所長の独り言... 
とあるジャズベーシストの独白・・・
好きぞ、ジャズ・ベース
ウッベとエレベについての僕の意識

 二十数年前、ジャズやベースをやり始めた時、コンテンポラリーが全盛で、ジャズ・ベースはエレキベースやエレキベースとウッドベースの二刀流というのが主流だった。
ウッドベース(のみ)というのは、もはや絶滅危惧種で、そのうち消えてなくなる運命だった、、、かに見えた。
 90年代末からゼロ年代、ウッドベースはまさかの復権を果たす。というかエレベを使うジャズ周辺の音楽(ラテン・ファンク・フュージョン)がジャンルごと独立、或いはジャズが保守方向に純化した、とも言える。ともかくウッドベースは絶滅を免れ、むしろジャズベースの主流楽器として返り咲く。

 今だからこそぶっちゃける事が出来るけど、正直、その流れについては喜ばしくもありつつ、少し困惑気味するものでもあった。
 当時の僕の読みでは、今後ジャズにおいてウッドベースはますますオワコン化していくだろう。みんなエレベをやるようになっていくだろう。また、エレベやそれを使う音楽の影響を受けたプレイや音楽性になっていくだろう。 そんな中、あえてウッベ(のジャズ)にオールインしてみたらどうだろうか。
・・・というような、山師的な、逆張りな発想が働き。 ごくごく初期の学生時代や駆け出し時代には、それなりに(ウッドベースと同様に)練習していたエレベやそっち系の音楽をスッパリと切り捨て、弾くのも聴くのも、生音ウッドベースを使うジャズ、専らモダンジャズに特化する方向に舵を切った。
 僕の特技「思い込む(自己暗示)」を駆使し、寝ても覚めてもモダンジャズの事ばかり考え、まるで自分が元々そういう方向のベーシスト・音楽家なのだ、まるで自分がエレベやそれを使う音楽なんて見た事も聞いた事もない・全く縁がない、みたいなノリでここまで取り組んできた。
 当然、ムリがある。そのムリの部分、はみ出た部分が、時々、作曲家とかリーダーバンドとかの形で噴出する。 ウッドベースとかジャズのフォーマットとか使いながら、そこにホーン(管楽器)とか非ジャズなジャンルとか、全く別の感覚とかやり方を持ち込むような、そういう奇形な音楽となる。
 毎日毎日、普通に仕事でウッドベースを弾いて、ジャズ(の楽曲)をやったり、そのために勉強したり練習したりしていく中で、沸々と沸き起こる不満・違和感、それらをかき集め、凝縮させ、吐き出す。 本職(プロの現場)で叩き上げ培ってきたノウハウで、思いっきりアマチュア的に欲求を満たす。

 この十数年、僕にとってエレキベースは、ウッドベースを弾く事が出来ない(出すのが面倒くさい)時に、ウッドベースの代用品として弾くだけの代物だった。奏法、ポジショニング等、ウッドベースの時のそれでやっているため、どんどんエレべ弾き的でなくなっていく。
 あまりウッベの感覚とかけ離れては困るため、エレベの音作りは、(永く使ってたフィッシュマンの)PUからアンプにつなげる時のウッべのそれに近い形でやっていたし、逆にピックアップを使用する時のウッベの音作りもそちらに近い形でやっていた。ウッベの基本は生なのでそれとの混血となる。
 僕がウッドベースに特化する道を選択したのは、山師的な逆張りな打算だけではない。
 「エレキってアンプとかエフェクターとか金かかりそうじゃん。持ち運びとかシンドそうだし、ややこしいし面倒くさい。その点、生音なウッベなら楽器とシールド一本でいけるw」という 物ぐさ原則だけでもない。
 単純に、ウッベの、アコースティックの音の方が、エレキ(ベース)の音より聴き心地良かったし、弾く手応えやボディの振動が実に心地良かった。また、タッチを出す(弾き方だけで音色を使い分ける)のに適していた。硬い音色から柔らかい音色まで、押さえ方とピッキングで色々使い分けられる。
 十年くらい前、スタジオレッスンを沢山やっていた頃は、ついでに自主トレ(個人利用)でスタジオ借りて練習していた。なんせ時間ごとに料金が発生するので、1分1秒ムダに出来ない。 2時間、ガッツリ弾きこむ。高不可トレー二ングだ。そのためのメニューを予め作成して、詰め込み式に練習した。
 この期間が長らく続き。
 やがて、小型ミキサーやプリアンプ、ミュートなどを揃えて自宅練習に切り替えた。 スタジオ時代は生だったが、自宅練習では隣近所のご迷惑にならない時間帯、ミュートかけてミキサーに刺して、ヘッドフォンで聴きながら弾くようになった。
 
