所長の独り言... 
とあるジャズベーシストの独白・・・
理数系的な論理 ニガテを克服
 もうすっかり錆びついてしまっているが。 昔、子供の頃、少しだけソロバン(と暗算)をやった。
 あれは計算だ。 どんな数が来ても、どんな順番で並んでも、上から下まで順番に計算していく。その精度と速さを磨く。そういう技術だ。 「どんな曲が来ても演奏する」演奏者のメンタリティに似てる。
 四則演算とか、算術演算ともいう。
 定数の、二項演算に特化している。分かっている因子、数字に対して機能する。

 変数を用いる論理演算。方程式とか関数とか、そういうのが、とにかく弱い。非理数系的であると同時に、非論理的だ。
 変数に、ひとまずの仮の数値を入れて、計算して、ひとまず答えを出してしまう、とか。
いちいち全部広げて、俯瞰して、並べて、数える、とか。
そういう原始的なやり方を(それで可能な範囲で)してきた。
・・・この独り言のように。
そういうやり方が出来る範囲に留まってきた。

 少しは、論理演算が出来るようにならないと。 せめて高校レベルまでは。 大学院生レベルまで必要ないが。基礎的なレベルまでは、身につけておかないと、根本的な部分で、どうにもならない。

 演奏する上で、奏法とか理論とか組み立てとか云々する前に、まずは体力。ピッチ。みたいな話。
 どんな格好の良いフレージングやラインでも、タッチやピッチやリズムがヨレヨレのグダグタだと、どうにもならない。格好がつかない。格好つけられない。何とかかんとか(身の丈にあってない、不似合いな)演奏するのでやっと、になる。
 逆に、基礎がみっちり出来てれば、何をしても形になる。

 基礎がないと、「誰それさんのカッコいい台詞や口癖を真似してみました。どうです、似合ってますか?」になってしまう。
 基礎があれば、「別にカッコいいかどうか知らんし、そんな事はどうだって良いのだが。 とりあえず、俺は、こう考えて、こう言っとるのだ」という事を自己主張する事が出来る。


 

 現時点では、経験論に基づく主観と置換でしか、物を言えない。
 100パーセント、独断と偏見だ。 
 論理や根拠がない。いや、それなりのソースはあるのだが、組み立てて披露できるようなもの、「整式」にまとめる力が無い。
 有無を言わさず現物で、論より証拠で、能書きより実践で、やってきている。
  
 「大勢の敵でも、狭い路地に誘い込んでしまえば、一対一にしかならない。各個に順に撃破していけば良い」という理屈で。
複雑な難問でも、細かく砕いて分解してしまえば、瑣末事になる。大した事でなくなる。プレイヤーはそれで良い。
問題は、大した問題でなくした後、組み立て直して、製品に戻せなくなる事。

 「どって事ないべ」と言う、言える所まで、問題を小さく圧縮してしまう。
  「何のこれしき」 「誰でも出来る」 「もっと、もっとだ」 と、取り組んでくうちに、本当に何でもないような事になってしまう。
 誰か、どこかが、辻褄を合わせて、価値を維持してくれる、担保してくれる前提なら良いが。
 それがなければ、毎日数時間、数ヶ月かけて、身につけたものが、湯水のように消費されていくのが現状。というか、どんどん暴落していく。

自戒を込めて言うならば、職人気質の(あまり商売っ気の無い)ミュージシャンは、気をつけないと、容易にブラック労働にさらされてしまう。
 自分が、その日に、何時から何時まで、どのような事にどのくらい取り組んだか、日誌をつけとくと良い。
 練習、譜面書き、勉強、何でも良い。
 とにかく、取り組みを可視化してみる事。
 そして、それに対し、時給をかけてみよう。
 そして「事業主の自分」は、雇用者である「ミュージシャンの自分」にそれをペイしなきゃならない、と考えてみよう。

 どんだけ、「事業主の自分」は、「ミュージシャンの自分」にサービス無償労働させている事か。
 ミュージシャンとしての自分、ベーシストの自分、作編曲家の自分は、とにかく無邪気に好きなだけ存分に弾いたり作ったり出来りゃ文句ない、それだけなのだが。
せめて、「事業主としての自分」がそれを守ってやらなければ、反映させてやらなければ、どうにもならない。

