所長の独り言... 
とあるジャズベーシストの独白・・・
理数系的な論理 ニガテを克服
 もうすっかり錆びついてしまっているが。 昔、子供の頃、少しだけソロバン(と暗算)をやった。
 あれは計算だ。 どんな数が来ても、どんな順番で並んでも、上から下まで順番に計算していく。その精度と速さを磨く。そういう技術だ。 「どんな曲が来ても演奏する」演奏者のメンタリティに似てる。
 四則演算とか、算術演算ともいう。
 定数の、二項演算に特化している。分かっている因子、数字に対して機能する。

 変数を用いる論理演算。方程式とか関数とか、そういうのが、とにかく弱い。非理数系的であると同時に、非論理的だ。
 変数に、ひとまずの仮の数値を入れて、計算して、ひとまず答えを出してしまう、とか。
いちいち全部広げて、俯瞰して、並べて、数える、とか。
そういう原始的なやり方を(それで可能な範囲で)してきた。
・・・この独り言のように。
そういうやり方が出来る範囲に留まってきた。

 少しは、論理演算が出来るようにならないと。 せめて高校レベルまでは。 大学院生レベルまで必要ないが。基礎的なレベルまでは、身につけておかないと、根本的な部分で、どうにもならない。

 演奏する上で、奏法とか理論とか組み立てとか云々する前に、まずは体力。ピッチ。みたいな話。
 どんな格好の良いフレージングやラインでも、タッチやピッチやリズムがヨレヨレのグダグタだと、どうにもならない。格好がつかない。格好つけられない。何とかかんとか(身の丈にあってない、不似合いな)演奏するのでやっと、になる。
 逆に、基礎がみっちり出来てれば、何をしても形になる。

 基礎がないと、「誰それさんのカッコいい台詞や口癖を真似してみました。どうです、似合ってますか?」になってしまう。
 基礎があれば、「別にカッコいいかどうか知らんし、そんな事はどうだって良いのだが。 とりあえず、俺は、こう考えて、こう言っとるのだ」という事を自己主張する事が出来る。


 

 現時点では、経験論に基づく主観と置換でしか、物を言えない。
 100パーセント、独断と偏見だ。 
 論理や根拠がない。いや、それなりのソースはあるのだが、組み立てて披露できるようなもの、「整式」にまとめる力が無い。
 有無を言わさず現物で、論より証拠で、能書きより実践で、やってきている。
  
 「大勢の敵でも、狭い路地に誘い込んでしまえば、一対一にしかならない。各個に順に撃破していけば良い」という理屈で。
複雑な難問でも、細かく砕いて分解してしまえば、瑣末事になる。大した事でなくなる。プレイヤーはそれで良い。
問題は、大した問題でなくした後、組み立て直して、製品に戻せなくなる事。

 「どって事ないべ」と言う、言える所まで、問題を小さく圧縮してしまう。
  「何のこれしき」 「誰でも出来る」 「もっと、もっとだ」 と、取り組んでくうちに、本当に何でもないような事になってしまう。
 誰か、どこかが、辻褄を合わせて、価値を維持してくれる、担保してくれる前提なら良いが。
 それがなければ、毎日数時間、数ヶ月かけて、身につけたものが、湯水のように消費されていくのが現状。というか、どんどん暴落していく。

自戒を込めて言うならば、職人気質の(あまり商売っ気の無い)ミュージシャンは、気をつけないと、容易にブラック労働にさらされてしまう。
 自分が、その日に、何時から何時まで、どのような事にどのくらい取り組んだか、日誌をつけとくと良い。
 練習、譜面書き、勉強、何でも良い。
 とにかく、取り組みを可視化してみる事。
 そして、それに対し、時給をかけてみよう。
 そして「事業主の自分」は、雇用者である「ミュージシャンの自分」にそれをペイしなきゃならない、と考えてみよう。

 どんだけ、「事業主の自分」は、「ミュージシャンの自分」にサービス無償労働させている事か。
 ミュージシャンとしての自分、ベーシストの自分、作編曲家の自分は、とにかく無邪気に好きなだけ存分に弾いたり作ったり出来りゃ文句ない、それだけなのだが。
せめて、「事業主としての自分」がそれを守ってやらなければ、反映させてやらなければ、どうにもならない。

 「ミュージシャンの自分」が、音楽のことで頑張る、努力するのは、当たり前だ。
 というか、放っておいても、それしかしようとしない。何をやっても、全てを音楽に結びつけようとする。勝手に次から次へと、取り組むものを見つけて、取り組んでいく。
 だから、別に放っておけばよい。それで問題ない。

  しかし「事業主としての自分」は、もう少し、いや、かなり反省した方が良い。
 「ミュージシャンとしての自分」に支払ってやるべきだった、彼が練習や勉強に費やしている時間や経費に対する正当な報酬を。
また、それを確保するために必要なルーティング、マネジメントをサボり。
 考えなしに、捨て値で適当にさばくような無責任な真似をしていた。
 




