所長の独り言... 
とあるジャズベーシストの独白・・・
活字と書道(習字)
こうやって呟いてる、入力している「活字」は、読みやすさを重視して、漢字もひらがなもアルファベットも正方形のバランスに統一されている。しかも横書きである。
日本古来の書体とは、だいぶ違う。日本古来の書体は、漢字と平仮名とで、字ごとにバランスやサイズが違う。

PCやスマホで使われる活字の書体は、筆による書体に比べて、正方形のバランスやサイズに整えられている。
タテヨコの最大サイズが決まっている。そもそも、こんな小さい文字は、筆どころかシャープペンでも書けない。
タテヨコの長い方がそれに合わされ(圧縮され)、短い方がブーストされる。
タテヨコの差を圧縮して、揃える。

ミキシングする際、生音を0dbに合わせ、音量差を圧縮して(コンプをかけて)、揃える。 そういう事だろう。




ところで、今日はじめて知ったが。
小学校でやる習字(書き方)は国語に属すものだが、高等学校でやる書道は芸術に属すもの、らしい。

・・・書道?
やったっけ?
いや、あったっけ?
記憶にございません、だが。
成程。現代使われる情報の伝達手段としての文字を、その書き方を基本から習得する、それが習字な訳だ。
一方、書道は、それ自体のデザイン、書体、バランス、感情表現の様々について、取り扱う、と。

 もし、いちいち、筆・墨・硯・紙を用意して、正座やら中座やらの姿勢で、字がグチャグチャにならないように、紙がクシャクシャにならないように、墨が飛び散ったりこぼしたりしないように、気をつけて書かなきゃならないなら、、、こんな風にダラダラと呟き続ける事はないだろうw
 キーボードやフリックで、手軽に入力できて、大体の漢字候補を出してくれて、なんなら次に来そうな言葉の候補まで予測して並べてくれたりして、変換してくれる。 おかげで、かなり漢字を忘れてしまった、どころか、ペンを持つ感覚すら忘れてしまった。
 たまにペンを持つと、震えるw

 先日、区役所でちょっと自分の住所氏名とかを書いた時、字が出てこなかったりとか、あまりの自分の字の下手くそさに衝撃を受け、ちょっとデジタル機器への依存、アナログな「書き方」スキルの低下について、どうにかした方がいいかと考えさせられたりした。
 ・・・が、すぐに、忘れたw
 デジタルの方が便利過ぎて。

 


 デジタルな音楽やその制作ツールの発展により、アナログな楽器は、その奏法技術は、またこれらを用いた作編曲技術は、どんどん書道的な立ち位置になっていくかも知れない。
現在は、実用的な手段として、まだまだ現役だ。が、徐々に習字(書き方)に移行してきている。

 僕は日本人だが、はるか昔の人が筆で書いた書物は、読めない。
 また、活版印刷が使われるようになった近代のものでも、文語体とか古いフォントとか、古い版の本だと、全く読めないという事もないが、億劫で読めない。
 最近の版やフォントが望ましい。
 往年の本、文庫本などを僕よりもずっと読み込んできた世代の人とかだと、古い方が一行あたり、一頁あたりの文字数、全体のボリュームがコンパクトで密度が高くて俯瞰的に読みやすい、という。 一方、老眼その他で、最近の方が良い、という派の意見もある。
 文庫本、活字印刷本は、言わばレコードだ。 書体は、音源の音作りだ。 使い勝手(作り易さや聴き易さ)を優先するか、デザイン性、美的センスを優先するか。
 はたして、音楽の世界は、これからどうなってくか。



 
 ちなみに。活字を、その書体のまま、縦書きの紙に清書すると、だいぶ平坦てま不恰好になるらしい。
 活字とは活版印刷のための書体。
 明朝体、ゴシック体、その他諸々。
 良くも悪くも平坦で均一で没個性的。機械的。誰が書いても(入力しても)同じになる。クセがない。
 まさにピアノ(鍵盤楽器)やMIDI打ち込み音楽の如し。 鍵盤奏者は、逆にどうにか個性を、表現をつけようとする。
 エレキ楽器もそう。
 一方。多くのアナログな楽器、アコースティックな楽器は、習字(書き方)から、均整のとれた、バランスのとれた、クセのない字が、書けるようにする所から入り、ほぼ生涯取り組む。(ついでに仮名や漢字を覚えていく)
 その過程で様々な個性、筆跡や書体というものが形成される。
 
 本・PC・スマホで活字が普及し、デフォルト化すると、まず筆を、それどころかペンや鉛筆などの筆記具を手にする機会が激減していき、多くの人が書かなくなり、また、様々な書体や筆跡を目にする機会が減っていく。読めなくなっていく。
 古い世代は書けなくなってくにせよ、まだ、読めるかも知れない。しかし、新しい世代は、もはや活字や活字並みに整ったペン字でないと、読めないように、だんだんなっていくかも知れない。
 いま、教育現場で、タブレットやPCの活用が進んでいる、という。 そのうち、ノートや鉛筆は、なくなるかも知れない。印鑑みたいなポジションになってくかも知れない。そういう世代は、もはや、活字でないものは受け付けない。読めない。綺麗だか何だか、もう分からない。

 コンプをかけて、マキシマイズされた、CDに慣れた耳では、生音・生演奏・生楽器のバランスや音色は、受け付けなくなっていくかも知れない。 せめてペン字程度に、調整していかねば。
 ピッチ補正。タイミング補正。音量補正。ダイナミクス補正。低位の補正。空間(残響)補正。
 アナログ的な考え方では、機械頼り、ドーピング反則、みたいについつい思ってしまう。
 が、そうではない。
 それは、書き手作り手の、習字やペン字をやってる側の理屈・こだわりに過ぎない。

 多くの利用者は、(それ用に用意・調整された)活字を、書いたり読めたりする事を求めているのた。つまりCDのような音だ。
 手書きでも、それに準じたペン字が求められる。つまり、PA、マイク、エフェクタ、アンプだ。
 習字や書道は、その数は、需要は、これからますます減っていくだろう。




 ペン(や鉛筆)は、すっかりご無沙汰になってしまったが。
 楽器には、これからも触れていきたい。使っていきたい。
 活字にはない魅力、情報伝達力がある。特に、感情をこめるなら、やっぱり、こちらの方が良い。
 ちょっと大きく、力強く書くだけで、強調したり。サラリとさりげなく流せたりする。

 ワープロと手書き、どちらが良いとか、どちらで行く、ではなく。
 それぞれの良さを認識し、使い分けていく。
 それが、肝要だろう。
 とりあえず、音楽のワープロ、DAWを、もっと使いこなせるように、なろう。
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