 「楽器とシールド一本」に「プリアンプとシールドもう一本」が追加された。 多少面倒くさくなった(かさばるようになったし、セッティングの手間が増えた)が、自主練と本番とで条件を近づける(ほぼ同じ感覚で弾く)事が出来た。
 環境(店のサイズやアンプ、気温湿度)による違いが軽減された。
 プリアンプを使い、ヘッドフォンをハメて(ミキサーでスマホやタブレットのアプリを併用して)練習する割合が増えた。
 依然弾き心地や体感で伝導される音、ヘッドフォンごしに聞こえてくる「生音」の感触はあるのだが、「生」と「ライン」の比率がどんどん変わり、やがてラインがメインになってくる。

 思い出してみたら。
 キャリアの前半生、まだ活力に満ち溢れていた時代w、ライブハウスではないホテルやレストランやパーティ会場で演奏する仕事を沢山やっていた時期がある。 また、自分のリーダーバンドやオリジナル曲の演奏ばかりやっていた時期もあった。 これらの時期は常にMyアンプを持ち歩いていた。
 つまり、「ライン(からのアンプ)の音」が自分の音になる。 また、そもそも、最初にベースに出会ったのが学生ビックバンドで、騒音...もとい、他のメンバーやパートがそれぞれ練習してる中、ドラムがドカスカやってる中、デカいアンプで結構鳴らして曲の練習していたり、していた。
 よくよく考えてみたら「静かな環境で生音で練習する」というのは、しばらくやった後で、その必要を感じてやり始めた事であって。 最近まですっかり忘れていたけど。 ごくごく初期の頃は、ベースという楽器はアンプにつなげて(バカッ吹きするフルバンに負けない)音で弾くもんだとばかり思っていたw



 環境(シーン)の激変

 繰り返すが。
 二十数年前。世の中、音楽シーンは空前のCDバブル。 メジャーに限らず、ロックやらブラックコンテンポラリーやらワールドミュージックやら、ウーハーだの巨大スピーカーなど、とにかくド派手な増幅された大音量、爆音がデフォルトだった時代。
 WOWOWとか、モントルーのジャズフェスとか衛星放送番組(を知り合いに録画して貰っていた)VHSや市販のジャズ(系)録画作品(をダビングして貰っていたもの)とか、とにかく手に入る限り手に入れて貪るように観まくったものだが。 全体的に、ギンギンだった、ように記憶している。
 
 晩年のマイルスやマーカスミラー、ジャコ、パットメセニーグループやチックコリアのエレクトリックバンド辺りが最先端、ど真ん中。 アコースティックバンドがちょっぴり正統派ジャズ(スタンダード)回帰路線。 後はMJOのチャーネット・モフェット辺りが人気あったかな、と。
 ゲイリーとかペデルセンとか、いわゆるECM系、ヨーロッパ系のアコースティックなジャズ、ピアノトリオとかは、ジャズというより、だいぶクラシック寄りの音楽という扱い方をされていたように記憶している。
 いわゆる「コンテンポラリー・ジャズ」というのが圧倒的にメインストリームだった。 往年の、モダンジャズ・スタイルのウッドベースというのは、本当に変わり種というか、希少種と化していた。
 そんな時に、新しい潮流として出てきたのが、ニュー4ビートとか、新古典派ジャズとか言われたスタイルで、ニューヨーク風というのか、90年代的な、モーダルでブルージーでヒップな、あの独特のテイストを持ったジャズだった。 あれが流行りだした辺りから、一気に「アコースティック化」していく。
 かつて、ウッベに変わってジャズベースのメインストリームとなっていた(筈の)エレベが、瞬く間にジャズ畑から駆逐されていった、ように思う。 元々両方やってたベーシスト達はウッベに絞るだけで済んだが、エレベ一本でやってたベーシスト達はいきなり干された形になり、ジャズ業界を離れたりした。
 