 無闇な安売りはすべきでないが。特に、多売の出来ない薄利な叩き売りは、してはいけない。
 諸般の都合で、あまり無闇に動き回る事が出来なくなった。 つまり多売戦略はとれなくなってきた。
 そうなってくると、これまでのような、考えなしのガムシャラなやり方では、どうにもならない。
 
 「いや、まぁ、音楽やれんなら、別に何だって良いっすよw」 とか言ってるミュージシャンの僕の好きにさせとく訳にいかない。
 コイツの好きにさせてしまうと、どうにもならない。
 ・・・かといって、コイツは好きにやらせないと、無理やり抑えようとすると暴発する。

 「いや、頑張りゃ、良いんすよ。ゴチャゴチャ考えてねーで、正面突破で、ガツっと...」
 だから、駄目だって。そういうの。

 音楽そのものの話、現場に立ってる時ならともかく。
 それ以外の時は、コイツの能天気な話や判断に耳を貸しちゃならない。
 アテにならない。論理的根拠がない。

 何のスキルもない、高校生アルバイトを移転作業に雇うのだって、日給6000円くらい、時給1000円くらい、かかる。
 人に何かさせる、人を動かすというのは、そういう事だ。
  果たして、「事業主の自分」は「ミュージシャンの自分」にどれだけ払えるのか。
 言い換えれば。「事業主の自分」は、「ミュージシャンの自分」の音楽に対し、彼の活動ややっている取り組みに対して、それを把握して、いくらくらいの値をつけているのか。どのくらい支払うべきだと思っているのか。
 それが可能なように、条件を提示して交渉するなり、それは出来ないと断るなり、するのが、事業主の自分の仕事だ。

 これまで自分が費やしてきたものや積み重ねてきたものに対して、高校生の小遣い稼ぎと同じ程度、それ以下で良い、「その程度のもんだ」と思えるのか。
 音楽を、引っ越しバイトよりは価値の低いもの、と思えるのか。
 僕はノーである。そこまで、卑屈にゃなれない。

 「そんくらい、時間外で自腹きってやっとくの、当たり前だしょ。皆そうなんだ。甘ったれてんじゃないよ」というブラック事業主でありたいのか。
 それとも、 「お疲れ様。かけた時間や経費についてはしっかり払うから。頑張ってくれたから、色つけとくよ☆ 」という良い事業主になりたいのか。
 もし後者でありたいならば、当日の拘束時間や内容に、維持や開発に費やしているコストも含めた金額で、考えないとならない。 どうあっても回収出来ない、その見込みのつかないようなものは、仕分けをしていかねばならない。
 つまり、プロフェッショナルとしてシビアな選択をしなくてはならない。




 周りはみんなこうしてるんだから、という横並び話法。
 昔からそういうもんだった、という、しきたり話法。
 それらは、供給する側(サプライヤー)と利用者(ユーザー)の、提供し対価を支払う、という事になんの関係もない。
 全く別の話であり、論理的に成立していない。
 変に空気を読む、今はやりの忖度など、してはならない。グダグダになる。
 

 もし仮に、本当にどこでも皆同じ、業界の相場となっているならば。
 それを納得したり受け入れたりする必要は無い。
 むしろ、そのようなブラックな業界に留まり続けるのが必要な事かどうか、自分やその取り組みに対して誠実かつ適正な事かどうか、再考すべきだろう。
 ハコ的、業界的な、流れとか慣習に、その言い分・論理に、ただただ流されたり浸かりきる事に、意味も利点もない。
 
 音楽を楽しくやる(やれる)のは当たり前。 楽しくなければ音楽じゃない。
 何が提供出来るか、それに対してどのくらい対価を支払えるか、それがプロフェッショナルだ。
 プロフェッショナル的にやれないなら、「気持ち」とか「奉仕」になる。

 ミュージシャンは(ミュージシャンをやるような人間は)、大半が、放っておいても音楽をやってしまう、ある種の病気を持っている人種だ。
少なくとも「嫌いで嫌いで仕方ないけど、苦痛なんだけど、仕方なく音楽をやってます」みたいな人間は、これまで出くわした事がない。
 だから、特に理由が無い限り、勝手にいつでも楽しく音楽をやっている。
 音楽をやる事自体は、いつでもどこでも、楽しくやれる。

 昔は、とてもギャラの高い店とかで、ミュージシャンに店側の都合で、ミュージシャンかやりたいのとは別の音楽を無理してやって貰ったり、というのがあった。 
 どんなにギャラは良くとも、そういうとこで、自分がやりたいのとは違う(柄にもない)プレイばかりを要求されたりガマンしてやったりしていたら、欲求不満が溜まる。
そういう時に、「ウチは大したギャラは出せないけど、、、好きなようににやってよ」と言われたら、ストレス発散になる。
 ひと昔、ふた昔前ならインディーズ系というか、アーティスト支援してます系のお店というのは、そういう相対的な意義とか価値観があった。
 しかし、今では、ミュージシャンの演奏内容に細かい要望をつける店とか、殆どない。 大体どこでも、ミュージシャン側の好きなように出来る。 そうなってくると、「大したギャラは出ないけど、好きに演奏出来る」なんて事は特にメリットでもなんでもなくなってしまう。存在価値がなくなってしまう。単なる金にならないショバというだけだ。 

