所長の独り言... 
とあるジャズベーシストの独白・・・
「保守」はいつの間にかに
マンガ家とか、書いてるうちに絵柄や作風が変わる、という場合がある。というか、むしろ、全く変化しないという人の方が少ない。 しかし、思いっきり変わっていくタイプだと、「荒削りだけど初期の方が良かった」説とか、「いや、最近の方が洗練されてて良い」説とか、賛否が分かれる。
言うまでもなく書き手側は、常に良いもの(作品)を作る事に邁進している。試行錯誤を重ねて向上させるべく、未熟な問題点を克服させるべく、邁進しているのだ。
主観的には、常にベストを尽くしているのだ。出来る限りをやっているのだ。
変わった部分は、何らかの必然で切り捨てて来た部分だ。
しかし、読者にとってはそうではない。特に、過去のある時代に評価・支持した事のある人にとっては、そこが頂点、全盛期、黄金時代という事になる。価値観、評価基準が固定化される。保守化というヤツだ。

僕のマンガ観というのも、(今となっては)相当保守的だ。


80年代〜90年代、いわゆるジャンプ黄金時代を、モロにリアルタイムで体験した世代だ。
嗜みとして、手塚治虫や水木しげる、石ノ森章太郎、永井豪、ちばてつや、等の大作家の名作などはザッと目を通して来たが、あくまで「過去の名作」枠。自分の読んでる漫画に影響を与えたルーツとしての扱いだ。
しかし、「今の」若い世代の読者にとっては、いわゆるジャンプ黄金時代とかレトロだろうし。それを基準に云々と言う時点で「保守的なオヤジ」扱いは免れまいw 自分自身のマンガ読者歴やそれに基づく見識は、若い世代にとって無用、ウザったい、煙たいものでしかないだろう。

マンガというのは、ポップ・カルチャーだ。 目の超えた、教養やら見識やらを持った誰かが解説しなきゃ、もしくは勉強しなきゃ、その良さが分からないような骨董品のような世界、芸術的な分野とは違う。 堪能するのに他者の解説が必要なような芸術作品になり下がっちゃ台無し、な所がある。
ハイ・カルチャー、分かるものだけ分かれば良い、的な芸術分野とは、全く逆。 言い方は悪いが、「馬鹿でも、ガキでも、分かる、楽しめる」ように書かなくちゃならない。 「頭良くなくちゃ、大人じゃなくちゃ、分かりません、楽しめません」じゃ、そもそもマンガを読む意味すらなくなる。
僕は、ジャズは、基本的にはポップ・カルチャーだと思っている。
勿論、作り手側は色々と修業・勉強しなくちゃならないが、聞く側には全く不要。
「分からない、楽しめない」のは、たまたまその作品や作風が好みに合わないだけで、読み手の勉強不足とかセンスの無さとか、そういう事では全く無い。

現代の若者は「さしすせそ」を見事に使いこなす。 「さすが〜」「知りませんでした」「凄い」「センス良い!」「そーなんだ」 ひと昔、ふた昔前の、より前の世代、保守的な頭の固いオヤジ世代に、いちいち反抗したり挑発したり噛みついたり、不毛な事にムキになる昔の若者とは違う。
少子高齢化社会。
圧倒的な多勢に圧倒的な劣勢でカミカゼ特攻をしかけるほど、ムチャじゃない。迂闊に本音など出したりしない。もう少し慎重だし、利口だ。
そんな、表面の、さしすせそ的な処世術的な部分、長い物にゃ巻かせとけ的な部分ではない、琴線を打つようなもの。それは何か。
 
 ジャンプ黄金時代の大ヒット作品や、手塚治虫マンガが、今はマンガ・アプリで読める。そのコメント欄に、様々な反応が読める。 我々からしたら、ジャンプ黄金時代の作品や手塚治虫作品を未読・初読という事に驚きを禁じ得ないのだが。そんな彼らの反応・感想を見ていて、ちょっとしたカルチャーショックを受けた。
 「保守的なマンガ読者」な僕は、マンガ雑誌など、一誌につき数作しか読んでいない。読む気になる作品が少ないので、ほぼスルーしてしまう。 しかし、それを「自分達のリアルタイムなマンガ」として愛読している層もいるのだろう、だから廃刊もしないで続いているのだろう。
 自分が(いつの間にか相当)保守的になっている、という事に気づかされた。 深刻なのは、保守的になっている事に気づかないで、保守的な感性で「保守的(だと感じる)何か」に対して批判的になっている事、だ。 学生運動世代とかを笑えない。
 どこかで高尚なもの、ゲージツ的なるものを上にみる、有り難がる感覚が欠けているのが、既成概念が打破消滅してしまった後の我々世代やそれ以降、ポップカルチャー世代である。マンガ・ゲーム・ポップス。 それが、ゲージツ性云々を語り始めたらかなりヤバい。


スポンサーサイト
コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 

     

 



TRINITY ファーストアルバム

「Fanatical Stories」 発売中!