 「ミュージシャンの自分」が、音楽のことで頑張る、努力するのは、当たり前だ。
 というか、放っておいても、それしかしようとしない。何をやっても、全てを音楽に結びつけようとする。勝手に次から次へと、取り組むものを見つけて、取り組んでいく。
 だから、別に放っておけばよい。それで問題ない。

  しかし「事業主としての自分」は、もう少し、いや、かなり反省した方が良い。
 「ミュージシャンとしての自分」に支払ってやるべきだった、彼が練習や勉強に費やしている時間や経費に対する正当な報酬を。
また、それを確保するために必要なルーティング、マネジメントをサボり。
 考えなしに、捨て値で適当にさばくような無責任な真似をしていた。
 




 無闇な安売りはすべきでないが。特に、多売の出来ない薄利な叩き売りは、してはいけない。
 諸般の都合で、あまり無闇に動き回る事が出来なくなった。 つまり多売戦略はとれなくなってきた。
 そうなってくると、これまでのような、考えなしのガムシャラなやり方では、どうにもならない。
 
 「いや、まぁ、音楽やれんなら、別に何だって良いっすよw」 とか言ってるミュージシャンの僕の好きにさせとく訳にいかない。
 コイツの好きにさせてしまうと、どうにもならない。
 ・・・かといって、コイツは好きにやらせないと、無理やり抑えようとすると暴発する。

 「いや、頑張りゃ、良いんすよ。ゴチャゴチャ考えてねーで、正面突破で、ガツっと...」
 だから、駄目だって。そういうの。

 音楽そのものの話、現場に立ってる時ならともかく。
 それ以外の時は、コイツの能天気な話や判断に耳を貸しちゃならない。
 アテにならない。論理的根拠がない。

 何のスキルもない、高校生アルバイトを移転作業に雇うのだって、日給6000円くらい、時給1000円くらい、かかる。
 人に何かさせる、人を動かすというのは、そういう事だ。
  果たして、「事業主の自分」は「ミュージシャンの自分」にどれだけ払えるのか。
 言い換えれば。「事業主の自分」は、「ミュージシャンの自分」の音楽に対し、彼の活動ややっている取り組みに対して、それを把握して、いくらくらいの値をつけているのか。どのくらい支払うべきだと思っているのか。
 それが可能なように、条件を提示して交渉するなり、それは出来ないと断るなり、するのが、事業主の自分の仕事だ。

 これまで自分が費やしてきたものや積み重ねてきたものに対して、高校生の小遣い稼ぎと同じ程度、それ以下で良い、「その程度のもんだ」と思えるのか。
 音楽を、引っ越しバイトよりは価値の低いもの、と思えるのか。
 僕はノーである。そこまで、卑屈にゃなれない。

 「そんくらい、時間外で自腹きってやっとくの、当たり前だしょ。皆そうなんだ。甘ったれてんじゃないよ」というブラック事業主でありたいのか。
 それとも、 「お疲れ様。かけた時間や経費についてはしっかり払うから。頑張ってくれたから、色つけとくよ☆ 」という良い事業主になりたいのか。
 もし後者でありたいならば、当日の拘束時間や内容に、維持や開発に費やしているコストも含めた金額で、考えないとならない。 どうあっても回収出来ない、その見込みのつかないようなものは、仕分けをしていかねばならない。
 つまり、プロフェッショナルとしてシビアな選択をしなくてはならない。




 周りはみんなこうしてるんだから、という横並び話法。
 昔からそういうもんだった、という、しきたり話法。
 それらは、供給する側(サプライヤー)と利用者(ユーザー)の、提供し対価を支払う、という事になんの関係もない。
 全く別の話であり、論理的に成立していない。
 変に空気を読む、今はやりの忖度など、してはならない。グダグダになる。
 