 それだけならまだ良いが。何を勘違いしてるんだか、ミュージシャンに集客努力だとか、活発な活動(による宣伝)とかを期待・・・を通り越して、要求してくるような所まで出てきた。 あと、払うべきもんも払わないで、あーしろこーしろ、あーした方が良いこうした方が良い、とか注文やらアドバイスやら、してくる所まで出てきた。  
 何きどりだか知らないが、せめて、払うべきものを払ってから、言え。  
 一番、ミュージシャンを、その音楽性や努力を軽視し愚弄しているのが、こういう輩だ。

 音大生だとか若手とか、粋の良いのが文句の一つも言わずに二つ返事でやってくれる?
 右も左も分からない、必死な、チャンスを求めてがっついている若者達を、だまくらかしてタダ同然でこき使ってる事を恥ずかしげもなく引合 に出してきて、いったい何を言ってるんだか。
 「大ベテランの〇〇さんだって、こんくらいでやってくれてる」・・・そんな斯界の大御所の寛大さにつけこんで、しかるべき報酬も出さない事について、申し訳なく思うどころかアタリマエのように言う時点で、どの程度ミュージシャンを大事に思ってるか、どのくらいの価値だと思ってるか、計り知れる。
 
 たぶん、こういうミュージシャンを大事にしない所は長続きしないし、ミュージシャンへの報酬を(提供する音楽へのコストを)ケチるような所では、「不愉快なマイナス要因がなければ、いつだって楽しくやれるハズ」の音楽が、人的要因で、楽しくやれなくなってしまうおそれがある。
 そういう裏の話でムカムカして、クソみたいな楽しくない音楽をやるような事になれば、やればやっただけ自分がダメージを受けるだけ。 何一つ得るものがない。
 そういう事がないように、ミュージシャンの自分が常に気持ちよくベストを尽くせるように、事業主の自分はマネジメントしなくちゃいけない。

 


 その、肝心の、事業主の自分が、あまりに仕事をしてなさすぎる。仕事が出来なさすぎる。
 理性的な、クレバーな対応が出来なさすぎる。
 こうして、ちょっと間をおけば、「そういうトコには近づかない方が良い。距離をとった方が良い。」と当然の答えが出せるのに。
 いざ、って時についつい感情的な、適切でない対応をとってしまう。  あまりに口下手過ぎる。  


  「まぁ。そんなに、自分を責めない方が良いよw 簡単な話、もっともっと精進してさ、突き抜けるような所まで高めればいいだけの事だろ? 頑張るよ、俺w」
 ・・・いや、そういう事じゃなくて。
 
 なんやかやで、より感情的・衝動的・本能的な、ミュージシャンの自分に引っ張りまわされてしまう。制御しきれてない。  
 この能天気で考えなしなバカを、ちゃんと手綱をとっておく、説得・納得させられるだけの力が、コチラの自分には、無い。
 それどころか、ついつい一緒になって暴れてしまう。
 
 「ミュージシャンの自分」の方が、実動的で、行動して結果を出してきたという自負もあって、優位だ。  
 一方、マネジメントしてる方の「事業主としての自分」は、どうも弱い。 「どうせ俺は、落ちこぼれだしな。。。」的な引け目というかコンプレックス、いじけ癖がある。これはどうにかしていかなくちゃならない。




 この国で、生きてく上で、必要な普遍的な技術・知識・考え方を教えるのが義務教育だが。  
 仕事をしていく上で、必要な普遍的な技術・知識・考え方を教えるのが高等学校だ。  
 専門分野に進む上で、必要な普遍的な技術・知識・考え方を教えるのが大学だ。 

 高校で理数系単位を落としてる癖に、得意分野だけで独学でどうにかして、大学受験をクリアした。 まぁ、だから、結果オーライ、問題ない、と思ってここまでやってきたけど。
 まさか、ここで、音楽の仕事で、自分の人生に不要だと思っていた理数系科目のアレコレが必要になってくるとは。
 
 演奏や作編曲については、独学で、延々とやり続けてきた。  おそらく理数系な人、理論的なアプローチでやっている人とは、全く違う(殆ど反対の)独自の角度・視点から攻略してきた。(あくまで自分用のやり方なので人に教える時は普通の話をする)  しかし、DTMは、そういう訳にいかない。
 立体(3次元)を、取り扱う。 いや、もしかしたら、時空(4次元)かも知れない。 我々、演奏者は、演奏の場において、場面を平面的に切り取り、判断したり行動したりしている。せいぜい、写真や動画のように遠近法で立体感をシミュレーションしながらやる程度。下手すりゃ1次元だ。

