所長の独り言... 
とあるジャズベーシストの独白・・・
追加と削除 均一と乱数のトレードオフ
最近、何かにつけて。
「イチから始める」とか、「ゼロベース」とか、とかでなく。
既に現在の状態はフル(100%)もしくは0dbのノーマライズされた状態、時々それ以上のクラッピングを起こしている状態である、と考える。
「何かが足りない」ではなく、「何かか過剰(余分)」。

「音楽は削除と追加のプロセスだ」と誰かが言っていたが。
まずは何を削除すべきか、どれだけ削るか、どこにレシオとスレッショルドの閾値を設定しどれくらい圧縮をかけるか、という風に考える事が多い。この頃は。

 

 
 無から有にする(生み出していく)のではない。
 絵を描く、という作業は、白いキャンバスに色を塗っていくのではなく、「100%の白」という状態から白を削除し他の色を追加していく作業に他ならない。
 彫刻という作業は、四角い塊であり木材や石材から、木や石を削除し空間を追加していく作業に他ならない。

 レガート以外の音符は、合間に休符やそれ以下の微細な隙間(空間・無地)を挿し込む事によって表現される。 そうでない、休符や微細な隙間がなくビッチリとくっついた音はレガートとなる。
 五線による譜面は、その点で、非常に比喩的。 読譜者・演奏者が読みやすいように加工されたフィクション。漫画的だ。
 その点で、MIDIというのは、ずっとリアルに近い。勿論、限度というか、ティックスと呼ばれる、言わば音の解像度的なモノはあるが。常人の耳に聞き取れる限界よりも遥かに細かい。機械っぽい、ベタ打ち感が出てしまうのは、ツールの性能の問題ではなく、打ち込む側の問題。
 譜面を書くという作業は、五線に拍子記号と小節線を引いて小節を作り出し、そこに生まれた空白小節という書かれていない全休符を、音符や休符を書き込む事によって削除&追加していく作業だった。
MIDI打ち込みという作業は、それをもっと細かく、リアルに行う事が出来る。
 そして。
オーディオ・トラックとか生演奏というものは、さらに細かく、より直感的に、リアルに(笑)、やれる。




 無から音を生み出していくんじゃない。もともと存在する無音という状態を削除し、音を打ち込み、サウンドを造形していく。
 そして、その無音状態というのも、大袈裟な、或いは慣習的な表現だ。 無響室と呼ばれる特殊な所にでも入らない限り、無音状態など味わえない。 時計の音なり、呼吸音なり、心臓の音なり、何かしらの音が聞こえる。そういうものまで気にし出すと不眠症になってしまうから、誰も気にしないだけ。
 無響室のような特殊なスペースに縁の無い大半の人間にとって、音が無い状態というのは、無い。 何かしらの音が在る。意識するか、しないかの問題。

 爆音の伴奏よりもボーカルが前に来るようにミックスするポップスやロックの場合、他を下げてボーカルを上げる。
 それでも、歌が埋没したり。 逆にブレス(までも)がアップしたり、してしまう。 ジャズやクラシックのような、アコースティックな音楽ならともかく。 ドラムやエレキ楽器がガンガンに鳴っている中で、ブレスが目立つ、アンバランスに生々しさが浮き立つ、というのは、不自然になる。ベースで言えば、弦を押さえたり離したりする際のキュッと擦れる音とか。
そういうものを削除して、必要な(欲しい)音だけを追加するようにするものが、オートメーションであったり、ゲートであったり、する。
無音部分、これは「音が無い」のではなく、意図的に作り出す削ぎ落としの部分。

 

 
 ところで、我々は、直線というものを見た事が無い。
 直線とは、曲線の一種で、どこまでもまっすぐ無限に伸びる線の事を言う。一つの端点を始点として無限にまっすぐ伸びた半直線、有限の長さと両端を持つ線分、がある。 有限なる我々に確認出来るのは、「線分」のみだ。 それを慣習的に直線と呼んでいるだけ。
 
 リズムは、常に、始点と終点、つまり端と端がある。線分だ。
 始点のみがあって終点のない、ずっと鳴り続けている、これからもずっと鳴り続けていく、半直線のような音を。
或いは、始点も終点も無い、無限に鳴る直線のような音を。
 音として聞き取れるように、認識できるように、人間の耳や頭脳は、出来ていない。

 線分、つまり我々が慣習的に直線と呼んでいるもの。
 これを白い紙に描く事は、造作もない。誰でも出来る。鉛筆やボールペンで、定規や下敷きなどを当てて、スッと描けば良い。
 もしくは、PCのソフトで「直線」を選択し、入力し、それを印刷すれば良い。
 そう。今なら、何も難しくない。 しかし、ペンや鉛筆が発明される以前、筆しか無かった時代、紙が希少かつ高価だった時代、真っ直ぐな線を書く事が出来る人は、さぞ少なかっただろう。

