったか、というと。
 歴史的に、他の人達がプレイして試行錯誤してきた末に編み出され積み重ねられてきた「結果」、定跡とか理論とかみたいなものを、現代の視点で平面的に整理されて並べられてしまうからだ。
 「へえ、そうですか」「それはそれは」てなる。
 なんというか「ジャズというものを知りたいかい? なら、最初に聴くべき重要なアルバムを、詳しい僕が教えてあげるよ」とか語ってくるドヤ顔のジャズオヤジの垂れる御高説を聞くくらい、ウンザリな気分にさせられる。
余計なお世話だ。
 自分が何を聴くべきか、何が大事かなど、後で自分で決める。
 ・・・という性格は、人から学ぶ(人に教えを乞う)のに、全く適していないw
 だから、何でも独学で、自力で、ある程度まではやらなくちゃいけない。
 自分なりにやれる所まで行って、何が分からないのか、何を知りたいのか、分かってきて、固まってきて、それでようやく、人のやり方を聞ける。
 自分とは全く違うものを、一つの参考として聞けるようになるためには、そもそも、その必要・必然を感じるためには、ある程度まで自分でやらなきゃならない。僕の場合。
 四十路に至って。ようやく。 理数系のアレコレに対する興味関心が湧き、その必要性を感じ始めた。
  


 
 ミキシングとか音響に取り組んでいく上で、理数系の用語や概念、思考の仕方は、不可欠だ。
 ならば、基礎から学んでいくしかない。
 また、学べば、アプローチの仕方が変わってくるだろうし、これまで培ってきたものを違う形で活用出来るはず。

 同類項をまとめる、足したり引いたりする事は出来るが、違う項をまとめる事は出来ない。
 音量、定位、イコライズ、エフェクト。
 何を足し、何を引き、何を掛け、何を割るか。
 それらは、一つ一つは項。計算でしかない。より重要なのは式を作る事。つまり整式だ。
 イベント、パート、トラック、グループ。
 オーディオ・トラックは定数、MIDIトラックは変数だ。変数の値が音源(パッチ)だ。グループやフォルダトラックは括弧だ。ブーストするか、カットするか。足すか引くか、掛けるか割るか。
 いずれにせよ、=0(db)と決まっている式。



 
 
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