 同時に複数の異なる音を演奏する楽器、ピアノやドラムセットの演奏者は常に3次元の中で3次元を意識したり表現したり、しているかも知れない。 だが、他は、アニメーション的な、平面の連続だ。DAWは、明らかに、ドラムやピアノの音楽の捉え方が基準となっている。
 これを、理屈で攻めるには、ユークリッドだとか、ニュートンだとか、トポロジーだとか、、、そっち方向の基礎的なスキル、つまり幾何学とか数学とかを、やりこまねばならない。
 いちいち歴史とか発見者とか背景とかやり始めたら「それ、何十年かかんの?」という話になってしまう。

一方、感覚的に、実践の中で体験していく中で掴んでいこうとするならば、ピアノ或いはドラムの基礎的なスキルが要る。
幸か不幸か、僕はピアノをやらずに譜面ソフトを使って勉強したり作編曲をしたりするようになった世代であり、ピアノはせいぜい和音を押さえるくらいしか出来ない。
 昨年、大体ピアノと同じ鍵盤サイズのMIDIキーボードを入手して以来、作編曲の入力デバイスやちょっとコードを確認する以外に、基礎的な指練やピアノ譜面を読む練習をコツコツとやっている。 譜面ソフトではなく、DAWによる音楽制作を習得してく上で不可欠だと感じたからだ。


 

 
 理数系、数学的、論理的な考え方。
 立体的、空間的、或いはそれ以上の、多次元的な感覚。
 こういう、苦手なもの、手つかずだったものに手をつけるべき時が来た。
整式とミキシング
 数や文字の積として表される式、単項式。
 単項式を+やーでつなげたのが、多項式。
 +やーでつなげるということは、単項式に正の数、負の数がかけられている、とも言える。
 5a - 3b + 4c を、5a と - 3b と + 4c に分けたとき、それぞれを項と言う。
 多項式の各項(単項式)を構成する因子において、変数(不定元)を除いた、定数等の因子の事を「係数」という。
 簡単に言えば、各項の中の(正負の)数字の事だ。
 中でも数字だけの項。それ自体で項全体となっている項(あるいは、形式的には 1に掛かっている係数)を、特に定数項と呼ぶ。
 未知あるいは不定の数・対象を表す文字記号のことを、「変数」という。
 同じ文字(変数)による積は、「次数」によって表される。
 多項式は、その中に含まれる最大の次数により、◯次式と呼ばれる。
 同じ次数の同じ文字を持った項を、「同類項」と呼ぶ。同類項同士は加減が出来る。
 
 同類項は出来るだけ計算してまとめていく。
 また、アルファベット文字による変数はアルファベット順にまとめていく。
 また、次数が高いものから順にまとめていく。
 そうしていく事で、多くの項が雑然と散らばった長い式は、コンパクトにまとめられて(整理されて)いく。
 これを整式という。
 PCで言うデフラグみたいなもの。
  整式にする、という処理をしておく事で、変数の数値が与えられた時、速やかに計算を行う事が出来る。




 ミキシングというのは、整式にする作業だ。
 その後、変数(どんな音楽嗜好を持つ人が、どんな場所や環境で、どんな時に、どういう風に、何のために、聞き、どう受け取るか)によって色々と効果は変わるにせよ。
それ以外の定数的な部分、送り手側・発信する側の意図については、しっかりまとめ、確定しておかねばならない。

 非理数系で40年くらい通ってきた僕だが。加減乗除や一次方程式など、いま目の前にある事の計算(算数)までしか出来ない、それに全力を尽くす生き方をしてきた。数学とか理科とか、自分が生きてく上であんまり関係ない事だと思ってきた。どちらかといえば歴史とか地理とか社会方面に偏ってきた。
 物事にあたるとき、由来、成り立ちや経緯、現状、経験則などを把握する事で、俯瞰してみたりする事で、取り組んできたが。どうしても、現場叩き上げ的になってしまう。昔から今までやってきた事、積み重ねてきた事の延長線上にしか先が見出せない。一方向的だ。 また選択肢や可能性に、自分の趣味や主観によるバイアスがかかる。