 文章を書く。 これも、現代ならば、この駄文のように、誰でもスマホでさくさく書けるし読める。スマホが、変換候補の漢字を並べてくれたり、正方形の枠に縦横を均等化したフォントや0.3ミリのペンでも書けないような小さいサイズで代筆してくれるから、また、だいぶ安価になった紙すら使わずに済むから、せいぜい電気代と親指くらいの消耗で済むから、いくらでも書ける。書きながら、簡単にカットしたりペーストしたり、順番を入れ替えたり、出来るし。 くずかごにクシャクシャッとまとめて放り込んだり、シュレッダーにかけたりするまでもなく、簡単に廃棄出来る。

 PCやワープロが普及する前、一時期、何をとち狂ったか、漫画家や小説家を(いずれも出勤しないで済むインドア・ヒキコモリ型クリエイターw)を目指して、ひたすら原稿用紙に、マンガや小説を書きまくった(大量に紙を浪費した)経験が僅かなりともある者として言わせて貰えば、実に便利な時代になったものだ、と言わざるを得ない。
 もはや、真っ直ぐ線を書いたりする事も、文字を書く事も(漢字を思い出す事も)出来なくなってしまった。
 ・・・ぶっちゃけ、譜面すら、譜面ソフトを使わずに書く事も出来なくなった、自分でも解読不能な読みにくいものしか書けなくなった。マンガや小説はともかく。 譜面を書けなくなっちゃヤバイような気もしないでもない。。。
 
 いや。少しダメな新発見があった。 先週末、数日ぶりに演奏仕事に出た時、譜面読み込み能力が少し低下していたのを見つけた。 よく考えたら、しばらく譜面書きや読譜から遠ざかっていた。
 メモリー(暗譜)で演奏したり、iRealproで伴奏鳴らしながら次々に練習したり、DAWのプロジェクト画面やキーエディタ画面、ミキシングコンソール画面ばかり、見ていた。「譜面」を見る機会が減っていた。 すると、テキメンに、読譜力が低下していく。
 最近よくありがちな、譜面ソフトで作った譜面。 或いは、某曲集のような、読みやすさ使いやすさを重視した作りの譜面。 活字による読みやすいコードネーム。 くらいなら、読める。 しかし、筆記体的というか、特殊な書体や表記法によるコード譜に出くわし、「お(汗)」となった。
 ワープロ文書、ワープロ用書体や活字に慣れすぎて、手書きの、筆による字が読めなくなっていきつつある。
僕はまだどちらも読める世代だが。もう少ししたら、「手書きの譜面は読めません」「読みやすいようにワープロで打ち直して下さい」と堂々と主張する新世代が出てくるかも知れない。




 今は、真っ直ぐな線を書ける事には何の価値もないが。 筆による、美しい書体や文字サイズ、全体バランスをもった手書きの書には、価値が出始めている。 機械、デジタル化が進んで、普及して、皮肉な事にアナログには新たな価値や在り方が生まれるようになった。
 直線的な、機械的な、均質なもの、など。そんなものは、誰でも、道具を使えば(機械に処理させれば)いくらでも出来る。 タイトな、正確な、安定した音は、音のワープロことDAWにやらせてしまえば良い。 逆に、人間がやるべき、人間に求められているものは他にあり、力入れてもしょうがない。

 画一化された読み書きに適した便利なワープロによる活字、読み書きするに不便だが多彩な書体やフォントや縦横比率やサイズを表現出来る筆による書道。
 譜面ソフトと手書き譜面。
 DAWと生演奏。
 クォンタイズとランダマイズ。
 デジタルとアナログ。

 そもそも均一化にが適しておらず完全に均一化する事は出来ないのにどうしても均一化させて整えよう、人為感を出そうと努力してしまう演奏家と。
 ランダム化に適しておらず完全にランダム化する事は出来ないのにどうしてもランダム化させて生々しさや自然感を出そうと努力してしまう音楽制作者と。
 もともと正確に表記する事に適したものではないのに、(無意識的に四捨五入とか抽象とかを駆使しておきながら)正確に記譜しよう、それでいて読み手(演奏者)に読みやすいようにしよう、としてしまう譜面書きと。
譜面に書いてあるように正確に演奏しようとしつつ、実は細かく補正をかける演奏家と。
 最初から譜面など斜め読みで、フェイクやリハモや様々なフレージング手法を用いてランダム化してしまうジャズ演奏家と。

 均一化とランダム化。自分の中に、様々な視点とか立場がある。
 それを、いかに適切に、選択し、使い分けていくか。
 削除と追加をトレードオフするか。
 100%,0dbを左辺とする方程式をどのように作り上げるか。
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