 もし仮に、本当にどこでも皆同じ、業界の相場となっているならば。
 それを納得したり受け入れたりする必要は無い。
 むしろ、そのようなブラックな業界に留まり続けるのが必要な事かどうか、自分やその取り組みに対して誠実かつ適正な事かどうか、再考すべきだろう。
 ハコ的、業界的な、流れとか慣習に、その言い分・論理に、ただただ流されたり浸かりきる事に、意味も利点もない。
 
 音楽を楽しくやる(やれる)のは当たり前。 楽しくなければ音楽じゃない。
 何が提供出来るか、それに対してどのくらい対価を支払えるか、それがプロフェッショナルだ。
 プロフェッショナル的にやれないなら、「気持ち」とか「奉仕」になる。

 ミュージシャンは(ミュージシャンをやるような人間は)、大半が、放っておいても音楽をやってしまう、ある種の病気を持っている人種だ。
少なくとも「嫌いで嫌いで仕方ないけど、苦痛なんだけど、仕方なく音楽をやってます」みたいな人間は、これまで出くわした事がない。
 だから、特に理由が無い限り、勝手にいつでも楽しく音楽をやっている。
 音楽をやる事自体は、いつでもどこでも、楽しくやれる。

 昔は、とてもギャラの高い店とかで、ミュージシャンに店側の都合で、ミュージシャンかやりたいのとは別の音楽を無理してやって貰ったり、というのがあった。 
 どんなにギャラは良くとも、そういうとこで、自分がやりたいのとは違う(柄にもない)プレイばかりを要求されたりガマンしてやったりしていたら、欲求不満が溜まる。
そういう時に、「ウチは大したギャラは出せないけど、、、好きなようににやってよ」と言われたら、ストレス発散になる。
 ひと昔、ふた昔前ならインディーズ系というか、アーティスト支援してます系のお店というのは、そういう相対的な意義とか価値観があった。
 しかし、今では、ミュージシャンの演奏内容に細かい要望をつける店とか、殆どない。 大体どこでも、ミュージシャン側の好きなように出来る。 そうなってくると、「大したギャラは出ないけど、好きに演奏出来る」なんて事は特にメリットでもなんでもなくなってしまう。存在価値がなくなってしまう。単なる金にならないショバというだけだ。 

 それだけならまだ良いが。何を勘違いしてるんだか、ミュージシャンに集客努力だとか、活発な活動(による宣伝)とかを期待・・・を通り越して、要求してくるような所まで出てきた。 あと、払うべきもんも払わないで、あーしろこーしろ、あーした方が良いこうした方が良い、とか注文やらアドバイスやら、してくる所まで出てきた。  
 何きどりだか知らないが、せめて、払うべきものを払ってから、言え。  
 一番、ミュージシャンを、その音楽性や努力を軽視し愚弄しているのが、こういう輩だ。

 音大生だとか若手とか、粋の良いのが文句の一つも言わずに二つ返事でやってくれる?
 右も左も分からない、必死な、チャンスを求めてがっついている若者達を、だまくらかしてタダ同然でこき使ってる事を恥ずかしげもなく引合 に出してきて、いったい何を言ってるんだか。
 「大ベテランの〇〇さんだって、こんくらいでやってくれてる」・・・そんな斯界の大御所の寛大さにつけこんで、しかるべき報酬も出さない事について、申し訳なく思うどころかアタリマエのように言う時点で、どの程度ミュージシャンを大事に思ってるか、どのくらいの価値だと思ってるか、計り知れる。
 
 たぶん、こういうミュージシャンを大事にしない所は長続きしないし、ミュージシャンへの報酬を(提供する音楽へのコストを)ケチるような所では、「不愉快なマイナス要因がなければ、いつだって楽しくやれるハズ」の音楽が、人的要因で、楽しくやれなくなってしまうおそれがある。
 そういう裏の話でムカムカして、クソみたいな楽しくない音楽をやるような事になれば、やればやっただけ自分がダメージを受けるだけ。 何一つ得るものがない。
 そういう事がないように、ミュージシャンの自分が常に気持ちよくベストを尽くせるように、事業主の自分はマネジメントしなくちゃいけない。

 