 昨年の後半から、DTMというものに少しずつ手を出して。 そもそも、変数とか関数とか正弦波とか、理数系の用語や概念がサッパリ分からないw
 ので、DTMのレクチャー動画と並行して、理数系の番組とかも、(ベースや鍵盤の指練しながら)見てきた。
 本(教科書や取扱説明書)は、理解出来なければ、先に進めない。進まない。 分からなくなったら、そこで止まる。 しかし、実践(現場体験)や動画は、こちらの理解度やペースに関係なく、どんどん進行する。 その効果を利用するのが授業というものだろう。
 しかし、アスペルとかADHDとかだと、大人しくお行儀よく何もしないでじっとしている(させられる)というのが苦痛で仕方がない。 例えば落書き、例えばマンガ、例えば工作、例えばゲーム、等。他の事をしながら、適度に自分勝手な事をやって気を紛らわせながらでないと、出来ない。
 授業中に、机の上に両足を乗せて、椅子をガタゴトやって、たまに落下して「お〜、痛え!w」とか一人で面白げに騒いだりしてるのも、一応本人の中では少しでも「他の事を何もせずにじっとさせられる」という堪え難い理不尽な苦痛を紛らわせながら、それでも何とか出席したろうじゃないか、という歩み寄りなのだが。
 まぁ、大概は、理解される事も無く。 鉄拳制裁くらったり、呼び出し指導くらったり、行儀が悪い、柄が悪い、態度が悪い、意欲が感じられない、などの全く的外れなレッテルを貼られたり、する。
  「上等だ、バカヤロウ。 こっちから出てくわ! けったくそ悪い!」 という事になる。
 そこら辺の恨み辛みも重なって、「大の理数系嫌い」を公言してきたが。
 さすがに四十路にもなると、多少は大人になる。あの時どういう事が自分や周りに起こっていたか、当時の状況こみで、冷静に判断する事もできるし、そんな昔の事にこだわり続けるのも、それで選択肢を狭めるのも馬鹿馬鹿しい。




 理数系は、特に数学やそれを応用する系の科目は、どこかで分からなくなったら、そこから先に進めない。躓きっぱなしになる。 歴史や地理なら、どこかで苦手な項目、分からない項目があっても、先に(他に)進めるのだが。
 だから、数学やそれに近い科目は、とにかく地道に、着実に、基礎からしっかり身につけていくしかない。

  ・・・まぁ、音楽や楽器もそうだが。
 僕の場合、前半生で、体験学習的に好きなだけ好きな事を好きなようにやってきた、遊びでやってきたので。
 「クリアした後のやりこみプレイ」的な感覚で、何度も(何周も)やってくうちに、効率的な方法を模索してくうちに「基礎や地道な積み重ねが大事」「無い袖は振れない(取り組んだ事以上のものは出て来ない)」「不思議なものなどない」という、面白くもない単なるアタリマエな事実に行き着いただけ。   

 数学とか、公式とか、何がつまらなかったか、というと。
 歴史的に、他の人達がプレイして試行錯誤してきた末に編み出され積み重ねられてきた「結果」、定跡とか理論とかみたいなものを、現代の視点で平面的に整理されて並べられてしまうからだ。
 「へえ、そうですか」「それはそれは」てなる。
 なんというか「ジャズというものを知りたいかい? なら、最初に聴くべき重要なアルバムを、詳しい僕が教えてあげるよ」とか語ってくるドヤ顔のジャズオヤジの垂れる御高説を聞くくらい、ウンザリな気分にさせられる。
余計なお世話だ。
 自分が何を聴くべきか、何が大事かなど、後で自分で決める。
 ・・・という性格は、人から学ぶ(人に教えを乞う)のに、全く適していないw
 だから、何でも独学で、自力で、ある程度まではやらなくちゃいけない。
 自分なりにやれる所まで行って、何が分からないのか、何を知りたいのか、分かってきて、固まってきて、それでようやく、人のやり方を聞ける。
 自分とは全く違うものを、一つの参考として聞けるようになるためには、そもそも、その必要・必然を感じるためには、ある程度まで自分でやらなきゃならない。僕の場合。
 四十路に至って。ようやく。 理数系のアレコレに対する興味関心が湧き、その必要性を感じ始めた。
  


 
 ミキシングとか音響に取り組んでいく上で、理数系の用語や概念、思考の仕方は、不可欠だ。
 ならば、基礎から学んでいくしかない。
 また、学べば、アプローチの仕方が変わってくるだろうし、これまで培ってきたものを違う形で活用出来るはず。

 同類項をまとめる、足したり引いたりする事は出来るが、違う項をまとめる事は出来ない。
 音量、定位、イコライズ、エフェクト。
 何を足し、何を引き、何を掛け、何を割るか。
 それらは、一つ一つは項。計算でしかない。より重要なのは式を作る事。つまり整式だ。
 イベント、パート、トラック、グループ。
 オーディオ・トラックは定数、MIDIトラックは変数だ。変数の値が音源(パッチ)だ。グループやフォルダトラックは括弧だ。ブーストするか、カットするか。足すか引くか、掛けるか割るか。
 いずれにせよ、=0(db)と決まっている式。



 
 
イコライズ 音のブレンド
Cubase本体より、ハリオン(ソフトウェアMIDI音源)の方がエフェクトの数・種類が多い。それに、音作りの設定を自作プリセットとして保存出来る。
基本的にはこちらで作って、インサートやセンドのプラグイン・エフェクトは、ミキシング時の微調整用と考えた方が良いのかも知れない。
20170418a.jpg