 このジャズ畑の急速なアコースティック路線化の流れに、ウッベに特化(オールイン)する方向に舵をきっていた僕は、最初は「ラッキー☆」と歓迎していたが、やがて、思わぬ事態に遭遇する。 繰り返すが、当時は、エレベか併用が主流。同世代にウッベだけに特化するようなヤツは滅多にいなかった。いたのはフュージョン全盛期からコンテンポラリー・ジャズ全盛期にかけて、時代に関係なくウッベを弾き続けてきたチャンジー、、、もとい、年輩のベーシスト達だった。
 大抵は「息を合わせるのは飲みにケーションから」「本番(仕事)を以って練習に代える」「長年の経験則と老獪さ」でやってる人達だった。若い頃に鍛えた貯金を切り崩して細々とやっているように見えた。こう人達に実戦経験とか曲知識とか熟成された味とか、そういうもので張り合って勝てる訳ないし、そもそも、その後ろを追うつもりもなかった。
 とにかく、練習したり勉強したり、セットの合間すら(ヨタ話に加わる事もせず)曲集やらメモリー帳やらを見て指練したり耳コピしたり、必死過ぎな感満載でやっていた。 圧倒的なペーペー、弱者だったので、油断したり安心してる余裕がない。「お〜い。さっきは良かったよ。」とか言われても、「・・・どこが良かったのか僕には分かりませんね。 僕の中ではありえない、自分でダメ出ししてる所なんですがw」みたいな、人としてアウトな対応ばかりしていた気がする。
 
 とにかく、この、ニッチな「ウッド専門」路線で突き進んでいってやろう、と椅子取りゲームにムキになっている内に。
 若手世代のエレベとウッベを両方やってた系のベーシストが次々にウッド一本で行くようになっていき。
 そうこうしてるうちに、不景気の中、マトモな就職に希望を持てず、わざわざこちらの(ジャズの)世界に進路を決める世代とか出現。 
 さらに、音大(ジャズ科)系とか、本番留学帰国組とか、ウッドジャズは絶滅するどころか、ベーシスト供給過多を起こしている。 この新しい世代のウッドベーシストに人気があるのが、やはりマクブライドとかアビシャイとか。  
 その後、次々と新しいウッドベーシストが現れ、それが参加したアコースティックなバンドやサウンドばかりになり、すっかり「ジャズではウッドベースがデフォルト」になった。 まさか、ここまでジャズベースの世界がウッドベース一色に染まるとは思わなかった。 あの絶滅危惧な変わり種が主流になるなんてw ・・・完全な誤算、読み間違えである。


 しかし、それが誤算だった事すら忘れていた。自己暗示、おそるべしw
 すっかり、自分が根っからのウッドベース専門、ジャズベース専門のような錯覚に陥っていた。それで一生懸命、必死こいてウッドベースに、ジャズに、取り組んできた、のだが。
 昨年秋に環境を一新し、エレベでエレベの練習をやりはじめ、心境に変化が出た。初心ってヤツを取り戻し始めた。
  「みんな、こうしてる」という時、「じゃあ、その方向で頑張らなきゃ!」という考え方は、僕には、無い。
  「みんな、こうしてる」「なら、他のやり方をしてかなきゃいかんな」 これが僕の考え方である。
 混雑したり、並んだりするような所は好まない。他を探る。
 勿論、今後もウッドベースは弾いていく。活動の中心はウッベになるだろうし、コンスタントに練習はしていく。 だが、それに縛られたり囚われたり事もない。 こういっちゃなんだが、あんまり、ムキになる事もこだわったりする事も無い。個性とか、他には無い何かを追求したり死守したりする事もない。
 別に、いま流行りの生音系の音(の鳴るピックアップ)にしようが、電気(ピエゾ)っぽい音にしようが、マイクだろうが、、、ど〜でも良い。 もはや、なんもこだわる気がしない。 現場ごと、メンツごとに、合う方(求められる方)を選んで、やれば良い。 どちらも、僕であり、僕でない。

 それで、新しくハコ鳴りのピックアップを追加装備して、切り替えしやすくした。 目下、僕にとっての最大の格闘相手は、ウッベでもエレベでも譜面でもなく、DTM(DAWソフト)や鍵盤(MIDIキーボード)である。気が遠くなるようなヘビーな戦いであって、他で悩んでる余裕が無い。
 まだまだ使いこなせる所まで行っていないが。
この二つが使いこなす事が出来るようになれば、これを中心に、ウッベやエレベ、譜面(作曲やアレンジ)など、これまで取り留めなく、統合失調(精神分裂)気味にアレコレとやってきた僕の活動を、音楽を、統合していく事が出来るだろう。



好きぞ、ジャズベース

 以前、「(言動からすると)一見パラノ(偏執型・安定志向、形式主義)のようでいて、実は思いっきりスキゾ(分裂型。常に制度や秩序から逃避・脱出して行こうという非定住タイプ)だ」と評された事がある。
 言われてみればその通りで。次々に新しい事に手を出し(新しい居場所を作り)、移る。