 その、肝心の、事業主の自分が、あまりに仕事をしてなさすぎる。仕事が出来なさすぎる。
 理性的な、クレバーな対応が出来なさすぎる。
 こうして、ちょっと間をおけば、「そういうトコには近づかない方が良い。距離をとった方が良い。」と当然の答えが出せるのに。
 いざ、って時についつい感情的な、適切でない対応をとってしまう。  あまりに口下手過ぎる。  


  「まぁ。そんなに、自分を責めない方が良いよw 簡単な話、もっともっと精進してさ、突き抜けるような所まで高めればいいだけの事だろ? 頑張るよ、俺w」
 ・・・いや、そういう事じゃなくて。
 
 なんやかやで、より感情的・衝動的・本能的な、ミュージシャンの自分に引っ張りまわされてしまう。制御しきれてない。  
 この能天気で考えなしなバカを、ちゃんと手綱をとっておく、説得・納得させられるだけの力が、コチラの自分には、無い。
 それどころか、ついつい一緒になって暴れてしまう。
 
 「ミュージシャンの自分」の方が、実動的で、行動して結果を出してきたという自負もあって、優位だ。  
 一方、マネジメントしてる方の「事業主としての自分」は、どうも弱い。 「どうせ俺は、落ちこぼれだしな。。。」的な引け目というかコンプレックス、いじけ癖がある。これはどうにかしていかなくちゃならない。




 この国で、生きてく上で、必要な普遍的な技術・知識・考え方を教えるのが義務教育だが。  
 仕事をしていく上で、必要な普遍的な技術・知識・考え方を教えるのが高等学校だ。  
 専門分野に進む上で、必要な普遍的な技術・知識・考え方を教えるのが大学だ。 

 高校で理数系単位を落としてる癖に、得意分野だけで独学でどうにかして、大学受験をクリアした。 まぁ、だから、結果オーライ、問題ない、と思ってここまでやってきたけど。
 まさか、ここで、音楽の仕事で、自分の人生に不要だと思っていた理数系科目のアレコレが必要になってくるとは。
 
 演奏や作編曲については、独学で、延々とやり続けてきた。  おそらく理数系な人、理論的なアプローチでやっている人とは、全く違う(殆ど反対の)独自の角度・視点から攻略してきた。(あくまで自分用のやり方なので人に教える時は普通の話をする)  しかし、DTMは、そういう訳にいかない。
 立体(3次元)を、取り扱う。 いや、もしかしたら、時空(4次元)かも知れない。 我々、演奏者は、演奏の場において、場面を平面的に切り取り、判断したり行動したりしている。せいぜい、写真や動画のように遠近法で立体感をシミュレーションしながらやる程度。下手すりゃ1次元だ。

 同時に複数の異なる音を演奏する楽器、ピアノやドラムセットの演奏者は常に3次元の中で3次元を意識したり表現したり、しているかも知れない。 だが、他は、アニメーション的な、平面の連続だ。DAWは、明らかに、ドラムやピアノの音楽の捉え方が基準となっている。
 これを、理屈で攻めるには、ユークリッドだとか、ニュートンだとか、トポロジーだとか、、、そっち方向の基礎的なスキル、つまり幾何学とか数学とかを、やりこまねばならない。
 いちいち歴史とか発見者とか背景とかやり始めたら「それ、何十年かかんの?」という話になってしまう。

一方、感覚的に、実践の中で体験していく中で掴んでいこうとするならば、ピアノ或いはドラムの基礎的なスキルが要る。
幸か不幸か、僕はピアノをやらずに譜面ソフトを使って勉強したり作編曲をしたりするようになった世代であり、ピアノはせいぜい和音を押さえるくらいしか出来ない。
 昨年、大体ピアノと同じ鍵盤サイズのMIDIキーボードを入手して以来、作編曲の入力デバイスやちょっとコードを確認する以外に、基礎的な指練やピアノ譜面を読む練習をコツコツとやっている。 譜面ソフトではなく、DAWによる音楽制作を習得してく上で不可欠だと感じたからだ。


 

 
 理数系、数学的、論理的な考え方。
 立体的、空間的、或いはそれ以上の、多次元的な感覚。
 こういう、苦手なもの、手つかずだったものに手をつけるべき時が来た。
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