ベースの常識的な演奏音の周波数は
41.2Hz〜262Hz くらいだ。(人工ハーモニクスとかは度外視)
そして、ピアノのミドルC、ト音の下第一線、へ音の上第一線にあたる音の周波数も262Hzだ。
よく知られている通り、ベースの譜面は実際の音よりオクターブ高く表記されている。
実際にはテューバ等と近い音域(低音域)を演奏するのだが、表記的にはトロンボーンやユーフォニアム、チェロなどと同じ中低音で書かれる。
これは、歴史的に、コントラバスという楽器やパートがチェロの譜面をオクターブ低く演奏するチェロ・パートのオプションであった時の名残り、慣習だ。
ソロ等を除けば、ベースラインなど、伴奏ではあまり親指のポジションは使わない。
G弦第5フレットの音、通常のへ音譜面では第二間にあたる音が、131Hz。
それ以下の音を中心に動く限り、管楽器と鉢合わせる事はあまり無い。
つまり、41.2Hz以上、131Hz以下くらいが伴奏ベースの主な棲息地となる。
まぁ、使っても、せいぜい200Hz以下あたり、だ。
この辺りの交通整理を気をつけなくてはならない。




大譜表(ト音&へ音)。ピアノ譜などがこれにあたる。当然ミドルCを中心に演奏される事になる。右手のメロディ・フレーズも、左手の和音・コンピングも。 たまに五線を突き抜けて、加線を使うようなきらびやかな高音域を使う事もあるが。
ト音の真ん中が524Hz.
上第二線が1048Hz。
まぁ、常識的な演奏音というと、1.2kHz以下、という事になるだろう。ピッコロや一部のトランペッターなどの出す音域、いわゆるハイノートだ。
まずは、こうした実音の周波数帯の整理。

オクターブの音は、倍の周波数を持つ。
高音域になると、
1048Hz
2096Hz ← ここまでピアノ演奏可能音
4192Hz
8384Hz
16768Hz ← モスキート音レベル
 ・・・ となる。
4192Hzと8384Hz は、ピアノでは演奏出来ないが可聴域内。




 長年使ってきた(というか、今でも録音音源のトラック分割に便利なので使ってる)サウンド・エンジンについてるイコライザ(グライコ)の場合、
 62Hz  125Hz  250Hz  500Hz  1kHz  2kHz  4kHz  8kHz  16kHz
 で調整できるようになっている。
20170418b

 最初から自由に帯域を設定変更出来てしまうパラメトリック・イコライザ(パライコ)だと、こういう大まかな目安を把握してないと、グチャグチャになってしまう。
逆に、目安が分かっていると、グライコより音を変える自由度は高い。




 ちなみに。
 iTunesやiPhoneのミュージックでも、 「ツールバーの表示からイコライザ表示」や「設定>ミュージック>イコライザ」で設定出来る。PCのiTunesなら手動(自分で)設定出来る。
 が、それはあくまでユーザー側の設定で。作り手としてはフラットで考える。
 
 ・・・・・・あ、いけね。
 iTunesやiPhoneミュージックのイコライザ、プリセットのジャズに設定してたw (^_^;)
 フラットにしよう。




 こってり、トロトロこてこてな、豊潤でマイルドで濃密な味。。。
あっさり、スッキリさっぱりな、透明感のある喉ごし爽やかなクリアな味。。
ミキシングというものは酒造りみたいなものなのかも知れない。。。
 
 全体的に音圧を上げる事で、音量差をなくす事で、まろやかになるしボリューム感は得られる。が、もともとの演奏表現の味が平均化されてしまう。 一方、個々の楽器・演奏を、それらの持つ素材の味を鮮明に浮きたたせるならば音圧アップは最小限にしてフェーダー中心に進めるべきだ。が、音圧を上げたものに比べてボリューム感に欠けてしまいがちになる。
 あくまで相対的な話だが、限界まで音圧をアップするような、音量を均等化させるような音楽に比べると、質素に(痩せて)聞こえる。
 
 かといって音圧アゲアゲな、大音量なポップス系CDに張り合おうとすると、全体的にノッペリとした、抑揚の無い、つまらない音になってしまう。
アコースティックな音楽・楽器の醍醐味は、個々の演奏者による細かく多彩な表現、いわば「オートメーションの操作・変化」にある。それを潰すハメになる。


注文しやすい料理店
 どうせMIDIから作り直すなら。
 Cubase内蔵のソフトウェア音源(HALION SONIC SE2)のデフォルトのままの音色でなく、カスタマイズして、自作プリセットとしてセーブしておこう。 根っこの部分で音色を作っておけば、後でミキシングする時に加工しやすい。
 2017-04-15.png

 ザッとマニュアルに目を通してみたけど。
 せいぜい、フィルターかけたり、イコライズかけたり、エフェクトかけたり、する程度で、根本的な音色(周波数、スペアナの曲線図)を改造するようなツールや操作法は見当たらない。 「音色の組成を組み替える事は出来ない」という事は、分かった。
 20160416b.jpg

 