 なんで、初対面の人とかにパラノ型人間とか真面目とか誤解されがちなのか、それで行き違いが生じるのか、自分なりに考えてみた。 AからBへ、BからCへ、、、ZからA`へ。随時ベクトルとかアプローチとか変えていく、移行する、とは言え。 一定期間はある地点(及びその周辺)に腰を据える。
 「郷に入りては郷に従え」というが。 新しい事に手を出すとき、新しい現場にクビをつっこむとき、その都度その都度、新参者・初心者として、謙虚に、「あ、すいません(汗) 自分、こちらじゃ本当に右も左も分からない新人ですんで。。。」という腰の低い姿勢でいる、そうあろうと努めているからだろう。
 ヨソでのアレコレをもって「自分は経験あるんだ。素人じゃない。それなりに知識も技術もあるんだぜ」みたいな考え方でいると、何も学べない。
 昔ゴーストバスターズという映画に「俺は◯○も、◻︎◻︎も、それどころか専門の筈の△も分からない、というつもりで説明してくれ」というセリフがあった。一見、切羽詰まった中であるにも関わらず空気を読まないふざけた発言のようにも見えるが、とても真摯で誠実で謙虚な質問セリフだ。 見栄を張らず、知ったかぶりをせずに、情報や現状を整理しこれからどういう行動をすべきか、もっとも正しい現実的な選択をしようとする上でアレが正しい。

 この仕事やって、そこそこ年数を積み重ねてきている。勝手に、色々と経験を重ねてきてるだろう、分かっているだろう、みたいに思われたりする。
 特に、こういう風に、独り言をしょっちゅうしてると、「世に物申すキャラ」というか、そういう風に勘違いされる。 (単なる独り言なのに。。。)
 世の中には色々な商売や表現があって。 アーティスト的というか、人間性とか磨いて、格好良く見せる事に重きを置いているタイプの人がいたり。 或いは、親近感とか そういう事に置いている人がいたり。 それはそれで良い。それぞれに色々と大変だ。
 ところで。 僕は、いつでも、僕である。
 常に、自分は何をしたいのか、自分はどうしているのか、自分はこれからどうしていくべきか、、みたいな事しか、考えていない。 良くも悪くも自分の事しか考えていない。こういっちゃ何だが、あまり他の人がどうだとかこうだとか、(自分に利害が無い限り)あまり気にしない。自己中心的である。
 ただ、自分の事ばかり優先して周囲や他者をないがしろにするような、中途半端なジコチューは良くない。 というか僕に言わせれば、そんなものはジコチューではない。 本当のジコチューならば、周りを大事にする。自分を中心に考えつつ、常に周囲や他者を意識する。 でないと「中心」でなくなるから。
 なので、まぁ、あまり周りに迷惑をかけない程度に、、、と常に気を使ってはいるが。 根本的には、やっぱり自己中心的である。世間体とかイメージとか気にしない。 だから「移住型」でいられる。 平気で「これ全然出来ない。無理w」みたいな事が言える。 出来ない事はキッパリと出来ない、という。

 ゼロベースで考える事が出来る。
 これまで苦労して築きあげてものを、足場を、立脚地を、全部崩して、真っさらにして、次に(先に)進む。
 これこそ、単身活動の、フリーランスの最大の強み、利点である。
 というか、それをやらない(それが出来ない)と、フリーランスでいるメリットが無い。
 
 組織・グループに属したり、率たりする人の場合は、そうは行かない。
 パラノ的というか、コミュニティや秩序の中に定住し、コツコツと地道に実績や信用を積み重ね、築き上げていく、安定的に成長していく、そういう考え方や素質が要る。
 僕にはそれが決定的に欠如してるのでフリーでやっている。
  
 フリーランスと集団組織。これらは、持ちつ持たれつ、提携したり共同したり、するのが理想と心得る。
 たまに、フリーランス同盟というか、アンチ・メジャーみたいなものに巻き込まれそうになるが、そのたび距離を置いている。
 スキゾなフリーランス(非属)気質なので、そちら側にも加担する(属す)気持ちは、無い。

 まぁ、移住型だか分裂型だか、とにかく流動的で移り気なタチだが。
 その時々では拠点を作り、そこを中心に動いている。一生懸命取り組む。
 その時点だけを切り取ってみれば、偏執的に、とても保守的・安定志向なキャラに見えるのかも知れない。
 人一倍、不器用で物分かりが悪いので。 郷に入るたび、郷に根を張り定着してる人々よりも必死に、コツコツと地道に取り組まねばならないから、そうしている、というだけの話で。 。。

 今は、ちょうど、季節(年度)の変わり目。
 キャンプを畳んで、次のステップ・フィールド(草原)に移行しようとしている、そんな時期だ。

 以上。
 何はともかく「好きぞ、ジャズ・ベース」
 というお題の独り言でした。

 終わり。 m(__)m
 
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