 数年前、自作曲のレコーディングをした時。 エンジニアさんや参加ピアニストに「音は後からどうにでも変えられる」と聞いて、そんなもんか、と弾いてみて。 その場でプレイバックとか色々と聞いたり、音を変えたりしたのを聞かせて貰ったけども。 「何か」が違っていた。
 その「何か」が分からず、当然、上手く説明出来ないまま、どうにか弾くだけ弾いて、「機械の分からん俺にゃ、どうにも出来ない。 全部お任せします☆」と、丸投げしてしまったのだが。
 今なら説明出来る。僕が望んでた「音を変えられる」というのは、周波数そのものを変える事、だった。

 たしか、ラインとマイクの両方でとって、ミックスして貰ったと思うのだが。
 その時、モニターのヘッドフォンから返される音に全く馴染めず、結局一人だけイヤモニ無しの暗中計器飛行をせざるを得なくなった。 当時なドがつくアナログ派で、ヘッドフォンはめて練習した事も無いし、慣れてなかった。
 要は、指板の音や骨伝導とかによる音とか、超リアルな(今で言えばVRな)音色だとか。曲の途中で、瞬間的に楽器を持ち替える効果とか。そういうものを求めていたし、そんな事も出来るんじゃないかと思っていた。
まぁ、アホだ。
 家を建てる時に「変形合体は可能ですか?」と尋ねるに等しい。




 「分からない」「知らない」というのは、本当におっかない。僕の場合とんでもないミスをしでかしかねない。だから、よく分からん事には手を出さない。最低限、何が出来ないのか、そのラインだけは知っていないと、実現可能な要望を出す事すら出来ない。 根幹的な部分が分かってしまえば怖くない。
 こういう作業や勉強に手をつけて、よく分かる。 あの時、エンジニアさんやバンドのメンバーが、どれだけ素晴らしい仕事をしてくれたか。
 僕の出した唯一の指示・意向を忠実に実現してくれた。 「どこにもない、どこでもない、口では説明出来ない、あり得ない、非現実的な作品にしたい」
 今風に言えば、VRだ。 目を閉じて聞いた時に、全く別の空間、どことはハッキリとは言えない、海原の船上だか、霧立ち込める山の中か、雲海を見下ろす山頂か、空の上か、とにかく、仮想現実的な感覚をもたらすような(少なくとも狭いスタジオとかジャズクラブとかホールとか、でない)感覚を。
 何を言ってるのか(言ってる本人にすら)よく分からないw
 ミキシングの、2トラックの基本からして、音像とか定位とか、ほんの少しでも分かっていたら、絶対にありえない類の発言だw
 しかし、何をどうしたのかサッパリ分からないが、本当にそうなっているから、凄いのだ。

 ピアノトリオなのに。 山中の音楽ホールに機材を持ち込んで。 全チャンネルを使い、20本くらいマイク立てて、空間の音まで拾って。 とりあえず、当時、可能な限りのお膳立てをして貰った中での総動員体制の中での録音だった。
 そんな半ばパニック状態の中、必死で頭の中に様々な事をメモってきた。
 ピアノの鍵盤を弾く音、椅子がギシギシ言う音、とか意外に拾ってしまうのだ、という事。
グランドピアノの場合、マイキングする位置によって、音が変わる。
反響板とか孔とかの至近距離の音と、本体下の音、少し離れた所からの音で、だいぶ違ってくる。マイクの性能や指向性の問題もある。
 
 思いきり気になったのが、低音域の音の渋滞だ。 普段、ライブでは、それなりに互いに気にするが。 録音なんだし。ドラムにがっつり遠慮なくバスドラを踏み込んでもらいたかったし、ピアノにもがっつり遠慮なく広いレンジの音域を駆使してもらいたかったし、僕も遠慮なく弾きたかった。
 それが、モニターで返されると、どうしても同じような周波数帯で渋滞してしまう。演奏出来ない。
 普段の演奏では、指板の音や、手先やカラダからの伝導、空気ではなく肉体を媒質とした聴覚も併用して使っているが、イヤモニだと、聴覚だけが増幅されてしまい、慣れていないと感覚が狂う。

 ミキサーを入手してからこの数年、むしろヘッドフォンつけて弾く事の方がずっと多いが。
 当時は皆無。というか、あまりにアナログの、生の響きに、慣れすぎていた。偏り過ぎていた。
 アレじゃ、録音は厳しい。 我ながらよくやったなぁ、と思うし。 他のメンツも(こんな僕に)よくやらせたなぁ、と思う。
 「アフリカ奥地の未開部族の戦士、都会に出て目を回す」みたいな、ドタバタ劇を展開するハメになった。
 客観的に見れば、中々面白い仕上がり、良いドキュメンタリー作品になった。
 何も知らない、分からない、シロウトだからこそ出来た挑戦、冒険だ。一発芸だ。
 だからこそ。 あれの再現は、難しい。
 昨年、数年ぶりに当時のメンバーでライブをやったが。
 どうにか、当時の奏法やらメンタリティやらを再現しようとしたが。
 やっぱり、色々とワザとらしくなってしまう。 白々しく、あざとい感じとなってしまう。

 

  
 ただ、いま思い返すと。 あの録音は、やっておいて正解だった。
 サラウンド、というより、VR的な効果を作り出すためには、何をどのようにすべきか、という実験的なものとなった。結果的に。
 
 たしか、あの録音の際、エンジニアさんとバイノーラル録音について意見を交わしたりした、と思う。
 バイノーラルの場合、その場に居合わせたかのような臨場感を再現できる。
 人間が音を聞くときには音源から左右の耳に直接届く音波だけでなく自分自身の耳たぶや体の各部によって複雑に回折・反射した音波も合わせて聞いていて、それらによって音源の位置などを知覚していると考えられる。これらの音波をすべてそのまま記録したものを左右の耳にステレオ・ヘッドフォンで聞けば、録音時と同じ音場を感じられるという理屈だ。
 それで、結局、あんな大がかりな録音になってしまったが。 ただ問題がある。 「その場にいるような臨場感」 その場、すら確定(固定)したくなかったw
 
 当時読んでいた本に、セレンディピティという言葉があったが。 人間は何かを求めた瞬間、望んだ瞬間、自分(の座標)を自ら規定してしまう。 強く求めれば求める程、望めば望む程、持っていない事・いまそうでない事をハッキリ自覚させられてしまう。そして、遠ざかってしまう。思いもよらないものに、偶然出くわす、という感覚。何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。 雲をつかむような話だが、それがまさしくコンセプトの作品だった。




 感覚と情報のリンク、同期、追従性、というか。
 あくまで主役は録音(方式)ではなくバンド、楽曲、演奏。
 プレイヤーやバンドの音に、リスナーが付いてくる(誘導される)ような形、ジェットコースターやトロッコに乗せられてるような感覚を。VRな映像やそれに合わせて動いたり振動する床のような感覚を。
 バンドや演奏者、作編曲者、ひいては僕と、リスナーとの感覚の、イマジネーションの、共有、同期。
 そういうものを実現化する(した)のがミキシング・エンジニアやプロデュースの手腕だ。
 僕は必死に脚本を書いて演じるだけだった。




 僕がミキシングしたりプロデュースしたりするなら、どうするか。
 
 「何でも出来る」のを目指して精進していくのが第一。
 そして、注文に慣れた制作企画者(ユーザー)には「好きに希望して下さい。出来る範囲で最善を尽くします」と言えるようになる事。
 さらに、不慣れな(何が注文可能か不明な)制作企画者に「こーゆー事やこーゆー事が出来ます。例えばAとかB、またCというのがあります。勿論それぞれカスタマイズ可能です。どういう方向が希望ですか?」と、大まかな選択肢(注文リストやおすすめコース)とそのサンプルを即座に用意して提示できるように、なりたい。
 そういう積極的なヒアリングが出来るようになるためには技術と知識が要る。

 なにしろイチから。基本から。しっかりと取り組まねばならない。
まずは2トラックの、普通の音作りを自在に出来るように。
20以上のマイクやチャンネルを駆使するようなハイレベルな芸当は出来ない。オーディオインターフェースの数、2チャンネル(+MIDIチャンネル)。今扱えるのこれだけだ。
 その中で、可能な範囲内で、如何に、音を作るか。  問題をクリアにしていくか。



データのセーブに要注意
あう!(泣)
ミキシング過程で、どんどん新しいファイルを作成してきて、どれがどれだか分からなくなってきたので。
最新のバージョンのデータを残して、削除したら。
オーディオデータの音がなくなってしまった。これは痛い。
幸い、MIDIデータは残っている(別の場所に保管しておいた)ので、バウンスから工程をやり直せば良いのだけど。
そういや『プロジェクトのファイルをどんどん新しくしていっても、オーディオ・データは古いもののフォルダに入っていく』と、どこかで聞いたが。 こういう事か。
あちこちの古いフォルダ内から、オーディオデータを参照していた形、だ。 今回のような事をしたい場合は、『プロジェクトのバックアップ』を行い、新規のフォルダに保存する。 そうしたら、そのプロジェクト(ファイル)で使用しているオーディオファイルが全部一つのフォルダにまとめられる。
知識として知っていた。 しかし、ピンと来ていなかった。 こうして実際に痛い目に遭って、ハッキリと意味が分かった。
今後は、散らかったデータを整理する時は(特にオーディオデータ化したりミキシングしたりした後は)、必ず『プロジェクトのバックアップ』を行おう。痛感。。。 orz
ゴミ箱にも残らず、跡形もなく消えてしまった。。。
残るは音の出ない、音声情報のない、空っぽのパートの残骸のみ。。。
もし、「念のために別に元データを保存」とかしてなかったら、と思うと。。。 恐ろしい。。。
逆に。 現在のフォルダとは全く別のフォルダに、現在のデータと繋がってない、新しいバージョンを作って、以降の作業を進めたい場合も、やはり、『プロジェクトのバックアップ』だ。
この呪文(キーワード)は、「Ctrl + S」と同じくらい大事だ。覚えておこう。


     

 



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